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エルム視点の話になります。
エルムは通い慣れた王宮までの道を歩いていた。といっても、歩くのは初めてだ。いつもは馬車で向かっていたからだ。整備されている道とはいえ、今のエルムには途方もなく遠い道のりに見える。
今、エルムの顔は腫れ上がり、体にはあちこちに痣があった。
父にリルムへの謝罪を口にしたあの日から、エルムはリルムの代わりに殴られるようになった。ただ、父の代わりに実務をこなしていたため、リルム程酷くはないのは幸いだった。こうやって外を出歩ける程度の自由がある。
それは、今はなんの慰めにもならないけれど。
「…私が見ていたものってなんだったのかしらね」
ポツリと呟けば唇の端がまた切れた。王子妃候補として蝶よ花よと育てられていた頃からは考えられない状態だ。頬は腫れ上がり、足も引きずっている。
優しい父と母だと思っていた。けれど実際はリルムという犠牲の上に成り立つ虚構の姿でしかなかった。それと同じように、自分自身も虚構でしかなかった。
何もないちっぽけな存在。それを痛いほど噛みしめている。
それでも、最後にやらなければならないことがあった。
この道は、王宮への道の中でもわずかな人数しか知り得ない場所だ。もしかしたら、王子ですら知らないかも知れない。我が子のようにエルムを可愛がってくれた王妃が教えてくれた道だ。
何もかも嫌になったときにお使いなさい、と優しく微笑んでくれた人。その期待をずっと裏切り続けていたのだと思うと胸が痛い。
「…着いた」
痛む足を引きずり辿り着いた先は、キレイに整えられた四阿だ。
まだ、待ち合わせた相手、王妃は来ていない。痛む体をなんとか支えてエルムは立つ。今のエルムには座る権利すらない。そもそも、謁見できるような立場でもないのだ。
「…待たせてしまいましたか」
穏やかな声が聞こえた。
聞き慣れた優しい声が、今は強ばっている。そうせざるを得ないようにしたのはエルム自身だ。じわりと涙が滲む。だがその感傷を振り切って、エルムは地に頭をこすりつけた。
「…っ!」
王妃のショックはどれほどだろうと思う。娘のように慈しんできた人物が、実は姉を迫害する外道だったなんて。
そして、今その外道が額を地にこすりつけている。
何を思ったかまではエルムにはわからない。息をのむ音だけが聞こえた。
「不躾ながら、お願いがございます」
「……」
返事はない。立場を考えれば仕方の無いことだ。エルムはもう会話をすることすら、本当であれば姿を見せることすら許されない。
けれど、最後の温情で会いに来てくれた。それだけで十分だ。
「ここに、リー公爵家の不正の証拠があります。
わたくしの力では、父の権力の前に握りつぶされるかもしれません。どうか、お力をお貸し下さいませ」
背負ってきた書類の束を差し出す。
薄汚いそれは、エルムが家族の目を盗んでかき集めた証拠の数々だ。多分叩けばもっと埃が出るだろう。けれど、今のエルムの立場ではそれが限界だった。
誰かが動く気配がする。
恐らく王妃付の侍女だろう。彼女にも本当に良くして貰った。彼女が、エルムの差し出した書類を受け取ってくれたようだ。
書類を確認する音だけが響く。
「顔をあげなさい」
暫くの時間のあと、優しげな声が響いた。それだけで泣きたくなる。
少しだけ迷いながら、エルムは顔をあげる。王妃の命令に背く権利などありはしないのだから、と言い訳をして。
腫れあがった顔のまま、まっすぐ王妃を見据えた。
「…っ。髪を、どうしたのですか」
今、エルムの自慢だった長い金髪は見るも無惨に肩よりも上のラインで、ザンバラに切り取られている。長く美しい髪がステータスである貴族の娘にはあるまじき、はしたない姿だ。いや、町娘であってもこんなにも無残に刈り取る者はいない。
「今後の生活費のために、売りました」
これからきっと、リー公爵家は法にのっとって裁かれるはずだ。そのときに、エルムが家の資金を持ち出していいわけがない。
長年の細々とした不正は膨れ上がっている。罪を公表し、リー公爵家を取り潰す。対外的にはそれでなんとか体面を保てるはずだ。けれど、お金はその限りではない。リルムへの賠償金などで既に傾きかけていたリー公爵家だ。エルムが暮らしていくために、と勝手に持ち出すわけにはいかない。
リー公爵家の娘という肩書きを外したエルムに売れるものはもう髪しかなかった。
「今後はどうするのです」
「沙汰を待ち、許されるのであれば修道院へ行きたいと思っています。
それから…謝罪も」
リー公爵家の罪自体は、エルムには余り関係ない。公爵家当主である父と、その妻である母の問題になるだろう。あのプライドの高い両親のことを考えれば、いっそ死刑の方がマシだったと言いそうな未来が待っているはずだ。
ただ、その罪を子が負うことは稀だ。
大概は平民に身分を落として、今まで通っていなかった学園の寮で生活をすることになる。そこで今後自分の足だけで立てるように必死にもがくのだ。
罪を犯すような親に今まで甘やかされて育ってきた貴族にとってはこれだけでも十分な罰だと言える。
ただ、エルムはそれだけですまされてはいけないのではないか、と思っていた。
だからこその修道院だ。卒業してからの人生を神と、それから、そこに来る子供たちに捧げようと思っている。
そのためにも、許されるならば形式上だけでも謝罪をしたい。
「…古代ラジラ帝国の逸話を覚えているかしら」
「はい。誤って隣国ベルググの太子を殺め、謝罪の機会すら設けられず滅ぼされた国、です」
王妃の言いたいことはわかる。
謝罪したいと思ったとしても、相手がその謝罪を受け取るのかは別なのだ。今ならベルググの怒りがわかる。習った当時はなんて心の狭い馬鹿な国だと思っていた。
「本当に、あなたは…」
そう言って一度王妃は言葉を詰まらせる。
王妃にとってエルムは我が子のように可愛がっていた少女だ。とても聡明で可愛らしく、時には実の息子である王子よりも贔屓にして、周りから窘められるほどに。身分というしがらみがなく、ただの母娘であればどれだけよいかと願った日もある。
それほどまでに可愛がっていた少女の罪に気付けなかった自分を責めているのかもしれない。
だが、次の瞬間には、一人の義理の娘を持つ親から王妃の顔へと戻っていた。
「今言うことではないでしょうけれど…あなたはとても優秀な生徒でした。それだけに、うわべだけしか教えられなかったこと、ふがいなく思います」
「いえ…私が考え足らずだったのです。
…そろそろ失礼いたします。本当に、お世話になりました」
エルムは心を込めて最後の一礼をする。
その日。
リー公爵家は何者かからの密告により百以上に及ぶ罪が告発され、取り潰しとなった。当面は遠縁にあたる人間が領地の経営を国の代理で行う、と取り決められた。
これにより、リー公爵家当主夫妻は余罪追及のため投獄。のちに、ほぼ資源が取り尽くされたといわれている鉱山での労働が決まる。主に死刑囚などが死刑までの間服役する場所で、ひと思いに死刑にしてくれと言う者があとを絶たない場所だ。
夫婦は最後まで「娘のせいだ」「アレのせいだ」「いや、伴侶のせいだ」と、口にしていたという記録が残されている。
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