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怒っている。
リルムはどこかで別の部分で自分の事を冷静に見ていた。自分も、そしてエルムも。
このまま怒りの衝動に任せれば、リルムは大声を出し、控えている人達が出てきてくれるだろう。そしてその後は、二度とエルムに会うこともない。
ではエルムはどうなるだろうか。
何度となく、リルムを酷い目に合わせてきた妹。それがラスティンの認識だ。彼は一度もエルムの名を呼ぶことはなかった。忌々しいと思っていることは間違いない。
前回リルムが罵倒されたときは、学園内だった。だから、学生同士の諍いとして処理された。学園内での身分は、誰であれ平等だから。
しかし、今はそうはならないだろう。
ここはガズムの第二王子が留学のために借りている屋敷だ。いわば小さなガズム国と言っても良い。そこで起きた諍いは学園内のように平穏な目で見られることはない。
(…何か、変だわ)
違和感がある。
エルムは、閉じ込められていたリルムと違い、社交もできるはずだ。
ではなぜ、わざわざリルムを怒らせようとするのか。ただの謝罪であれば、余計なことを言う必要は無い。ただ、心から申し訳ないとだけ繰り返せば良いのだ。
けれど、エルムはそうしなかった。
なんのために?
そこまで考えると、すぅっと頭が冷えていった。
「…もう結構です」
「は?」
「結構です、と言ったのです」
「どういうこと?
この期に及んであなたは私を放置しておくというの?
バカみたい!
悲劇のヒロインらしく、悪者を断罪すればいいじゃない!」
思っていた反応がこなかったのか、エルムが焦りを見せる。
それで、確信した。
「私を、あなたの思う悲劇のヒロインにしないで」
エルムは、物語を完結させにきたのだ。終わりの礎のために、断罪されにきた。
この後、リルムを害したとわかればこの屋敷の人達はエルムをタダでは帰さないだろう。
それがエルムの狙いだった。遠回しな自殺と言ってもいいかもしれない。
「罰を受けて終わりにしようとでも言うのですか?」
冷静なリルムの言葉に、エルムが言葉を詰まらせた。
今の法律では、エルムに罰らしい罰は与えられない。確かに、王子妃候補にまで上り詰めた少女が平民落ちするというのは一般的に言えば生きていけないほどの恥辱だろう。
けれど、それでは足りないとエルムは考えたのだ。
エルムは賢い。そうでなければ王子妃候補として王妃に気に入られることなどまずないはずだ。
このまま平民として生きていっても、在学中に自分の有能さをアピールして生きていくだけの才覚はある。その人生を、エルムは良しとしなかった。
「悲劇のヒロインがそれを克服してハッピーエンドに向う。それは、とても大衆受けするお話でしょうね。
けれど、私はあなたが書いた台本に沿って動くつもりはありません。
私の物語は私が決めます」
今までのリルムは過去に囚われていた。ちょうど、今のエルムのように。
エルムは一人の女性として生きていけばいいのにも関わらず、王子妃候補であったプライドから自滅しようとしているのだ。
その姿を見て頭が冷えた。
リルムはリルム。他の誰でもない。その当然のことに、今やっと気付けた。
「……ほんと、大嫌いだわ…あなた」
ここにきて初めて、エルムの感情が見えた気がした。先程の虐待に関する見解も嘘ではないだろう。けれど正直な本音でもない。
流石、王宮で鍛えただけはある。
けれどもう、今のリルムにとっては、エルムから向けられた感情が何でも関係なかった。
「ありがとうございます。
私は、あなたに感情のリソースを割きたくありません」
エルムにされたことの数々は消えないし、記憶だって消えない。けれど、そのことに対してなんらかの感情を向けることすら、もうしたくないのだ。
体に傷跡はあっても、それを見返してはため息を吐くような生活はしたくない。
「なんでそんな飄々としてられるのよ。
憎みなさいよ、聖人面してんじゃないわよ…。
私の憎しみは何処に向ければ良いのよ!」
「知りませんよ、そんなの」
エルムの境遇にも、同情すべき点はある。だからといって、リルムがエルムに同情するかと言えば話は別だ。一番被害を被っていたのはリルムなのだから。
それでも、ほんの少しの情はあった。
幼い頃、わけもわからず家族が増えたと喜んだ日の名残だ。
「私よりも3つも下で、良い育ちで、上等な教育を受けているじゃないですか。
勝手に生きて下さい。私があなたを許すことはあり得ないですけれど…。
あぁ、それと、これからの私の人生に関わらないでください」
少しだけ、ラスティンの顔が浮かぶ。
妹を許せない狭量な自分を、ラスティンは嫌ってしまうだろうか。
けれど、これだけは譲れそうにない。
リルムは聖人君子ではないのだ。
「頼まれたって関わるもんですか!
…さようなら。精々苦労するといいわ」
「その言葉、そのまま返します」
泣きそうに顔を歪めながら、エルムは去って行った。
断罪を受けることがエルムなりの謝罪だったのだろう、と思う。
けれど、エルムを断罪したところでリルムの傷跡はなくなりはしないのだ。そして、傷跡を見返す度に何度でも思い出す。そんな不毛なことを今後もしたいとは思わなかった。
穏便にエルムを屋敷の外へ送り出す。
もう二度と会うことがない肉親。
思っていたよりも感慨はなかった。
そんなことよりも、早くラスティンに会いたかった。
「リルム!」
今はどの部屋にいるだろうか、と考えていた矢先、屋敷から声がした。聞き間違えるはずがない。ラスティンの声だ。
思わず嬉しくなって振り返る。
「ラスティン様!」
そこには心配そうにリルムを見つめるラスティンがいた。
姿を見て、番の香りに気付いてホッとする。やっと、終わったという気持ちになれた。
それが嬉しくて、珍しくリルムの方からラスティンの腕の中へと飛び込んだ。
「っ…!?
うむ、たまにはこういうのも悪くないな」
「終わりました、ラスティン様」
「…いいのか? 帰してしまって。
言い合いをしていたという報告は受けているが…」
「言い合いは…最初で最後の姉妹喧嘩みたいなものでしょうか。
もういいのです。やっぱり謝罪をされても私はどうしても許すことはできそうにありません。
…嫌いになりますか?」
そこだけが一番の不安なところだった。
どうやっても許すことはできそうにない。けれど、自分の手を汚すことも、ラスティンの手を汚すこともしたくなかった。
無関係になれるのであればそれでいい。許さないままで、もう終わったことにする、それがリルムの選択だ。
それを、ラスティンがどう思うか、それだけが心配だった。
「アレを許そうと許すまいと、リルムはリルムだろう?」
優しく頭を撫でられる。
その態度からも慈しまれているとわかる。そういえば、この暖かい掌の存在を疑っていたんだっけ、と思い出す。
正確には、番だからこその優しさであり、ただのリルムならば愛されないのではないかと思ってしまったのだ。
今は、その思考を少し面白く思ってしまう。
何をしようとも、リルムはあの地下室にいたころのまま、自信が持てなかったのだ。
けれど、今のラスティンの言葉で吹っ切れたように思う。
「その言葉がとっても嬉しいです」
「ただ、そうだな。
もし、許すと言っていたら聖人すぎて心配になったかもしれないな」
「謝罪をされたら受け入れる、というのが度量の示し方ですものね。けれど、私は度量が狭いので流石に無理です」
「当然だ。だが、同じ事をやり返したところで気が晴れるわけでもなし、同じ土俵に落ちるだけだからな。とはいえ野放しなのも…」
「いいのです。
今後の私の人生に関わらないでくれればそれで…。
過去に、家族に時間を使うよりも、私はラスティン様との未来に時間を使いたいので」
本心からそんな言葉が出た。
「…リルムはずるいな。そう言われてしまえば、俺も納得せざるを得ないじゃないか」
「そもそも、私以外の女性のことを考えたらイヤです。嫉妬しちゃいますよ?」
「正直に言えば、嫉妬するリルムはとても見たい気がするのだが…」
「もう…」
他愛もないやりとりだが、今までとは明らかに違った。リルムの遠慮が無くなっているのだ。
ラスティンもそれをきちんとわかっており、今まで以上に嬉しそうに表情を崩す。
「そうだ、ラスティン様。
夕食の後にでも、一緒に瞑想をやってみませんか?」
今ならきっと、番のシステムに頼らなくても大丈夫だと思えた。
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