~ある真珠の話~
『隣人』が増えてしまった世界での、ある真珠のお話。
その日は、春子さんにとって忙しい1日でした。
いつもより少し早起きをして、家の中をいつもより念入りに掃除します。壁のカレンダーには、今日の日付に花丸が付いています。家中をピカピカにしてしまうと、春子さんは杖を持ってゆっくりゆっくりと道を歩いて行きました。
やって来たのはスーパーです。カゴをいっぱいにした春子さんに、顔見知りの店員さんが声をかけました。
「今日はいっぱい買ってくね。重くない? 大丈夫?」
春子さんは笑って言いました。
「今日はね、とても大事なお客様が来るのよ」
帰り道は重い荷物で行きよりもずっとゆっくりとしか歩けません。それでも春子さんは、重い荷物を持って帰って来ました。
さあ、帰って来たら今度は料理です。煮物にいなり寿司……テーブルにはご馳走が並びました。
そして、月が登る頃……。
「春子さん!」
元気な声と共に、戸が開きました。
金の髪に金の眼。白い肌と赤い唇。一目で分かる、この世のものではない美しさ。服は今時見る事もなくなった水干。妖しい美貌の少年が、嬉しそうに顔を見せたのです。
「はいはい、一月ぶりね」
「うん!」
美貌とは裏腹に、表情は年頃の少年そのもの。少年の笑顔に、春子さんの顔も綻びます。
「春子さん、何か手伝う?」
「じゃあ、お皿を運んでくれないかしら」
「分かった!」
春子さんと少年の、二人きりの宴です。春子さんは少年を迎えるために、1日準備をしていたのでした。
「やっぱり春子さんのいなり寿司はおいしい」
「いっぱい食べていってね」
「うん!」
楽しく話しているうちにどんどん月は傾きます。料理があらかた片付いた頃、春子さんはぽつりと言いました。
「……これが、最期になるのねえ」
春子さんの言葉に、少年の顔から笑みが消えます。
「……来週で、街のホームに行ってしまうの。そこは空気の違う土地だって……」
「……ここでも、満月の日が精一杯だもん」
「そうねえ……。ありがとうね、毎月わたしに付き合ってくれて」
春子さんの言葉に、少年は潤んだ目で春子さんを見上げました。
「あの人は早くに逝ってしまって、子供もいなくて……でも、あなたが来てくれるようになって、本当に嬉しかったの。……勝手に、『お母さん』の気分を味わってたの。ありがとう、わたしに夢を見せてくれて」
少年は、小さく鼻をすすりました。
「……でも、おれも連れてってくれるだろ? 話せなくても、姿を見せられなくても、おれ、春子さんの側がいい」
少年の言葉に、春子さんはにっこりと微笑みました。
「もちろん、一番いいスーツの胸にあなたを飾ってホームに行くわ。いつだってそこがあなたの特等席よ」
春子さんの言葉に少年も微笑みます。その目から、真珠のような涙が流れて行きました。
「……春子さん、最期までおれを連れて行ってよ」
「だから、ホームにも……」
「その先も。おれ、春子さんと一緒がいい」
「……でも、それはあなたも燃えちゃうのよ?」
「おれが燃えても、別のおれが春子さんを覚えてる。でもこのおれは、春子さんと一緒に行く。行って、『おれを選んだのに春子さんを置いてくなんて!』ってあいつに説教してやるんだ」
少年の話に春子さんは目を見開き……そして、声を上げて笑い出しました。
「そうね、あなたを選んだのはあの人だったわ。……あの人、二人で行ったらどんな顔するかしら」
「そこまで、ちゃんと一緒に行くからね!」
少年が差し出した小指に、春子さんも指を絡ませます。
「約束だから」
「……ええ、一緒に行きましょうね」
月が沈む頃、部屋には春子さんが一人。そしてその手には、見事な金色の真珠のブローチが握られていました。
<おしまい>
読んでいただきありがとうございました。
元の話の間にこういう別の鉱物の話を挟んでいければいいな。