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エルムは王子妃候補として、学業は全て王宮で行っていた。
優秀で覚えもめでたく、王妃のお気に入りだったエルムは学園に通ったことなどほんの数度しかない。通常の貴族であれば試験を受けるために多少は通わなければならない。だが、万一、番として見初められては困るということで王子共々学園に来たのは人が居ないときだけだった。
しかし、王子妃候補を解任された今、最低限エルムは学園へ来なければならなかった。それが、とても腹立たしい。
(番だかなんだか知らないけれど、アレが調子にのるから…。
アレのせいで私の人生はめちゃくちゃよ!)
リルムが出て行ってからのリー公爵家は大変だった。
まずエルムの王子妃候補解任。そして、多量の始末書やお金の処理。そこへ更にずうずうしくもリルムが学園へ通うからその費用も出せという。
父の手伝いとして書類整理をしていたエルムは、その書類を見つけたときに思わず衝動に任せて引き裂いてやろうかと思ったほどだ。かろうじて踏みとどまったのは、どんなに馬鹿げた内容であれ整理していた書類が王から直接下されたものだと知っていたから。
少なくとも、エルムは現状が全てリルムのせいだと思っていた。
そして現在置かれている立場も、全てリルムのせいだと思っている。
風紀委員だとかいう人間に取り押さえられ、罪人のように引きずられて小さな部屋に閉じ込められた。
目の前には風紀委員長を名乗る女がいる。
「まぁ今回は初犯、というかなんというか。
学園の規律なんかを知らなかったため厳重注意でとどめることにします。
ですが、ご家庭へはしっかりと忠告いたしますので今後改めるように」
リルムたちと一緒のときとは打って変わった固い口調。サーシャのお仕事モードだ。
風紀委員は文字通り学園内の風紀を守るためにある。狭い学園の中ではどうしても勘違いをする生徒が出てくるのだ。それを正すためにある程度の権力が与えられた者、それが風紀委員である。
リルムとエルムの事情は学園の貴族であれば誰でも知っていることだ。
それはそうだろう。手塩にかけて育てていた王子妃候補の解任というスキャンダルだ。貴族であれば興味を持たない方がおかしい。だからこそ、風紀委員はエルムの動向を警戒していた。恐らく勘違いをしたまま学園で過ごし、なんらかのトラブルを起こすだろう、と。そしてその予想は的中した。
「まず、あなたはこの学園ではただの一般生徒です」
「私はリー公爵家の娘よ!」
「いいえ。この学園ではだれそれの娘息子という称号になんの価値もありません。
というか、よくその名を名乗れますね。私なら恥ずかしくて出来ません」
「どういう意味! 家を侮辱するのは許さないわよ」
「侮辱ではありません。リー公爵家は多数の罪を犯し、その償いに奔走しているではありませんか。学園内でその名を名乗るということは『私は犯罪者一家の者です』と吹聴して回っているようなものですよ。
それだけではありません。あなたはリー公爵家の次女を名乗ることで、リー公爵家長女の慈悲で生きながらえているに過ぎないということも公表して回っていることになります」
「アレの慈悲ですってぇ!?」
エルムの頭に血が上る。
確かに、リー公爵家は奔走している。けれどそれもこれも全てリルムが悪いのだ。根本的にはアレが生まれてきたから悪い。公爵家内ではそれが合い言葉のように呟かれ、連帯感を増していた。
その様子を、サーシャは冷ややかに見つめる。そして、落ち着いた声でこう言った。
「元王子妃候補と恥ずかしげもなく名乗るのですから、この国の法律はご存じですね?」
「当然じゃない!
今度は家だけでなく私を侮辱する気!?」
「他者に暴行を加えた場合、その罪はどうやって償うと決められていますか?」
突然の質問に困惑する。こんなのは元王子妃候補でなくとも知っている知識だ。
当然のようにすらすらと解説を交えてエルムは答える。
「では、この場合の他者の定義は?」
「自分以外の人間全てよ。親族の場合は更に罪が重くなるわ」
そこまで口にして、エルムの脳裏に何かひっかかった。
その引っかかりを見透かしたようにサーシャが質問を重ねる。
「では、あなたとリルムさんの関係は?」
「…っ! それは、でも…」
リルムはエルムの異母姉だ。
この国では血が繋がっていなくても親族の定義に当てはまる。そして、半分だけであれ血が繋がっているリルムは間違いなく親族という定義に当てはまった。
言葉に詰まるエルムを見て、サーシャは別の質問を投げかける。
「貴族が罪を犯した場合、平民と比べてどういう扱いを受けるかもご存じですね」
「…罰金であれば、庶民の3~5倍。それと被害者には別途治療費と慰謝料を支払うわ。
でもあれは…」
あの女は疫病神で、殺すのは忍びないから生かしているだけの奴隷のようなもの。
エルムはそう認識している。そう認識していたのに…。
(…どうして、そう認識したんだっけ)
ズキズキと頭が痛む。
何か、重大なことを見落としているような気がしてならなかった。
そんなエルムの心理を知ってか知らずか、サーシャは言葉を続けた。
「世界には数多の国がありますが、我が国には奴隷制度はありません。ご存じですね?
ですので、他者に暴行を加えた場合は一つの例外もなく裁かれます。証拠も医師の診断も十分、何より加害者が恥ずかしげもなく公言している。裁判があればこれほど楽なものもないでしょう。
もっとも、裁判は起こさなかったようですが」
サーシャが言っていることはわかる。リー公爵家の現状だ。
エルムは裁判を起こすべきだと主張した。だって、あの女は人間ではない。疫病神なのだ。だから何をしようともコチラが罪に問われる謂われはない、と。母と共に主張した。
けれど、父はあらがいもせずに全てを受け入れた。
あのときは何故と憤ったものだが…。
「…あなたの境遇には多少なりとも同情します。
本来であれば無条件で信じられるはずの両親が、揃って道を踏み外していた。いわば優しい虐待の被害者です」
硬質だったサーシャの声音にほんの少しだけ同情の色が滲む。
けれど、エルムはそれに気づけなかった。それよりも言われた内容の方が衝撃的だったからだ。
何かに気づきかけているエルムに構わず、サーシャは言葉を続ける。そのときにはもう声音は元に戻っていた。
「しかしながら、あなたには気付く機会が多く与えられていたはず。
次期王妃教育は王妃たる資質を育てるために、普通の貴族教育の何倍も厳しいと聞いています。法律も倫理も幾度となく学ぶ機会があり、あなたはその全てに目を背けてきた。
その結果が現在です」
現在のエルム。
それは王妃候補ではなくなった、公爵家の娘。しかも、その公爵家も罪を犯し、ともすれば風前の灯火だ。
「…学園ではみだりに公言しなければ家名は関係ありません。
あなたはただのエルムです。
この学園の中で、あなたが何かになれることを期待していますよ。
まずはこちらの校則に目を通してください。今後学園に通うのであれば必ず全て知って実践しなければならないことです。…本来であれば常識的なことしか書かれていないのですが、この部屋にくる方はいずれも常識が欠如している傾向がありますので。
もう二度とこの部屋に訪れることがないよう十分注意してください。二度目に情状酌量はありません」
そういうとサーシャはエルムに分厚い冊子を押しつけた。このくらいの分量であれば、エルムからすれば大した分量ではない。
けれど、今はそれどころではなかった。
狭い風紀室から逃げるように去り、エルムは呆然と呟く。
「違う…違うわ…だって私は…」
何が違うのかはエルム本人にもわからない。
ただエルムは何もかもを否定したかった。
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