1.入れ替わり生活は突然に
「じゃあな亮太! 着替えたらすぐグラウンドに集合だからな!」
「おう!」
放課後。
クラスの友人と別れ、俺は一人自宅へと向かう。
荷物を置いたらすぐにグラウンドへ赴き、そこで野球をやるのが俺たちの日課だった。
部活じゃない、ただの草野球だ。
もちろん、俺たちの通う往来高校にも野球部は存在する……のだが、いかんせんレベルが低い。
あんなやる気のない部活で嫌々トレーニングをするよりは、寄せ集めでもいいから純粋に野球が好きなメンバーでゲームをした方が楽しいんじゃないか――と始めたのがこの草野球だった。
毎日毎日、飽きもせず独自のゲームを楽しむうちに、いつしか俺たちの腕はかなり上達していた。
中でも俺は頭一つ抜きん出ているらしく、俺の入ったチームは必ずといっていいほど勝利を手にする。
今日のゲームも楽勝まちがいなし――と足を弾ませて家の玄関扉を開けたときのことだった。
「ただい――」
ま、と言い終えるより先に、俺は言葉を失った。
扉の向こうは真っ暗だった。
「……え?」
真っ暗というよりは、真っ黒と言った方がいいだろうか。
目を開けていても閉じていても差がないほどの闇が、そこに広がっていた。
たとえ雨戸やシャッターを閉めたとしても、ここまで家の中が暗くなるはずはない。
「な、なんだ? どうなってるんだ? 母さん……いるのか?」
「ほほう、君がリョータ君か」
「!」
いきなり背後から声をかけられて、不意を突かれた俺は飛び上がった。
すかさず後ろを振り返ってみると、そこにはなぜか鏡があった。
鏡『だけ』があった。
扉を開ける前までは見えていた、近所の風景はどこにもない。
家の中と同じ、闇のように暗い空間が広がっているそこに、俺の姿を映し出す鏡がある。
「な、なんでこんな所に鏡が……? さっきの声はどこから――」
「鏡じゃないよ。ほら、僕がここにいるのがわかるかい?」
「!」
さっきと同じ声で、鏡が喋った。
いや、これは鏡じゃない。
目の前に映し出されている俺の姿は、確かに俺と瓜二つではあるのだけれど、動きや表情がまったく違う。
俺は口を半開きにして固まっているのに対し、目の前の俺はニコリとこちらへ笑いかけてくる。
それによくよく見てみると、着ている服がまったく違う。
俺は高校の制服姿だが、相手は奇抜な色彩の服の上に、ローブのようなものを羽織っている。
耳や腕には金属製のアクセサリーが光り、なんとなく、どこぞの国の身分の高い人物のようにも見える。
「やあ、驚かせてすまないね。僕は『リョー・ブーゲン』。とある世界ではちょっとした有名人さ」
「りょ……? とある、世界?」
一体何を言っているのか、俺には理解できなかった。
「いやあ、時間がないから手短に言うけどさ。実は今、僕の身代わりになる人間を捜してるんだよね。できる限り僕とそっくりのさ」
「み、身代わり?」
あまり良くない響きを持つその単語に、俺は嫌な汗を流す。
「そう、身代わり。別に悪い意味じゃないよ。ただ少しの間だけ、異世界の住人である僕と入れ替わってほしいだけなんだ」
「な、なんでそんなことをするんだよ。入れ替わってほしいってことは、何か不都合があるからなんだろ? 何かから逃げてるとかさ」
未だ混乱は残ったままだが、少しずつこの状況を理解し始める。
いま目の前にいるこの男は、こことは違う別の世界の人間で、自分と瓜二つの姿をした俺を見つけて干渉してきた、ということらしい。
夢でも見てるのか、と一瞬自分を疑ったが、ベタに頬をつねってみると地味に痛い。
「別に逃げてなんかないよ。人聞きが悪いなあ。それに、君にとっても悪い話じゃないと思うよ?」
「勝手なこと言うなよ。俺はこれから野球に行かなきゃいけないし、異世界なんか行ってる暇はないんだよ!」
「へえ、野球かあ。それは楽しそうだなあ」
野球、という言葉を耳にした途端、リョーと名乗った男はなぜか嬉しそうに顔を綻ばせた。
そして、
「君が僕の世界へ行っている間、その野球には僕が代わりに参加させてもらうよ。なに、心配はいらない。僕はこれでも世界を救った英雄だから、運動神経には自信があるしね」
「はっ? 何言って……」
マイペースに話を進めようとするリョーに、俺は段々と焦りのようなものを覚え始める。
「僕はただ、『英雄』として崇められる生活から少しの間だけ抜け出したいだけなんだ。その隙間を、君に埋めてもらいたい」
「冗談じゃない。俺は異世界じゃなくてグラウンドの英雄なんだよ! 俺がいなきゃゲームも負けちまう!」
「さっきも言ったけど、野球のことは心配いらない。僕は必ずゲームに勝ってみせる。……それに、君にとっては英雄の生活は魅力的だと思うよ。美味しいものも食べられるし、可愛い女の子だってたくさんいる」
「お、女の子……?」
その瞬間、少しでもぐらいついた自分が憎い。
「交渉成立だね?」
俺の迷いを見抜いたのか、リョーは俺の両肩をがしっと力強く掴んで微笑んだ。
「念のために僕の力を半分、君にあげるよ。いざとなったら適当な呪文を唱えるといい」
「ちょっ。呪文って、一体どうすりゃ――」
「何か困ったことがあったら、そのときはシェーラに聞いてくれ。彼女はいつだって君のそばにいるはずだから」
そんな無責任な言葉を残して、リョーは不思議な光を全身から放ったかと思うと、
次の瞬間には、少しのためらいもなく、俺を異世界へとすっ飛ばしていた。