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水仙の際の

作者: 齊藤さや

「雨降ってきたな」

「雨……って言うより、みぞれ雪っぽいですよ、先輩」

「そっか、(いず)れ積もるんだろうな」

「先輩ってロマンチストですね」

「そうかな」


 窓に張り付いて、降ってくるものを愉しそうに眺めている紗良ちゃん。僕はといえば、フラスコをアルコールランプで温めながら、淡々と液体を混ぜている。寒いから、砂糖の飽和水溶液でも作ってみようと思っていた。

 そう、僕達は科学クラブ。名ばかりの幽霊部員がほとんどなおかげで、週一の活動日でも来るのはせいぜい三、四人。今日なんか僕と紗良ちゃんだけ。先生は来ないけど、事前に相談すれば大概の実験はやらせてくれる、自由なクラブなのだ。流石にネズミの解剖は断られたけどね。

 紗良ちゃんは一年生。春には他にも十人くらい一年生が入ってきてくれていたんだけどね、今じゃみーんな辞めてしまった。でも紗良ちゃんは残ってくれた。

 というのも、紗良ちゃんは僕に気があると思うんだ。今だって、"窓の外"をずっと見てる。

 おっと、考え事しながら手を動かしていたら、もう飽和状態を過ぎているじゃないか。今入れた一グラムの砂糖の粒が、形を変えること無く底に溜まっている。


「あぁ、やり直さなきゃ」


 ふと出てしまった声量に、紗良ちゃんがぴくりと反応してこっちを向いた。


「先輩、大丈夫です?」

「ちょこっと失敗しただけだよ、怒ってなんかいないよ」


 そう応えると、また窓と向き合ってしまった。全く、恥ずかしがりやなんだから。


 実験器具を洗い終え、干していると、下校時刻を告げるチャイムが鳴った。遅れると指導の先生に叱られるので、急いで帰り支度を始めたが、紗良ちゃんはまだ窓を見続けている。もしかして……。


「紗良ちゃん、傘、無いのかい」

「はい、そうなんです。友達に貸した折り畳み傘、まだ返して貰えてなくて」

「誰だい? その子」

「えっ? あ、もしかして先輩って傘二本持ってたりします?」


 ほんとは持ってないけど、可愛い紗良ちゃんの為なら仕方ない。


「貸してあげてもいいけど、なんなら一緒に帰らない? 足下悪そうだし、紗良ちゃんが滑ったら危ないから。うんそうだそうしよう。両手空いてないと危ないからね、僕がさしてあげる」

「いや、いいです。傘だけ借りられますか?」

「はは、冗談だよ。そんなに固くならなくても。はい、どうぞ」


 なぜか一歩下がってしまった紗良ちゃんに、僕の黒い傘を差し出す。紗良ちゃんは受け取ると、そそくさと帰ってしまった。いつも一緒なのにさ、変なの。さて、濡れて帰るか。



 次の活動日、紗良ちゃんはちゃあんと傘を持ってきてくれた。しかも乾かして、貸したときよりも綺麗に畳んで。いい子だから頭を撫でてあげると、「いやん」だって。素直に喜んでくれていいのに。傘のお礼に何かいいお返しは無いかな。


「そうだ、今度お茶でもしない?」

「いいです」

「遠慮しなくていいからさ。来週の水曜なんてどう? 僕がよく行く美味しいケーキ屋があるんだ。好きでしょ?」

「そりゃあ好きですけど」

「じゃ、付き合ってよ。奢るからさ」

「それならいいですよ。でも、今回だけですよ?」


 かくして、僕達は付き合うことになったのだ。


 紗良ちゃんとは、何度も食事に行った。何でも美味しそうに食べながら、キラキラ笑う笑顔を眺めているだけで、僕はいつもお腹がいっぱいになった。

 ベタだけれど、水族館にだって行った。色とりどりの魚がひとつの水槽で泳いでいるのを見て何枚も角度を変えて写真におさめたり、イソギンチャクやなまこを気持ち悪がったり、近づいてきたサメに思わずワッと声をあげて驚いていたり。僕としては、魚なんかよりずっと、紗良ちゃんの方が見てて楽しかったよ。しかも帰り際に、お揃いのイルカのキーホルダーを買えて、僕は大満足だよ。早速次の日から、通学カバンに付けてくれたよね。今週末はどこに行こうかな。僕はどこまでだってついていくよ。


「おい向山、昼休み職員室に来てくれるか?」


 ぽん、と肩に手が置かれ、名前が呼ばれた。僕は廊下を歩く足を止め、振り返ると、声の主は科学クラブの顧問の先生だった。


「僕、部活のことで報告忘れか何かしちゃいました?」

「いや、そうじゃないんだが、まあ部活のことではあるな」

「あ、地区研究発表の結果ですか」

「それはまだ来とらん。ともかく昼休みだ」

「用件くらい教えてくださいよ」

「えー、ほんとに身に覚え無いのか……流石だな」

「ありがとうございます」

「褒めてない。あのな、えー、……部活?……のことで津曲さんから相談を受けてだな」

「津曲さん?」

「とぼけんでいいから、ともかく職員室に来るように。いいな?」

「嬉しい話でないことはわかりました。昼休みですね、必ず」


 そう返事すると、先生はため息をつきながら戻っていった。しかし誰のことだ?





────────────────





 まだ糊のきいた制服に変なシワが付かないように注意して、体育館のパイプ椅子に腰かける。今んとこどの部活に入るかは決めてないから、部活紹介は聞いておかないとね。でも、前からつめてと言われたから座ったけど、最前列は気合い入ってるみたいでなんか居心地良くないな。

 隣に座った子とおしゃべりしながら待っていたら、紹介が始まった。最初は運動部かららしい。マネージャーも捨てがたいけど、バイト出来ないほど忙しくなっちゃうかもしれない。どこも週4回とか活動日あるのか……週1なのは軟式テニス部、うーん華がなさそう。後半は文化部の説明。運動部と違ってユニフォームを着てないから、説明が面白くないと印象に残らないな。後方の席の子達なんて、ドラマの話で盛り上がってる。最後に吹奏楽部が2期前のアニメのオープニングを吹いて、部活紹介は終わり。比較的静かだった体育館が、終わった途端にざわざわに包まれた。


「酒井さんは部活決めた?」


 隣に座った子に訊いてみる。要点をメモする徹底ぶりだったから。


「うん。文芸部にしよっかな、なんて。あたしね、本読むの好きなんだ。えっと、津曲さんだっけ」


 私はうんと頷く。

「紗良でいいよ、名字堅苦しいじゃん。明日香ちゃんだよね」


 顔がぱあっと明るくなった。


「じゃあ紗良ちゃん、どこに入るか決めた? 決めてなかったら、このあと一緒に文芸部見に行ってくれない、かな?」

「いいよー。私はね、科学クラブなんて良いかなと思ったんだ。理科さっぱりだから、テスト前だけでも教えもらいたいな、なんて。部長さん頭良さそうだったじゃん」


 あとの決め手は、白衣だ。みんな紺の制服だったから、目立ってたんだもん。


「そっか。私も理系科目はさっぱりなんだ。かしこいね」

「ずるいだけだよ」


 こんな風に笑い合いながら、私たちは文芸部の部室に向かった。明日香ちゃんは入部届けを早速書いてたケド、私は入る気は無かった。紙切れをそそくさとカバンに詰めこみ、明日香ちゃんが書き終わるのを待って部室を後にした。



 結局私は科学クラブに入った。他にも新入生は男女とも二人ずつ。説明会じゃ、文化部はどこの部活も部長だけしか出てなかったからわからなかったけど、先輩方に女子はいなかった。私は男っぽいって言われることが多いし、実際話も男子との方が合うから気にしないんだけど。


 初めての部活は、カルメ焼き作りだった。黒板には、何やらアルファベットが書いてあって、部長が説明してくれた。ナトリウムがどうのこうの言ってたけど、さっぱりだった。高校ではこういうのを習うのかと考えると、それだけでげんなりだ。理屈はともかく、カルメ焼き自体はふっくらしてて美味しかった。


 週1回なあなあと通っていると、同期の男子二人は来なくなった。あとで同じクラスの方の男子に訊いてみたが、地域のサッカークラブに入っていて、籍を置くだけが目的だったらしい。それだけでなく、先輩もポツポツ来なくなった。部長いわく、もともと来る方が珍しいらしい。それでも鬼ババアの家に居たくない私は、律儀に毎週行った。




 長い夏休みがあけると、とうとう同期の部員が私一人になった。他の女子二人は、夏休みの間に別の部活に移動していたらしい。私も、ただ実験室に来ているだけで、ぼうっと部活の時間が過ぎるのを待っているだけ。ここなら、携帯出してても怒られないのを知ってしまったし。

 ある日、部活の顧問の先生が私の教室に来た。1年の教科を担当してない先生だから、私を探しに来たのはわかった。案の定、目が合うと手招きされた。ついていくと、相談室に案内された。


「先生、どうしたんですか?」

「君は、部活辞めないよな」

「え、はい。辞めるつもりはありません」


 ほっとため息をついて、先生は話し始めた。


「よかった。そしたら、折り入って頼みがあるんだ。実は部長のあいつな、頭は切れるんだが何をしでかすか分からなくてな……。教師の前では静かだが一度なんか王水を作ってみたいと言われて」

「何ですか? 王水……強そうですね」


 知らなかったので、名前から思ったことを率直に言っただけなのに、不思議そうな顔をされた。


「そりゃ強いかといえば強い……お前知らないのか。まあいい。ともかく、変なもの作ってないか監視しておいて欲しいんだ。その代わりといっちゃあれだが……」


 先生は小声になった。それは理科の苦手な私には魅力的な話ではあった。迷ったが、先生に頭を下げられたら受けるしか無かった。なんだか最近部長に変な目で見られている気もしなくもないけど、もしかして先生のスパイを疑われていたのかも知れないな。おお、怖っ。これからはまさにそうなるんだけどね。

 あとで、危ない実験の名前をメモした紙を貰った。濃硫酸ってのは危ないのは、流石の私でもわかった。


 でも、先生が心配してるほど危なそうな実験をしてるところなんて見たこと無くて、学校も3学期を迎えていた。今日の天気予報は曇り、そうは言っていたけれど、雲はどんよりと厚く、いつ降ってもおかしくなかった。

 授業が終わり、ユニフォームに着替えに行く友人達を見送りながら、私も実験室に向かった。今日も先客は部長のみ。実験に障るからという理由で暖房をつけないこの1階の教室は、鳥肌が立つほど寒かった。


「先輩、おはようございます」

「お、おはよう紗良ちゃん」


 それきり部長は黙ってしまった。ふと窓の外をみると、何か白っぽいものが空から落ちてきていた。窓際の棚に靴を脱いで乗っかると、地面はすでに濡れていた。


「雨降ってきたな」


 私の視線に気付いたのか、珍しく先輩が実験の手を止めて、一緒に外を見ていた。


「雨……って言うより、みぞれ雪っぽいですよ、先輩」

「そっか、(いず)れ積もるんだろうな」


 先輩が愉しげに積もると言ったのは、子供みたいで面白かった。でも私はどうも雪にはならないとみた。降っても、すぐに溶けるよ、こんなべちゃべちゃなみぞれ。


「先輩ってロマンチストですね」


 子供っぽいと正直に述べたら、きっと気分を害すだろう。他の先輩から、部長を怒らせるのだけは止めておけと、忠告をもらっていた。


「そうかな」


 そうのたまう先輩は、やはりどこか浮かれているみたいだ。地面に白い花が一輪だけ咲いていた。その葉の上には、ほんの少し雪が積もっていた。

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