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夜トの宴  作者: 大隈寝子
8/22

 3 → 4 Night4 side Bet & All

 この流日市には一般的な町に比べ、緑が、より詳細に言えば公園が多く存在していた。

 それも児童が遊ぶためのみを目的とした小規模のものが多数ということではなく、世情に疲れきった大人たちが心を癒すような、家族たちが休日に緩やかに時を過ごす、そういった、むしろ緑地とでも言うべきものがいくつかある。

 最も規模が大きいものは海に面した南側にある、通称芝海。

 その場所において、今宵の宴は始まろうとしていた。

「思いのほか、大きいな」

 流日市の公園というのは基本的に夜間の使用は想定されていない。

 ゆえに、街灯というのは一部を除いてつけられていないのだが。

 この芝海に限っていえば、一部が公用の道となっていること、そしてイベント事が多く開催されることから街灯は多く付けられていた。

 それも、夜に浮かぶ星の明かりが消えるほどに。

 とはいえ、夜である。

 星が消えるほどといっても昼に比べれば圧倒的に暗い。

 その中でも、他を引き込むほどの黒があった。

 居た。

 「賭ける」ことにその命をベットした女がその視線の先の黒を見つめる。

 暴風雨になすがままに弄ばれたがごとき人々と、静寂を保ちながら力という嵐を撒き散らした黒い怪物がいた。

 仮面をつけた死神。

 その背に夜がごとき大剣を背負った殺人鬼。

 夜屠である。

 つい先ほどまでは、その死神を討たんとする意志が踊っていた。

 一蹴すらされることなく、ただ無造作にその手を払われるだけで彼らは砕け散ったのだが。

 仮面は、有象無象に一切の注意をむけることなく、ひたすらに敵をみすえていた。

 夜賭と夜屠。

 視線が交差する。

 弛緩から緊張へ。

 神経の弦がはりつめる。

「始めるかぁ」

 夜賭が全身に魔力をめぐらせる。

 弦が、震えた。

「先手はもらうぞ」

 身体を燐光が包み、女は駆けた。

 

 目の前の敵は今までに見たことのない難敵だ。

 調べなくともわかる。あんなもの、存在からして桁違いだ。ルールの中にあるかどうかさえ定かではない。

 昼間に会った禿頭の夜斗はただ怪物と称していたがそんなちゃちなものではない。

 怪物なんて所詮、英雄という突出した人間に討ち滅ぼされる、その程度の存在だ。

 アレはそういう矮小なものではない。

 まずもって普通の生き物では殺せない。

 それこそ、神でもひっぱりださない限り。

 そして私は何だ?

 夜トだ。

 すなわち、神だ。

 真っ当な神ではないがその一端として、この宴の舞踏者として選ばれている。 どう選ばれたか定かではないが、重要なのは現実だ。

 その神たる、今の私に。

 あの敵は。

 他の夜トをさしおいてもあの敵は。

 この宴を至高のものにする!

 戦闘狂の自覚はある。

 だからこそ、この敵を用意したあの禿頭と眼前の敵に感謝した。

 そして何より。

 これまで全ての生を凌駕する興奮が、全身を、力となって駆け巡っていた。


 疾駆し、口にする。

 向かい来る敵に対し、ようやく背の大剣に手をかけた死神に叫ぶ。

「さぁ、賭けを始めようかァッ!」


 幕開けた舞踏の陰で、一人の青年がひそんでいた。

 夜豊、天王洲由良である。

「とりあえずひと仕事終了、と。何なんだあの仮面。強いなんてもんじゃねぇ。誘導の意味でうちの人間使ったが全員お亡くなりじゃねぇか」

 和服姿の青年は虚空にごちる。

 うちの人間、とは言っているがその言に悲愴といった感情が微塵もないのは単純に彼にとって自分以外の人間は道具の域を出ないからである。

 一応、彼の名誉も鑑みるならば、仮面の死神によって散らされたおよそ20弱の人間は由良が作り上げた天王洲を中心とした家同士のつらなりのなかでも末端に位置するところから選ばれた、由良風にいえば雑兵といった位置づけの人間たちだ。

 彼らが死んだとは言え、それは戦闘単位の消失にほかならず、由良にとっては人の死ではない。

 ゆえに、虚空に響くのは愚痴なのである。

 嘆きなど、微塵もなかった。

「そうごちないでください。アレを倒すにはあなたの力が必要なのです」

「なんだ君、来てたの。だったらちょっとは手伝ってくれてもいいんじゃない?」

 由良に声をかけたのは所々を金であしらわれ、黒を基調とした軍服の上にマントをひっさげ、さらには帽子を目深にかぶった中性的な女性だ。

「いえいえ、私の戦闘能力では、夜トとして神格を得たあなた方にはとてもついていけませんので」

 柔和な笑みを口元に浮かべつつ答える。

「聖護院のアストラルフォース、そこの二番手が何言ってんだか。ま、いいや。キカラ。君がきたのは僕が逃げないように、ってとこかな」

「契約ですから」

「はいはい。人をあざむくのにあんたらの力はどうしても欲しい。ちょっと遊んでくるよ」

 そういった由良は陰に沈み、消えた。

「……簡単な男だ。ああいうのを何というんだったかな……」

 黒の軍服が何かを思い出せないもどかしさに、闇を見つめた。


 接近した2人の戦闘は、まず仮面が刀を振り下ろすことから始まった。

上から、下へ。

 音速もかくや、という速度でその刃は空間を断ずる。

 常人ならば捉えることすら不可能な瞬撃。

 しかし、女は避けた。

「おいおい、もうちょっとゆっくりしなよ。まだ戦いは始まったばかりだぞ?」

 大剣を持った仮面の男と、無手の女。

 字面だけ見れば明らかに女の負け戦。

 しかし彼女は術者だ。

 表面からよみとれる情報には意味がない。

「こっちも行くよ?」

 両の手の先に陣を出現させ、地を蹴る。

 その身体は淡い光をまとっていた。

 地をさまよう星、とでも言うべきか。

 その速度は先ほどの仮面の剣を軽く超えていた。

 仮面もまた星にあわせ速度をあげる。

 剣は光を反射し、2人の戦闘は光の激突となっていた。

(打撃じゃ、どうしようもねぇな……魔法で強化してんのにまず届きゃしねぇ……だったら)

 新たに2重の陣を両手に出現させる。

「あたしゃ女だからさ、あんたみてぇな得物ふりまわせねぇんだけど」

 左手が輝きを増す。

「避けんなよ」

 蒼の弾丸が、宙を奔った。

 2人の距離は弾丸の前ではないようなものだ。

 一瞬。

 複数の弾丸は仮面の反応を許すことなく、その身を貫く。

 はずだった。

「速いな。これほどの射手は久々に見たよ」

 刃を盾に、弾丸を防いだ仮面は口にする。

 速い。

 しかし届かぬ、と。

「そうかい、ならもうちっとゆっくりしてけよ」

 背後。

 声の主は弾丸を防がれたその隙に大きく移動し、今度は両手で、弾丸を放った。

 その数、およそ50。

 個人戦ということを鑑みれば、弾幕という言葉すら生ぬるい。

 壁。

 面による制圧はただ上方への逃走を除いては、その逃げ場を殺す。

 通常であれば、だ。

「いくら放とうと、我が刃に弾丸は届かない」

 剣をふるう。

 それだけで全ての弾丸は消え去ってしまった。

(やはり届かんか……)

 弾丸はそれ1つ1つが必殺の威力をもつ。

 しかし届かなければ意味はない。

「なら届くようにするだけよ」

 言葉に応じるようにして、地に陣が走った。 

「あんた、強いからさ、こういうの疎かったりすんだろ」

 基本は五芒星。

 その頂点を通る円全体から天へむけて無数の弾丸がはじけ飛ぶ!

「逃がさねぇよ。死神」

 天にのぼる滝。

 あるいは、龍か。

 下方からの突然の掃射に黒の死神は跳躍、上方へと離れ、絶対の盾となる剣を構える。 

 ふるわれる剣に光は近づいていく。

 そのアギトに死神を喰らわんと蒼き光は存在を増し、向かう。

 この世を塗りつぶしたような黒へと。

 それまでの弾とは違う、圧倒的な質量を伴った光は術式を無に還す剣にぶつかってもなお消えることはなかった。

「ほう……?」

「消し飛べ!」

 すでにあった光を鼓舞するようにあらたな光の帯が生まれ、防御に徹していた仮面に迫っていく。

「これには対応できねぇよ、死神!」

 さながら、地より串刺しにされる罪人と言ったところか。

「堕ちろッ!」

 蒼き光が漆黒を塗りつぶしていく。


 中空、おおそ20メートルの高さにあったそれは、間もなくして地にその足をつけた。

「さて……」

 それなりの術式を使ったが、今ので倒れているとは思えない。

 並みの相手ならば、最初の弾幕で御している。

 それなりの相手ならば、地からのぼる光で倒している。

 では、相手が怪物ならば、どうか。

「無傷ってのは……ずるくねぇか、死神」

「そういう体質でね。ここから先は遊ばせない」

 視線の先には、ただ装いが少し汚れた程度の黒の塊が立っていた。

 一瞬の静寂。

 ここまでの戦いはあくまで前戯。

 これより先は死が付きまとう本物の戦闘。

 もちろん、女は侮ってなどはいない。最初からちゃんと戦闘を、戦いという意識をもって臨んでいた。

 しかし、この静寂はその意識を吹き飛ばす。

 相手をわきまえよ、と。

 

「感謝するよ、死神」

 初撃の前に駆け巡った興奮をより一層上回る熱が、女を火照らせる。

 両の手をあわせ、印を結ぶ。

 眼をつむり、静かに力を練り上げるその姿はさながら神前に挑む巫女の礼だ。

「……覚悟はすんだか」

「あぁ、あんたもな」

 激突。

「だから、速いんだよ、あんた!ちったぁまともな人間レベルに合わせやがれ!」

 場面こそ次へうつったものの、2人の得物は変わらない。

 大剣と、無手。

 女は先ほどと変わらずただひたすらに大剣を避ける。

 が、その先に変化があった。

「らぁッ!」

 その細腕から放たれる掌打はしかし怪物をたじろがせるには十分であった。

(たいして効いちゃいねぇんだろうが……)

「大したものだな」

 打撃を与えられる程度に近づいているということはすなわち、剣の捉えうる距離にいることを意味する。

 迫るそれに身体をそらし、地を穿ち、飛ぶことで回避を繰り返し、隙に掌打。

 真っ当な術者ならば、ありえないような肉弾戦。

 しかし、その極度の緊張と高揚をもってしても、死が寸前を通り過ぎる戦場というのは女に疲労をもたらす。

 近づく刃に、一瞬対応が遅れた。

「終わりだ、女」

 確信。

 

 次の瞬間には眼の前の敵の身体は分断され、この舞踏は終わるであろう。

 それなりに楽しめたが昨夜の、炎とのソレよりは劣る。

 どこか、虚しさを抱えながらふるうその刃は


「残念、終わらねぇよ」

 

 空を切った。

 虚無が満たした心に、驚きと歓喜が流れ込む。

 まだ、楽しめるのか。


 高揚が刀に伝わり、あらたな斬撃となる。

 敵の位置など確認すらしない、瞬間における全方位への斬撃。

 物理という世界の理と矛盾した一撃。

 どれほどの地がえぐれたか。

 戦場に斬撃が大きな穴を穿ったその瞬間、女は空にいた。

 青い光の龍を拳にまとわせて。

「こいつはさっきよりきっついぞ、鈍間ッ!」

 先ほどの光が滝なら、こちらは濁流。

 その質量は、まさしく桁違い。

 蒼き龍を伴った女は世界を震わせながら、音をも凌駕する速度で地に迫る。


 反応はできた。

 視線はその光を捉えていた。

 が、身体がついていかない。

 迫る光の中で、思考する。

 普段なら大剣をかざし、盾にする。

 それだけだ。

 しかし腕が、身体がついていかない。

 動かない。

 

 ―――ゆっくりしてけよ

 ―――逃がさねぇぞ

 ―――鈍間ッ!


 何の理屈でもない。ただの直感。

 経験と冴えが答えを導いた。

 

「貴様、コトダマ使いかッ!」

 

 言葉を聞いた女は嗤う。

「遅かったな」

 光の拳が、黒の死神を貫いた。


 奔流がさった後は、静寂が戦場を支配した。 

 嵐の前の静けさではなく、全て終わった後の、虚無すら内包する静けさ。

 

「あら、終わったの」

 地に伏した死神と、立っている女に喋りかける男がいた。

「遅かったな、夜豊」

 天王洲由良である。

「いやさ、神器が思いのほか移動に使えなくってねぇ?ま、いいや、聖護院の言うとおり封印しとくか」

「あぁ、頼むよ。私はその手のものに疎くてね」

 会話を交わす中で、夜賭は由良を観察していた。

(神器の性質を少しでも敵にさらすとは……私が言霊使いであることを知らないことを鑑みても)

「陰は8、陽は9。世界に矛盾し、世界に溺れよ。進め、迷え、止まれ。理に挑み、敗北せよ。その先は、無」

(馬鹿だな)

 馬鹿にされているとは微塵も知らずに由良は封印術式を実行する。

 どこからともなく、巨大な黒と白の鎖が出現し、死神を絡め取る。

「天王洲封臥の反神双封鎖を9に、魔法双封鎖を8か……。陰陽から17、しかもわざと逆にとってきているわけか。やりすぎなんてもんじゃねぇな」

「うといっつー割には知ってんのな。うちの開祖が残した封印術式のなかで、一番即効性があるやつを選んだんだよ。ま、人間相手に使うなんざ、前例がないとは思うが」

(警戒心がなさすぎる……。戦闘は知っていても、戦場は知らんクチか)

 鎖の具合を確認しつつ、振り返り女に問いかける。

「本物の言霊使いっつーのは初めて見たんだが、すげぇんだな。勝てる気がしねぇ」

(こいつ、わかってて私の前で呪を結んだのか……?)

「それはお前の分析が足りないだけだ。先人が生み出したやり方はどうあがいても後に攻略される。そのしやすさしにくさはあるだろうがな。私のはやりにくいってだけだよ」

「はぁん?そら、今の大聖堂がやっきになって新しい術式の研究をするわけだ」

(会話している点が違うな……)

 今の会話で、女は由良を試した。自身の前で己の犯した失敗に気付けるかどうか。

 結果、由良は気付かなかった。

 そこにあるのは天王洲という家に対する奢り。

 そして本人、由良自身の、愚。

 言霊使いに呪を聞かれるということはすなわち術式の無力化を意味する。

 それに気付けなかった由良を、女はこう評価する。

 戦場を共にはしたくないな、と。

 昼間の接触で、夜斗は自身の権能をさらしてはいた。

 しかし、それはこちらの協力という対価の上での行為だ。

 対する由良は自身の行為にたいしてどれほどの価値があるか、ということを分かっていない。

(聞けば対外的に自分の家の技術やらを売り込んで力をつけたらしいが……)

(何を売ったかは知らんが、おそらく、相当な損を知らず知らずに負っているのだろうな)

 その対価に得たのは一体何なのか。

「大聖堂ね。あいつらはどう動ッ、避けろッ夜豊!」

 言った時には遅かった。

「は?」

 封印したはずの死神が駆動し、同時に由良の左腕が肉塊となった。

「若輩者に教えてあげよう。勝利というのは」

 鎖を破壊し、ふりほどき、告げる。

「敵の死を見届けることを言うんだよ」

 起きたことを飲み込めない恐怖と、先程までの、戦闘が終わったという現実との乖離が2人の夜トを硬直させる。

 その視線の先には引き裂かれた鎖と、解き放たれた死神がいた。

「なんでだ、天王洲の頂点の武具だぞ……どうして……」

 全くの想定外に襲われた由良は、その痛みさえ忘れていた。

「考える前に現実を見ろよ、夜豊。……死ぬぞ」

 女の視線は再びの脅威となった死神を捉えている。

「何者なんだよ……コイツ……!!」

 由良の眼に恐怖が満ちる。

 死神は嗤う。

「人は私を“亡霊”と呼ぶ」

 剣を手に、見据える。

「始めようか」

 最初に動いたのは女であった。

「先を照らすな。ただその暗闇に身をうずめよ。我らは深淵。黒に潜む者なり!」

 言葉に宿る力を利用し、操る言霊使いである彼女がとった行動は逃げの一手だった。

 放たれた言葉は呪となり、死神の視界から女と由良を消し去る。

「ふむ……良い手だ」

 呟き、大剣をにぎる手にこめていた力を抜いた。

 傍目からは完全に脱力しているように見えるそれにはしかし一分の隙も存在していなかった。

 あらゆる方向に向けられた警戒はそのままに、何よりも圧倒的な殺意が周囲の空気を震わせていた。

 そして殺意にあてられた男が一人。

 由良だ。

「なんだよ、アレ……。あんな化物死んじまう。どうしろってんだッ」

 左腕のなくなった肩からは未だその血が流れていた。

「流れは留まり、やがて止まる」

 呪がつむがれてようやく止血。

 つむいだ女は由良に問いかける。

「戦闘は続行できるか」

 あくまで冷静に。

 つとめて平坦に。

 そう問うた。

 数瞬おいて、由良は顔を上げ、口を開く。

「正気か……?」

 その眼は恐怖に見開かれ、身体は小刻みに震えていた。

 無理もない。

 天王洲由良はこれまで戦闘をしたことはあっても、戦場にいたことはないのだから。

 命を賭けることの意味と、その恐怖を左腕の喪失によって初めて、その身に理解したのである。

「封臥さまの鎖をたやすく砕いたような男だぞ!どうやって戦うんだよ!」

 おそらくそれを絶望というのだろう。

 どうあがいても先に繋がる未来が見えない。

(動きたくない……死にたくない……俺はッ……!)

 左肩を右手に抱きしめながら、その場にうずくまる。

(哀れだな……)

 宴に選ばれておきながら、宴で初めて戦場を知った由良に憐憫とも侮蔑ともつかぬ視線を送る。

「私には戦う理由がある。貴様と違って、戦いに意味を見出している」

 女の身体から、燐光が舞う。

「奴を倒す理由がある。貴様は……なぜそこでうずくまっている」

 その光は右手へと。

「私は行く」

 貴様は、どうする、と。

 言葉は由良の心を刺す。

(死にたくないからに決まっているじゃないか……)

(俺はまだ、生きていたいんだ)


 その手には闇を貫くように輝く人間大の神器、“神槍”が握られていた。


(勝手に行って、勝手に死ね……)

 

 その視線は死神を捉えている。

 先ほどとは違う燐光をまとい、再び戦場へその魂を向ける。

 光が意味するのは権能の行使。

 稀代の言霊使いにして賭博師のつかさどる権能は“賭”。

 おきうる事象全ての確率操作。

 権能の光と神器の光はまざりあい―――


 敵が視界から消えて四半時が過ぎようとしていた頃、それは来た。

 音もなくただ世界を削りながらその脅威を示す膨大な光が、死神を襲った。

 そして、死神は仮面の下で、笑った。


 神槍の神器としての能力は生命力の増幅と放出。放たれた生命力は破壊という光になって敵に死を運ぶ。

 はずだった。

 女とて、数多の戦場を経験している。

 それゆえ、いくら神器とはいえ絶対的な拘束術式を突破した相手を一撃で沈められるとは思っていなかった。

 しかしである。

 さすがに。

 この事態は想定外であった。

 神槍の放った光によって周囲の木と地が果てた中、かの敵は無傷で、その大剣をかざしていた。

 驚愕。

 恐怖でもなんでもなく、純粋な驚きが反応を一瞬遅らせた。

 目前に、刃が迫っていた。

「その動きは空転する!」

 言霊を発しつつ、神槍で大剣を受け止める。

(重い……!)

 生命力というのは決められた上限があるわけではない。食事や瞑想によって増やすことも、病やそれこそ術式の行使で減らすこともある。

 ゆえに、その性質上、神槍のもつ放出術式は増幅機能があるとはいえ、連続で使用すべきではない。

 先程までの戦闘とて、神器を使用はしていなかったものの女は本気であった。

(あれじゃ、二度は通じない。何より……)

 死神のひと振りは文字通り命をかけずには渡り合えるものではなかった。

(私のかけた言霊が、剥がれてやがる……!)

 ゆえに、神器をふるう。

 敵のひと振りひと振り、全てに生命を使わねばならない。

 女はただ告げる。

「幽幻の生命よ、満ちよ。遡れ。壊せ。無限に廻れ!」

 呪による生命力の増幅。

 まとう燐光がその強さを増す。

 はかなく、燦然と輝くその姿はまさしく神。

「もう、遅れはとらんぞ」

 地を蹴る。

 そこから先の戦闘に言葉はなかった。

 輝きを増した言霊使いはその軌跡に光を残す。

 ぶつかり合う大剣と槍が金属同士の衝撃とは思えぬ音をたて激突する。

 

 2人の周囲の地がけずれ、吹き飛ぶ。

 速度は女の方がやや上。

 それでも。

 さらには“賭”の権能により「避ける」「当てる」を確定させてもなお、一撃が通らない。 

 力は死神に分がある。

 女は必然、ヒットアンドアウェイの形となった。

 初撃からどれほど過ぎたであろうか。

 大剣と神槍のたてる悲愴な音が千を奏でた頃、女が残していた軌跡が陣となり、術式を起動させた。

「!!」

 気づいた時には囚われている。

「人は人に還る。世界はここにただ一つ。人はここにただ一人!」

 さらに続ける。

「無芒の鎖よ、六芒の天の内に鎖せ!」

 天王洲の鎖が捉えられなかったものを、賭博師のそれが捉えた。

 陣が光の六芒星を描き6つの頂点から放たれた鎖は、死神の腕を、足を、絡め封じる。

「ほう……。神性と魔性、どちらもとばしたか」

「アンタのソレがどういう理屈かわからんが、それが術式なり祝福なりだったら消し飛ばしゃどうにでもなる。これ自体が無効化される可能性もあったが、表面だけだったか」

 彼女がこの術式にかけたのには理由がある。

 言霊が作用していたからだ。

 先ほどの戦闘での最後の一撃を決めるにあたり、敵は明らかにその行動を鈍らせていた。言霊がきくなら、世界から作用するタイプの術式は効くはず。

 推論は現実を射抜いていた。

「さて、こっからだ、死神」

 依然、光をまとっていた神器をかかげ、術式によって増幅した生命力を注ぐ。

 輝きが増し、星と見紛うばかりの明るさが周囲を照らす。

「一撃で決める」

 その光景を由良は陰から見ていた。

 家というくくりで生きてきた彼は、戦場というものを初めて知り、初めて己の「死」あるいは「生」というものを痛みによって自覚した。

 目の前の光景は異常だった。

 途方も無い脅威に対し、果敢に挑むその姿は、絶望を感じている中では希望のように見えた。

(勝てるかも知れない)

 今までとは違う生を送れるかもしれない。

 ただ、賭博師の光が、由良の心を動かした。

 その時だ。

 光を消し去るほどの圧力すら放つ光が周囲を埋め尽くす。

 神槍から放たれた太陽がごとき光は、動きを封じられた死神の腹に大穴を穿った。

 大剣は手を離れ、体は地に伏せた。

「勝った……のか……」

 絶望から脱した喜びが由良の身体を駆け巡っている。

 ただ見ていただけなのだが。

「あんた、すげぇよ!これで俺も奴と対等に並べる!感謝するぜ!」

 ただ無邪気に由良は女に駆け寄る。

 左腕の痛みは消し飛んでいた。

「あぁ、まるで夢みたいだ」

「何言ってんだよ、現実だ!」

 喜びに満ちているのか。

 残った右腕を大げさに振り上げ、そしてそのまま刃を振り下ろした。

 女の左肩から右脇腹へ。

 不格好ながらも由良の描いた袈裟切りは夥しい量の血液を空に解き放った。

「ははは!!ありがとうよ!敵を倒してくれてよぉ!でもお前馬鹿かよ。個人戦なんだぜこれ?ひゃはは」

 労せずして敵を2人も排除できたのだ。

 聖護院には相討ちと伝えればいい。

 喜びが止まらなかった。

「せっかく頑張ったのに、殺されてちゃざまぁねぇよなァ?」

 悪趣味な笑いを浮かべながら残った右手で女の足元に転がった神器に手を伸ばす。

「左腕1本で神器2つとれりゃもうけもんだぜ。左には鎖腕でもつけときゃ」

「愚か者め」

 由良の腹から、神槍が生えていた。

 正確には背中から貫かれていた。

 右手にあったはずのモノに。

「なん……で……」

 瞳孔がその姿を捉える。

「言ったろう、夢みたいだと」

 由良の意識はそこで途切れた。


「神器がない……?」

 術中にはめ、見事に青年をあざむいた女は1つの謎にぶちあたった。

 あるはずの神器がない。

 夜トが他の夜トに敵意をもって意識を奪われた場合、神器は光を放つ。

 しかし、それがない。

 ためらわず服を剥ぎ取ったり、なんなら体の一部を剥いだりもいだりしてみたが、それでも見つからなかった。

「しゃーねぇ。権能が得られんのは癪だが、報酬があるなら十分」

 ポケットから無造作にタバコを取り出し

「灯せ」

 吸う。

「あ゛あ゛ーー」

 とても女とは思えないような声をだし、オッサンのように肩を回す。

「あ、仮面の方の神器忘れてた」

 由良とは別の、もう一方の死体に眼を向ける。

 その身体の横に大きな物体が2つ。

 戦闘の際に使っていた大剣と、光を放つ長大な鎌。

「こいつ……神器なしでやりあってたのか」

 常に死が迫っていたあの戦闘全てが手を抜かれていたという事実。

「倒せたのは幸運、だったか」

 あるいは自身の“賭”によるものか。

 仮面が地に伏した今、その真相はわからない。

 驚きながらもその手を鎌に伸ばす。

 そしてそれは遮られる。

 死んだはずの仮面によって。

「な……!?」

 手をふりほどき、本能的に後ろへ。そして流れるように神槍を構える。

「なぜ……!?」

 わきあがる疑問。

 確かに自分が殺したはずだと。

 なぜ、動けるのか。

 仮面は大剣ではなく傍らの神器、“神鎌”を取り、言った。

「僕のことをサンジェルマンの亡霊と、人は呼んでいたか」

 その言葉が意味するのは人類史上最凶最悪の殺人鬼。

 時代を超え、場所を超え、あらゆる大量殺人の裏にその影ありとされる、名を語ることすら恐れられた存在。

「貴公はよくやった。地につかせたのは久方ぶりだったよ。せめて安らかにいけ」

 最悪の鎌が、振るわれた。

 

 “賭”の命がちった後、仮面の男はもう一人の遺体を探した。

 神器が見つからなかったようだがならば術式などで秘匿している可能性がある。

 自身は神器にはあまり興味がないが、死んでいないのは癪だ。

 しかし、探せど探せど、由良は見つからなかった。

 服の切れ端も肉の欠片も何もかも。

 

 時は少し遡る。

 言霊使いが起き上がった仮面に驚愕していたまさにその時、由良は自身の神器を使用し、影にもぐった。

 かろうじてつなぎ止めていた意識の中でそれは至難ではあったが、女に身体をまさぐられている時でさえ、意識は保っていたのだ。

 それは生への執念がなしえるものであったのだが、結論として、その執念は通じた。

 神器、“神影”は文字通り影を操る神器である。

 逃走を図る上でも隠密性については言うことなく、彼は何の敵性にも遭遇することなく自らの邸宅にたどりついた。

 腕と腹、受けたダメージは言わずとも大きい。

 が、まだ間に合う。

 自らが築いたつながりの中に医療に特化した連中がいたはずだ。

 彼らを呼べば全快とはいわずとも普通に生活出来る程度には回復できるだろう。

 残っている右手で、簡易ではあるが連絡用の術式を構築、そして発動しようとした時点で違和感に気づく。

「誰か、いないのか……?」

 地元ではその広さでそこそこ有名になっているこの家に、人の気配がまるでない。

 確かに夜は深まっているが、それでも、普段であれば、守衛と、メイドが数人はいるはずだ。

 怪我を負った主人の帰還に気づかないはずがない。

 血は流れ続け、意識はうつろになっている。

(まずいな。何かあったにしても、このままじゃ……)

「随分と無様じゃな、由良」

 誰もいなかったはずの広間に声が響く。

「じぃ様……」

 由良の祖父、環良である。

 その人物は由良の祖父であると同時に、最悪の敵でもあった。

 由良の先代の当主である彼はかつて“天轟妖”と揶揄され、天王洲家の地力を底上げした、いわば現在の天王洲の立役者である。

 それを年齢や体力の衰えなど様々な理由でもって追い落としたのが由良だ。

 祖父と孫という関係でありながらその実情は敵という最悪の相手であった。

 少なくとも由良にとっては。

「どれ、儂がなおしてやろうの」

 天王洲環良は卓越した術者である。

 専門ではないとはいえ、死んでいないのであれば、生を保つことくらい、雑作もないことであった。

「助かります、じぃ様」

「よいよい、家族の危機じゃ。これくらいは当然のこと」

 由良の身体に左手を沿え、力を流す。

 傷は徐々にふさがり、癒えていく。

「しかし、お主、戦闘向きではないとはいえ、なかなかのやられっぷりよの」

「申し訳ありません。敵に……サンジェルマンの亡霊がおりまして」

「なんと……」

 その名をきき、環良の眼がぎらつく。

 回復しきっていない由良はそのむき出しの闘志に気づくことができなかった。

「ここ最近は大人しいと思っておったがなるほど宴なんぞに出ておったかあの男」

「策を……練り直さねば……。せっかく聖護院とのパイプをつなぐ機会だったというのに……!」

 (聖護院もからんでおるのか……ならば)

「良い良い、わしにまかせておけ。悪いようにはせん」

 戦慄が走る。

(あのじぃ様が助けを差し伸べてきただと……!?)

 怪我を治したのは天王洲として由良が必要だからだと考えていた。

 しかし祖父は宴の助けすらするという。

 そら寒さを感じる。

 この現状を考えれば願ってもない幸運ではあるのだが、それをもたらしたのがよりによって天王洲環良であるというのが由良に不安を覚えさせていた。

「いえ、申し出はありがたいのですが……これは私の戦いです」

「そういう割には他家をまきこみすぎたのう。ここからは奴らの助けは期待できんじゃろうて。むしろ」

 一息。

「本来の意味でお前一人の戦いとなる。お前を失うのは天王洲にとって痛い。それだけは避けねばならん」

 由良は20数年生きてきて初めて環良と会話している気がした。

 今まで何度か言葉を交わしたことはあったが事務的の域をでなかった。

 ここにきて。

 祖父が自分を心配している。

 今まで不気味に、ともすれば恐怖さえ感じていたその対象にようやく家族としての情を感じていた。

 命の危機を経ての安堵もあいまって由良の眼に祖父は頼もしき存在として映った。

「……頼りに……なります」

「ところで今後の策なんじゃがの」

 孫の眼を覗き込み、告げる。

「―――」

 安堵は一転、絶望に染まる。

 そして。

 

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