06
「今まで本当にありがとうございました」
シン達が留学の拠点として借り受けている屋敷の中で、リルムは深々と頭を下げる。
ラスティンが甲斐甲斐しく世話をしてくれたお陰で体調は以前よりも良いくらいだ。傷跡は残ったものの、痛む傷はもうない。
それから、人に怯えなくとも良くなった。この屋敷の人間がとてもよくしてくれたお陰だろう。ちょっとした機会を見つけては貴族令嬢としての振る舞いを教えてくれる。その際に淑女としての振る舞いだけではなく様々な知識も与えて貰った。今後ラスティンの家に嫁ぐとなれば知っていて損はない知識だ。
この世界の情勢のこと。
ラスティン達の国であるガズム国のこと。
獣人の風習や番について。
療養させてもらったほんの少しの期間で、リルムはかなり成長できたと思っている。
実際、番という欲目がないシンから見ても、多少のぎこちなさはあるものの貴族の令嬢として及第点は貰える振る舞いは出来ていた。
そんな感謝を伝えたくて頭を下げたのだが、ラスティンは少し勘違いをしたようだ。
目を見開いて固まっている。
「…ラスティン様?」
「あー…うん。面白いから黙ってていい?」
「シン様? あの…」
固まるラスティン、オロオロするリルム、そして大変楽しそうな笑みを浮かべるシン。ここのところ良く見かける光景である。普段は冷静な男が番の一挙一動で振り回されている姿を見るのは。シンにとって大変楽しいらしい。
とはいえ、女性を困らせるのは紳士としてよろしくない。そう判断したシンは助け船を出した。
「ふふ、リルムちゃん。今のだとこのまま此処を去ってしまう人の挨拶っぽいよ。
ラスティンはそう勘違いしたっぽいんだけど、どう?」
「此処を去る…私が、ですか?」
「ち、ちがうのか?」
「私はラスティン様が「いらない」とおっしゃらない限り傍を離れるつもりはないのですが…」
「そうか…良かった」
ホッと安心して息を吐くラスティン。
「私、此処にきてから本当に良くしていただいて…だからこそ、このままではダメなのかなって思ったんです。
でも、お世話になったのは事実なので、まずはお礼を申し上げないと、と思って…」
リルムはあまり言葉を操るのが上手くない。あのような環境では無理もないことだ。それを理解しているから、ラスティンもシンも言葉を急かすことはない。
「それで…ここに居る皆様にもお礼を申し上げたんです。
そしたら、まずラスティン様とシン様にと言われて…それで言ったのですが」
「なるほどなるほど。
なんか使用人達も張り切ってたもんねぇ。カタブツラスティンの嫁候補だもん。気合いが入るって感じ?」
「まぁ…リルムが苦労しないのは良いことだ。その点については俺からも礼を言っておかねばならんな」
「あの…それで、なんですけど。
私も一緒に学校へ通うことは可能でしょうか?」
リルムには圧倒的に知識も経験も足りない。
ラスティンに愛されて、囲われるのも悪くはないと思う。この匂いに包まれて、ずっと安心できる場所にいるというのはとても魅力的だ。そう願えばラスティンはずっとリルムが怖い思いをしないように取り計らってくれるだろう。
けれど、リルムはラスティンも幸せになって欲しい。
万難をラスティンに排して貰い、ぬくぬくと居心地のいい場所にいることはきっと幸せだ。けれど、それは全ての苦労をラスティンに被せるだけに過ぎない。
「私は、守られてるだけは嫌だって思ったんです。
ラスティン様に大切にして貰うのはとっても幸せで、心地よいとは思うんです。
でも、私は一緒に苦労したいです。一緒に頑張って、周りの方にも祝福されたいです。
私は…ラスティン様に相応しい人になりたい」
この気持ちが番だからなのか、それとも自分の意思なのか、リルムにはまだ分からない。ただ、受けた多大なる恩を返したいのだ。
「おーい…ラスティン、息してるかー?」
「………」
「あ、ダメだ」
「あ、あの…」
「いやー今のはリルムちゃんも中々のモノだったと思うよ?
そもそもなんで俺この場にいるの?
あまーい、すごいあまーい、誰かコーヒーよろしくー」
「シン、すまない。ちょっと黙っててくれ」
「…っ!?」
暫く固まっていたラスティンだが、やっと正気を取り戻したかと思うとぎゅっとリルムを抱きしめた。驚いて声を上げそうになるが、反射的に悲鳴を飲み込んでしまう。
そもそもラスティンに害する気持ちは毛ほどもないのだから、悲鳴を上げる必要もない。落ち着いてコテンと甘えるように身を寄せればラスティンがフルフルと震えだした。
「あの…」
「俺の番が健気可愛い…」
「あぅ…」
ここ数日でわかったことだが、ラスティンは口下手なリルムと違い語彙力が豊富だ。可愛いキレイから始まり様々な言葉でリルムを褒め始める。しかも、それが無意識に口から出ているようでシンが呆れているのもセットでよく見るのだ。
それが、少し恥ずかしくて、それ以上に嬉しい。
「あの…嬉しいです。ラスティン様」
「…やっぱすぐ結婚したいのだが」
「阿呆。リルムちゃんの決意を台無しにするつもりかお前は。
話の流れ覚えてる?」
「わかってる!
だが、こんなに可愛い俺の番を人目に晒すなど!!」
「人目に触れるのは…ちょっとまだ怖いですが、頑張ります、ので…」
「イイヨイイヨー。そこは俺が王子権限でなんとかしちゃう。
っていうか、そもそもこの国ガズムの番探しのために全員学園行く義務あるじゃん?
なら、リルムちゃんもいかないとおかしいからねー。
大丈夫、学費は実家から搾り取らせるからさー」
この国では、12歳になると学園へ通う義務がある。勿論、ガズム国の獣人の番探しのためだ。富める者も貧しい者も関係なく12歳になれば学園へ通う。そこで番と出会えればよし、そうでなくてもきちんと勉強すれば職が掴めるかもしれないとあって平民には人気の制度だ。
逆に、貴族にメリットはあまりないため毛嫌いする者が多かった。特に未来の王子妃予定だったエルムは、獣人に見初められては大変とほぼ通っていない。
ただ、貴族に不人気なだけで、ガズム国の援助もあり教育内容はなかなかのものだ。そこで一定の成績を修めれば、ラスティンとの結婚に異を唱える者は減るだろう。
「実家から…ですか?」
実家という一言にリルムが怯えを見せる。それは無理もないことだ。体の傷は癒えたが、数年間に渡り虐待された心の傷はそう簡単に癒えるものではない。
「大丈夫だ。君が関わることはない。
シンがどうにかする」
「お前の番だろ!
まぁいいけどさぁ。てか、実際問題リルムちゃんの実家へのアレコレがまだすんでなくてさー。
あっちもリルムちゃんの学費で手をうつって言えば諸手をあげて喜ぶんじゃない?」
「それだけでは生ぬるいがな。
だが、司法的に考えればそれが妥当だろう…腹立たしいことに」
やりようによってはリルムの生家であるリー公爵家に打撃を与えることはいくらでもできる。もちろん、法に則って、だ。
しかしながら、それで誰かが得をするかと言えば否だ。ラスティンの溜飲が下がる程度。番であるリルムに関して見境がなくなりがちなラスティンではあるが、そういった判断に関してはまだ理性が残っている。ここで理性を無くしてしまえば「番に狂った」と言われても仕方がないことをわかっているからだ。
「ま、そんなわけで君は気にせずラスティンと一緒に学園で勉強するといいよ。
ラスティンの立場上俺とも一緒だけどねー」
「はい、よろしくお願いいたします」
こうして、リルムは学園に通うことを決めた。
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