07
「それは…第83条、でしたでしょうか?
たしか改正が決まったのは一昨年で、他に懸念事項ができたために現在保留とのことだったはず…」
「そこまで覚えているとは流石だな。
正解だ。リルムは飲み込みが早い」
リルムが学園へ入学すると決めてから、即入学、というわけにはいかなかった。
何故なら、学園には入学試験があるからだ。
貴族と平民が同じ授業を受けても、お互いに得るものが少ない。これまでまったく教育も受けていなかった文字の読み書きすら怪しいレベルの平民と、幼少時からしっかり教育を受けていた貴族が同じ教育を受けても意味がないからだ。
そのため、入学時に試験を行い、その結果次第でクラス分けをしている。
そもそも平民を学園へ入学させるのは、年頃の獣人たちが番を見つけるためだ。番は一定範囲内にいれば相手を見つけることができるため、クラスが違おうとも学園内にいれば問題はない。
優秀な者は修了試験さえパスすれば上のクラスへ行くことも可能だ。逆に、試験をパスできない者は容赦なく下のクラスに落とされるが、大概の貴族はそんなことにはならない。元々貴族はきちんと教養を身につけているはずだし、そうでなくてもコネとカネでなんとかなるものだ。
だが、リルムの場合は少々事情が異なってくる。
途中編入となると少々目立ってしまうのだ。そのためおおっぴらにコネカネを用いて試験を免除、自動的に上級クラスというわけにはいかない。あくまでもコネカネは非公式なもの、ということだ。
そもそもリルムの学園での生活資金は生家であるリー公爵家に支払わせる。そこで裏口入学資金までも出させてしまえば、あとから何を言われるかわかったものではない、という事情もあった。
故にリルムは入学試験でラスティンと同じクラスに編入するために、現在ラスティンに勉強を教わっている。
「そもそも基礎的な知識はきちんとあるようだ。
難があるのはここ数年で変わった制度くらいではないか?」
「あの…流行などは全然…わからないのですが、それは試験にはならないのですよね」
「勿論。そもそも試験はペーパーテストだ。流行を問うことは難しい。
ただ、節目に行われる学園主催のパーティはある。制服で参加する生徒も少なくはないが…」
「貴族はそういうわけにもいきませんよね。侮られてしまいます」
「正解だ」
リルムの場合学問に関することであれば、好奇心も手伝って学ぶ意欲は十分にある。しかしそれが流行やマナーとなると難しくなってしまう。
学ぶ意欲がないわけではないが、この手のものは慣れが大きい。
公爵家の生まれとはいえ、虐待されて育ったリルムがそれらに慣れるにはそれなりの時間が必要だろう。
それがわかっているため、リルムの表情はどうしても暗くなる。
「そんな顔をするな。
俺がついている。ただ…そうだな。入学して落ち着いた頃、美術館やコンサートに行こうか」
「貴族的な趣味に慣れるため、ですか?」
「それも勿論ある。周囲の貴族たちが芸術を楽しむ様子を見て学ぶことも多いだろうな。
だが、それだけではない。美しいものに触れて、どう感じるか、自分はどういったものを好むのかを知るのも大事だ。
リルム、好きな色はあるか?」
「好きな色…」
問われて考え込んでしまう。今までそういったことを考えたことがなかった。幼い頃は純粋に好きだったものもあった気がするが、地下での日々がそれらを押し潰してしまった。
強いて言えば、不吉の象徴と言われ続けた自分の目の色、紅だけは好きになれそうもないくらいだろうか。
思わず考え込んでしまうリルムの頭をラスティンは優しく撫でる。
「色でも、花でも、香りでも、味でもいい。
君はやっと人らしい暮らしを取り戻して、今はまた試験に追われるという生活になっている。本当なら俺がすべてから守ってやりたいのだがな」
「それは…」
「あぁ、望まない、と言ったな。
であれば俺は君が望むことを全力でサポートするだけだ。それに、リルムがふさわしくありたいと望んでくれたこと自体、俺は嬉しいんだ」
ともすれば冷たく感じる紫の瞳が、愛しさでトロリととろける。同時に、あの芳しい香りが強くなった気がした。
番のフェロモンは、感情によって左右されるのだと最近身をもって知ったことのひとつだ。
「美術館やコンサートにつれていきたいのも、そのサポートの一環でもある。
それに、純粋にデートがしたいというのもある。
受け入れてくれるか?」
「は、はい」
カアア、と顔を赤くしながらリルムはうなずく。
久方ぶりに向けられる愛情はとても嬉しく幸せな気持ちにさせてくれる一方で、どうしてだかとても恥ずかしい。顔に熱が集まる感覚もそれに拍車をかけた。
「そんなに可愛い顔をされると俺も困ってしまうな。
理性的であれと常々言われて、そのように振る舞ってきたつもりなのだが」
ラスティンはそこで一度言葉を詰まらせ、ぎゅうとリルムを抱き締める。自分とは違う大きく力強い腕にリルムは胸の鼓動を高鳴らせた。
「ラ、ラスティン様」
「どうした?」
「お勉強、お勉強を、しないと…あの…」
バクバクと今にも破裂しそうなリルムの心臓の音にラスティンは恐らく気づいている。ほとんどの獣人は人間よりも五感が鋭敏だ。リルムがいっぱいいっぱいなのをわかっていてやっているのだからとても意地が悪い。あるいは、リルムがそうだとわかっていても愛情表現を止められないだけかもしれないが。
愛される恥ずかしさでどうにかなりそうになりながら、リルムは懸命に勉強へと流れを引き戻そうとする。
「そうだな」
「は、はい。あの次は…」
「だが、離れがたい」
「あうぅ…」
未だ離してくれない優しい腕の檻の中で、リルムは視線をオドオドとさ迷わせる。
「あと三分だけ。
その後はきちんと勉強しようか」
「さ、さんふん…」
今現在でも心臓が過剰労働をしているのに、更に追加とラスティンは言う。自分の心臓が爆発してしまわないかリルムは心配になった。
「君には勉強も必要かもしれないが…。
もっと俺に愛されることに慣れてもらわなければ困る」
「ぜ、善処します…」
こんなにも惜しみ無い愛情を注がれることに、慣れる日などくるのだろうか、と少し疑問に思ってしまう。
そんなことを考えながら抱き締められている間に、リルムは先程のラスティンの問いの答えを見つけた。目線の先には端整なラスティンの顔がある。
「あの、ラスティン様」
「どうした?」
声をかければこれ以上ないほどに甘い声。
優しげに細められた瞳の色も、甘い紫色だ。
「私、紫が好きです。
ラスティン様の瞳の色が、大好きです」
あの真っ暗な地下から出て、一番最初に心地よいと感じたのはたぶん番特有のフェロモンの香りだ。
けれど、それ以外で好きになったのは間違いなくこの瞳だとリルムは思う。
リルムを優しく見つめる色も、シンと真剣な話をしているときの色もどちらも大変魅力的だ。今後学園に通ったときも、きっと彼の瞳は違う紫色を見せてくれるのだろう。
それでも、きっとリルムはその色が変わらず好ましいと感じるはずだ。
そんな気持ちを込めて伝えれば、ラスティンは一瞬フリーズした。
「…理性、理性だ…」
ボソ、とラスティンが口の中で何事かを呟く。
「え?」
「こちらの話だ。
それよりもリルム」
「はい」
「可愛すぎるので10分追加だ」
「えっ? きゃあ!」
言うが早いか胸元が密着するほど強く抱き締められる。ドクドクと早まる鼓動が触れた部分を通してダイレクトに聞こえてしまっているはずだ。それを自覚してリルムは薄れた恥ずかしさが戻ってくるのを感じる。
「ラ、ラスティンさまぁ…」
「まだ追加してほしいか?」
「そ、れは…」
抱き締められるのは好きだが、同時に燃え上がるほどに恥ずかしい。なんと表現していいかわからずモゴモゴとしている間に、無事10分という時間は過ぎていった。
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