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焦がれるは秋③

「へー、そうなんだ。ここで一通り勉強して、いずれは自分のお店開くために働いてるんだ?」

「まあ、そんなところです」

 僕は適当に答えを見繕って、彼女の質問に答えていた。以前ボスから「探偵であることは隠しておけ」と言われていたことも理由の1つだ。それに加えて探偵という職業は、人によってはあまり良い印象を与えないことがある。彼女の場合は大丈夫な気もするが、彼女の知っている『僕』は『行きつけの喫茶店で働いている新人の猫人の少年』だ。こっちの方が何となく話しはしやすい気がした。

「じゃあお金貯めないとだね」

 彼女は片手で頬杖をつき、もう片方の手で器用にくるくるとペンを回していた。どこに目線を置いていたら良いのか分からない僕は、絶え間なく動くペンを目で追っていた。黒くて光沢のあるペンは華奢な指の間を行ったり来たり、彼女の掌の上で踊らされていた。

 単純に「すごいなぁ」と思って見惚れていると、金属でできたペンの切先が弧を描き、僕の鼻先に向けられた。「ふふ」と向けられた笑顔に耐えかねて、僕は鼻の頭を掻きながら顔をそらした。

 なんなんだこの人……。

 そう思いながらそらした目線を元に戻すと、彼女は変わらず優しくほほ笑みながらそこにいた。

 僕はいつも彼女が座っている席の向かいに座っている。

 今日は事務所での探偵の仕事を終えて、まっすぐ家に帰るつもりだった。事務所に残るボスに挨拶をして階段を下り、ミルで豆を挽く店長に軽く会釈して店のドアの取っ手に手を掛けた時だ。視界の端でちらちらと何かが動いているのが見えた。何気なく振り向くと、いつもの席でテーブルに紙を広げながらこちらを手招きする人がいた。

 一瞬、胸が高鳴ったが自分の事ではないだろうと思って辺りを見渡した。しかし時刻は夕飯前と言う事もあり喫茶店の店内には彼女と店長と僕の三人しかいない。最初は注文だろうと「お伺いしましょうか?」と彼女に尋ねたが「君、この後時間ある?」という予想外の返事に僕は「へ?」と空気の抜けたような声が出た。

「お話ししましょう」

 そう僕に言った彼女は今もペンを回している。僕にはその誘いを断る理由はなかった。というより気づいたら「はい」と返事をしていたし、席に着くとなぜか店長も僕の分の珈琲を淹れてくれてウインクして帰って行った。そして僕は今少し後悔している。カウンター越しに見ているだけでよかったのに、こうして一対一で向き合って座っている。

 僕は人と話す能力が他の人より劣っていることは自分がよく知っている。ましてやシオリは別として、おそらく年上の、しかも女の人とうまく話ができるとは思えなかった。

「君から見て私って何してる人に見える?」

 淹れてもらった珈琲に口をつけていると彼女は僕に訊いた。

「……お仕事ですか?」

「そう、私は何の仕事をしているでしょう?」

 僕はテーブルの上に広げられた原稿用紙に目を落とした。いつか見たときと同じように、まだ何も書かれていない白紙の状態だった。

「小説家さん?」

「うん、違うね」

 彼女は両手でコーヒーカップを持ち、一口飲んで否定した。

 きっとそうだろうと思った答えが違い、僕はいくつか職業を羅列した。作家、ライター、新聞記者、コピーライター。文字を書く仕事を思いつく限り挙げたが、彼女は全てに首を横に振った。

「OL」

「オーエル!?」

 全く関係のなかった職業に思わず声が出た。関係ないじゃないかと心の中でつぶやいた。

「ふふふ。『関係ないじゃないか』って思ったでしょ」

「……だってそりゃぁ」

「ごめんね、いじわるするつもりじゃなかったんだけど」

 彼女の置いたカップがソーサーの上に置かれてカチャンと音を立てた。

「仕事はOL。趣味は小説」君は小説好き?

 はい好きです、と僕は反射的に返事をしていた。そうじゃないかと思ってはいたが、はじめて生物であること以外に彼女との共通点が見つかった気がした。

 それから少しの間、小説の話をした。二人とも好んで読んでいた小説の作風は似ていたこともあって、思いのほか盛り上がった。あの小説は面白かった。ストーリーがよかった。つまらなかった。不思議な文章だった。思い思いの感想を僕らは話し合った。まさかこんなに僕が饒舌に話せるとは僕自身も思わなかった。

 彼女は小説好きが高じて読むだけでは飽き足らず、ついには書く方にも興味が出てしまい、こうして仕事が休みの時は原稿用紙の前に座ってペンを走らせているそうだ。

「つい思っちゃったんだよね。私でも書けそうって……」

 そう言いながら窓の外を眺める彼女の横顔は、さっきまで嬉々として小説について語る彼女の笑顔とは違い、どこか哀愁を漂わせていた。外はもうすっかり日が暮れて、街灯がひらひらと舞い落ちる木の葉を照らしていた。

「あ、もうこんな時間か。引き留めてごめんね」

 彼女は小さな腕時計に目をやると広げていた原稿を片付け始めた。僕もすっかり冷めてしまった珈琲を飲み干し、彼女の分のカップも片付けた。「ありがとう」という彼女に僕は「仕事なんで」と返した。僕がカップを洗って水を拭き取っている間に、彼女はお会計を済ませていた。

 お疲れ様です、と店長に挨拶をして僕は一緒に店を出た。「君どっち?」という彼女に僕は帰り道の方向を指で示すと「じゃあ一緒だね、一緒に歩こうか」と歩き出した。首に巻いたマフラーを翻して歩きだした背中を僕は追いかけて横に並んだ。落ち葉の絨毯が敷き詰められた石畳の道を歩くとカサカサと枯れ葉が音を立てた。

「君は小説の中に入りたいと思ったことある?」

 しばらく無言で歩いていると彼女は口を開いた。

「小説の中ですか?」

 突然何を言うのかと思ったが、僕にとってそれに思い当たる節が嫌というほどある。クラウンという力を持たない僕にとって、魔法の世界や存在しない生物、雄大な大地を旅する主人公たち。そんな小説の中に入りたいと思うことは腐るほどあった。

「私、それができるんだ」

 吐く息を白くしながら彼女は言った。はじめは何かの比喩表現かと思ったがそうではないらしい。

「時々あるんだ。仕事でつらい事があると小説の中に、文字の海の中に飛び込みたくなる時がさ」

「そんなこと、できるんですか?」と僕が訊くと彼女は「うん、できるんよ」とニッと笑った。

「ただ、それをしちゃうともう戻れないことは分かってるんだけどね」

「そういうもんですか?」

「そういうものなのよ……」

 この世界にはそんな人が時々現れる。自分には世界を滅ぼさせる力があるとか、世界の理を覆す力がある。そんなクラウンをもって生まれた人達は、ある時ある瞬間にその力に気づくのだそうだ。「自分にはそれができる」と。彼女もそのうちの一人で『それ』に気づいたのが小学生の頃だという。ただ彼女の場合、他人を巻き込むことがなく、自分だけが小説の物語の中に小説の中の住人として入り込むことができるのだそうだ。そしてその力を使ってしまうと、もう二度とこっちの世界には戻って来られない。

「……それで小説を書いてるんですか?」

 石畳の道が終わり、十字路に差し掛かったところで彼女は足を止めた。

「さぁ、どうだろうね」

 彼女は独り言のように呟くと「私こっちだから」と僕の帰り道とは違う方向を指さした。質問の答えは聞けず仕舞いだったが、僕らはそこで分かれた。別れの挨拶をして彼女に背を向けると声を掛けられた。

「勝負しようか」

 振り向くと彼女はコートのポケットに手を突っ込み、まっすぐ僕に向かって立っていた。

「私は小説。君はおいしい珈琲。先に完成させた方が勝ち」

 何を言い出すのかと思ったが、僕が無言で頷くと彼女は満足したように笑った。

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