卒業
巣立つ
体育館に入ると並べられたパイプイスはほぼうまっていた。壇上の前の3年生のイスだけが綺麗に並べられたままだった。きっと昨日体育館で活動する部員が並べたのだろう。
音楽と共に二列に並んだ生徒たちが緊張気味に、そしてどこか誇らしげに入場を始めた。
その列のなかに彼を見つけ、そしてイスに座っている自分を思い、居たたまれなくなって目をそらした。
そらした先の窓の向こう。真っ白な色がハラハラと落ちていた。
雪が、降っていた。
もう3月なのにと考えたが、思い返してみれば去年の今頃も雪は降っていたかもしれない。式が始まる前は降ってなかったのにと、そんなことを思った。
変化はいつも唐突に訪れる。そしてそれまでの状況を容易く壊していく。
自分と彼の将来を考えた。真っ白で何も見えない。
引退という変化は俺たちを少なからず変えた。ほとんど毎日、嫌でも顔を合わせていたそれまで。彼が引退してからは会おうと思わなければ会うこともなくなった。それ以上に大きな卒業という変化は、自分と彼を一体どれほど変えるというのだろうか。
一年前は考えもしなかった一年後のこと。一年後、彼の隣に自分はいるのだろうか。
俺の隣に彼はいてくれるのだろうか。
言われるまでもなく、春は“出会い”と“別れ”の季節だった。どうせ別れてしまうのなら出会わないほうがいい。そう思っていてもどうせ、また同じ道を辿るのだろう。
別れると分かっていても、俺はきっと彼に魅せられ支配される。あの笑顔に振り回され翻弄されるのだろう。
瞼が震える。まだ式は始まってもいないというのに。泣かないと決めた。これで終わらせたりなんてしない。まだ彼の口から最後の言葉は聞いていないのだ。
開かれたままの体育館の入口からは、ひんやりとした冷たい風が吹き抜けた。
全員起立の号令で、卒業式が幕をあけた。
* * *
飛び立つ
一つ前のクラスが入場を終えた。次は僕たちの番だ。
在校生と保護者の拍手に迎えられ、体育館に足を踏み入れた。
二学年の席。
彼を見つけるのは容易かった。
(こっちを見ろよ)
窓の外に目を向ける彼の背中にいくら念じてみても、結局目が合うことはなかった。
向けられた背中が彼の答えのような気がして、まだ入場を終えたばかりだというのに目の裏が熱くなった。
僕は今日でこの学校を去る。彼にはまだ一年の時間がある。
一歳の歳の差なんて、大人からしてみたらほんの僅かなものなのかもしれない。
だけど三年間という限られた時間、区切られた空間で生活する僕たちにとって、一年という壁は予想以上に大きなものだった。
若気の到り。そんな言葉で片付けられてしまうのだろうか。無数にある高校時代の思い出の一つとして、記憶の中に埋もれてしまうのだろうか。
(そんなのは、悲しすぎる。)
彼にとっては消し去りたい過去かもしれない。でも、僕にとってはかけがえのない時間だった。彼と過ごしたこの学校が、こんなにも愛しいと思えるほどには。
校歌を歌った。とうとうそこで、抑えていた涙が溢れた。
結局、何をしていても思い出すのは彼のことだった。
歌を歌って、閉式の辞を述べて、そしたらもう卒業式は終わる。卒業式が終わって、クラスでも解散して、学校の門を出てしまえば明日からこの制服を着ることもないのだ。
退場する。やっぱり僕の目が彼を見つけるのは簡単だった。
彼はもう背を向けてはいなかった。二学年の席に座る彼は背筋をピンと伸ばして、真っ直ぐに僕を見ていた。
一度は収まった涙がまた零れた。いくつも溢れるその雫を、自分で拭うことはしなかった。
(好きだよ)
(愛してるよ)
(これで終わりなんて)
(たぶん一生後悔する)
彼の目を見て、僕は小さく微笑んだ。
このまま終わらせたりなんてしたくない。
数年前に書いたもので、あの頃は私も学生でした。卒業って切ない。