4.精霊の手引き ~跳んでください~
言い終えるが早いか、シェーラはいきなり俺の右腕を掴んだ。
そして未だ足元に突き刺さったままの聖剣を、俺の手に無理やり握らせる。
「ちょ、シェーラ。指南するったって俺……今まで剣なんて扱ったことがないんだぞ!?」
野球用のバットなら毎日振っているが、刃物なんて普段からほとんど触ったことがない。
包丁ですら扱ったことがあるか怪しいくらいだ。
『剣を抜いてください』
有無を言わさぬ声色で、シェーラが耳元で囁く。
どうやら俺に選択権はないらしい。
(っ……もう、どうにでもなれ……!)
半ばヤケになりながら、力の限り、手にしたその剣を自分の方へと引き寄せる。
すると思ったよりも簡単に、聖剣・グローリアの刃先はあっけなく床から抜けた。
重厚な見た目に反し、あまりにも軽く持ち上がったものだから、俺は危うく後ろにひっくり返りそうになった。
まるで俺の手に吸いついてきたのかと錯覚するほどだった。
さらに勢い余って刃先を頭上まで振り上げると、掲げられたその刀身は、淡い金色の光を放っていた。
「……すっげ。いかにも聖剣って感じだな」
まるで後光が差すかのようなその剣の姿に、俺は半ば心を奪われる。
「リョーさま、がんばってくださいね!」
と、今度はフェーリが俺の胸に飛びついてきた。
反動で危うくシェーラにぶつかるところだったが、彼女は直前で俺の身体から少し距離を取ったようだった。
「うふふ。戦闘前ですから、たっぷり注入しておきますね」
と、フェーリは何やら意味深な発言をして、至近距離から俺の顔を見上げる。
「注入……?」
その二文字が一体ナニを指しているのか理解できず、俺は無言のまま、隣で傍観しているシェーラへとヘルプの視線を送った。
彼女は俺の思いを瞬時に汲み取ってくれたらしく、
『魔力の注入です。エルフ族と身体を密着させている間、あなたは魔力を回復することができます』
と、まるで音声ナビのように淡々と教えてくれた。
「な、なるほど……」
しかし、それにしても。
密着した身体の、なんとやわらかいことよ。
少しでも視線を落とせば、そこにはフェーリの豊満な胸の谷間が露わになっていた。
長く尖った耳をぴこぴこと揺らして笑っている彼女は可愛いことこの上ないのだが、なんだか変な意識をしてしまいそうになる。
出撃前なのに。
『さあ、もういいでしょう。そろそろ行きますよ』
「って、わっ!?」
シェーラは俺の背後に回ると、今度はぐいぐいと俺の背中を押し始めた。
フェーリはそっと身を引いて、ひらひらと片手を振って俺を見送る。
たまらず前進する形になった俺の向かう先は、窓。
「ちょっ、ぶつかる! ぶつかるって!」
俺は慌てて声を上げた。
このままでは窓にぶつかる。
しかもその窓の向こう側では、巨大なモンスターが待ち構えているのだ。
『剣を振ってください。思いっきりです』
「!」
何か策があるのだろうか。
他に成す術もなく、俺はシェーラに言われるがまま、ホームランを狙うときの感覚で、全身全霊を込めて剣を振りかざす。
一閃!
「……って、あれ?」
窓に向かって剣を振ったはずだが、手ごたえはなかった。
無意識のうちにギュッと瞑っていた目を恐る恐る開け、
(まさか、空振り……?)
ここぞという場面での空振りなど、エースとしては有り得ない失態。
だが、ゆっくりと開けた視界に飛び込んできたのは、
「!」
部屋の景色ではなかった。
目の前にあったのは、モンスターの『顔』。
これは、蛇の顔だ。
ニシキ蛇の頭を何十倍にも大きくしたような、巨大な蛇の顔が、そこにあった。
「なっ、えっ……窓は?」
それまで俺とモンスターとを隔てていた窓は、今はもうどこにもない。
部屋の端が、まるで鋭利なもので抉られたかのように、ぽっかりと穴を開けている。
『一時的に、この辺りの空間を《切り取り》ました。あなたと敵を隔てる壁は、もうありません』
「切り取った……? 窓を? そんなことができるのか?」
『この聖剣・グローリアに斬れないものはありません。さあ、敵に攻め入られる前に、こちらから仕掛けますよ』
言うなり、彼女はトン、と俺の背中を小突いた。
反動で俺は前のめりになる。
慌てて足元に目をやれば、そこに床はなく、遥か遠くに地上が見えた。
かなりの高所だ。
高層ビルの二、三十階ぐらいの高さはあるんじゃないか?
「うっ……おおおおッ!?」
反射的に、俺は直前まで立っていた床の端を蹴って高くジャンプした。
着地地点は――蛇の頭の上しかない。
「……しっ……シェーラあああッ!」
半ば怒りを覚えつつ、俺は頓狂な声を上げながら蛇の頭の上へと足を乗せた。
俺がそこに立った途端、蛇は唸り声のようなものを上げて頭を右へ左へと振り始めた。
「くっ……この!」
試しに蛇の頭へ剣を突き立ててみるが、歯が立たなかった。
頭の皮膚を貫くどころか、傷一つ付けられていないように見える。
「なんだよ、斬れないものはないんじゃなかったのかよ……!?」
『力任せではいけません。魔力を集中させなければ』
冷静な声でシェーラに窘められる。
『リョータ様。もう一度そこからジャンプしてください。今度は屋根の上まで行きます』
「屋根の上だって!?」
俺は振り落とされないように何とかバランスを取りつつ、彼女の言う屋根の上を見上げた。
俺たちのいた建物は細長い塔のようになっていて、さっきの部屋は最上階にあるらしかった。
屋根はすぐそこ……と思いきや、軽く見積もってもここから五メートルくらいは距離がある。
『跳んでください』
「無理に決まってんだろ!」
尚も蛇に揺さぶられながら俺は叫ぶ。
『大丈夫。あなたなら跳べます。リョー様の力を授かったあなたなら、必ず』
シェーラはそう、迷いのない声で言う。
『早くしないと、この塔も崩れ落ちてしまいますよ』
まるで脅迫のようなその言葉は、しかし事実だった。
この巨大な蛇のモンスターは、長い全身をぐるぐると塔全体に巻き付けていた。
締め付けられた塔の壁はミシミシと悲鳴を上げ、今にも壊れてしまいそうだ。
部屋の奥からはフェーリの泣きそうな声が聞こえる。
もう時間がない。
「……本当に、跳べるんだな?」
ここは腹を括るしかない、と、直感のようなものが俺を急かす。
落ちたら命の保障はないが、
『ええ』
迷いのない返事。
彼女の燃えるような赤い瞳が、俺の顔を真っ直ぐに射貫く。
「信じるぞ、シェーラ」
彼女はこくりと静かに頷く。
俺は意を決して、その場で強く足を踏み込むと、屋根の上を目掛けて、渾身の力で跳び上がった。