1.エルフの発情? ~俺の貞操が危ない~
気づけば俺はベッドの上で、女の子に押し倒されていた。
「リョーさま……」
普段よりも艶っぽい声で、溜息を吐くようにして俺の名を呼ぶ彼女。
いや、厳密に言えば『俺』を呼んでいるわけではないのだが。
「リョーさま。今夜こそは、お相手してくださいますね……?」
そんな意味深なことを口にしながら、俺のへその上あたりに腰を下ろしているエルフの少女――フェーリ。
昼間はメイド服っぽいものを着ていた彼女も、夜の帳が下りた今は寝間着姿になっている。
ノースリーブで薄い生地の……これは、ネグリジェってやつか?
照明の消された部屋の中は暗く、互いの顔がかろうじてわかるくらいだが、
青白い月明かりに照らされた彼女のしなやかな肢体は、薄闇の中でもその美しさを存分に発揮している。
その豊満な胸の造形が暗くてよく見えないのは残念だけれど。
「リョーさま、私の声……ちゃんと聞こえていますか?」
俺が返事をしないのに焦れたのか、フェーリはゆっくりとこちらに顔を近づけてくる。
彼女の持つ長い金色の髪が、俺の頬をさらりと撫でる。
互いの吐息が届くほどに近い距離。
彼女がこれから何をしようとしているのか、普段から女っ気のない俺でもわかる。
これって、あれだろ?
男と女があれこれするやつ。
「……フェーリ、俺――」
事が始まる前に、正直に言った方がいいのだろうか。
俺が『リョー』ではなく、『リョータ』であることを。
(……ていうか、なんで俺が悩まないといけないんだ?)
焦りと一緒に、沸々と怒りが込み上げてくる。
それもこれも、すべてはあいつのせい。
つい二分前のことだ――。
〇
「やあリョータ、半日ぶりだね! ちょっと交代してよ!」
と、軽々しい声でまたもや俺の前に現れたのは、白い寝間着に身を包んだリョーだった。
俺と瓜二つの顔をしたこいつは異世界の住人であり、その世界では英雄と呼ばれている。
「また現れやがったな……。今度は何だ?
さっきは草野球のメンバー全員怒らせやがって。後処理が大変だったんだぞ」
ベッドの中で眠りに落ちかけていた俺は、リョーのうるさい声に強制的に叩き起こされて不満しか出なかった。
「いやあ、ちょっと困ったことになってね。まあ、いつものことなんだけど。フェーリが盛っちゃってさあ」
「は……?」
さかる――という動詞がどんな状態を指すのか、寝起きの俺はすぐに理解できなかった。
「ほぼ毎晩なんだけどさ、僕のベッドにフェーリが入ってくるんだよ。いわゆる夜這いってやつ?」
「よば……――」
そこでやっと、俺の頭は言葉の意味を理解し始める。
「あいにく僕はまだ子どもとか作る気はないからさ。いつもはぐらかしてるんだよねえ。
というわけで、彼女の気を散らすのを手伝ってほしいんだ」
「! な、なんで俺が。関係ないだろ!?」
「そんじゃ、後はよろしく!」
「まっ、待てコラ!」
相変わらず人の話は聞かない主義らしい。
リョーは腹が立つほど爽やかな笑みを俺に向け、
そして微塵のためらいもなく、再び俺を異世界へとすっ飛ばしたのだった。
〇
……と、これが二分前の話。
そして今。
俺とリョーが入れ替わったことに全く気づいていないらしいフェーリは、俺の方へとぐんぐん迫ってくる。
「ちょ、フェーリ、近い……」
彼女のやわらかそうな唇が目の前まで迫る。
「……嫌、ですか? リョーさま」
わずかに声を震わせてフェーリが聞く。
この質問には答えづらい。
彼女のことが嫌、なんてことは少しも思っていない。
むしろこんな可愛い子に迫られて、心の片隅ではちょっと嬉しかったりもする。
けれど、このまま成り行きに任せて何かをおっぱじめるわけにもいかない。
それに、何より。
「……嫌なんだ」
「え?」
「セフレは嫌なんだああっ!!」
「!」
俺が叫ぶと、フェーリはびっくりしたのか、少しだけ身体を後ろに引いた。
その隙を衝いて俺は彼女から離れ、ベッドの上から飛び降りる。
セフレだけは嫌だ。
身体だけの関係なんて。
フェーリは俺をリョーと勘違いしているだけなのだから。
「り、リョーさま!? セフレって何です!?」
混乱しているフェーリを置いて、俺は部屋の出口へと走った。
こんな状況で俺の素性を説明しても混乱するだけだろうし、今は逃げるしかない。
だが。
「!? 開かないっ……!?」
部屋の扉には鍵が掛かっていた。
リョーから授かった怪力で無理やりこじ開けようとしてもびくともしない。
「リョーさま、もしかして逃げようとしていますか?
……だめですよ。今夜こそは、私の相手をしてもらうのですから」
フェーリはそう静かな声で言うと、ベッドを降りてこちらに歩いてくる。
もしや扉に何か細工でもしたのか?
ひたひたと歩み寄ってくる彼女の目は俺を真っ直ぐに捕らえ、
まるで飢えた獣のように、こちらに狙いを定める。
「! シェーラっ……シェーラ!!」
情けないが、困ったときはシェーラだ。
『呼びましたか?』
間髪入れず、彼女はぼふんっと煙のようにして中空に現れる。
さすがは聖剣の乙女。
この時間帯だからもしかしたらパジャマ姿かもしれない――と予想していたが、
精霊である彼女は相変わらず黒いビキニ(?)の上から白地の布をゆったりと巻いただけの露出過多な姿だった。
その燃えるような赤い髪もツインテールに結われたままだ。
「シェーラ、聖剣はどこだ!? この部屋を出たいんだ。扉をぶっ壊す!」
俺が必死にそう訴えると、
『また逃げるのですか? フェーリが悲しみますよ』
と、彼女はどこか冷たい目を俺に向ける。
「な、なんだよ。俺とフェーリの貞操がどうなってもいいってのか!?」
『? ……おや。リョー様ではなくリョータ様でしたか。これは失礼を』
どうやらシェーラはやっと俺の正体に気づいたらしい。
俺の必死の思いが届いたのか、彼女はどこからともなく剣を召喚する。
ふわりと中空に現れたそれを、俺は素早く握って一閃させた。
瞬間、扉はあっけなく砕け散る。
「ああっ、どこへ行ってしまわれるのです、リョーさま!」
今にも泣き出しそうなフェーリの声が背後から届く。
『良いのですか、リョータ様?』
最後の確認とばかりにシェーラが聞く。
「良いのかって、今はこうするしかないだろ。
このままここにいたらとんでもないことになりそうだし……」
『わかりました。では、シェーラはこれ以上何も言いません』
「?」
どこか落胆するように引き下がるシェーラの様子に、俺はなんとなく違和感を覚えた。