3 Day3
一月三日、その日中。
この時間に動く夜トは本来ならいない。
権能や神器がまともに使えるのは夜のみ。
それこそそういった常識を知らぬ夜解、白縫白鳳などなら話は別だ。
同様に輪の外から中心に向かって石を投げ入れようとするものもまた同じである。
黒のスーツに身を包んだその麗人は名をキカラという。
“聖護院”という大家のいわば刀。
その女性は今、流日の西側のある家の前にいた。
日本の屋敷と聞いて思いつくようなものではなく西洋にある館とでもいうような大きさの家。
その門。
天王洲と書かれたその中へ、“聖護院”の遣いとして足を踏み入れた。
話は簡単だった。
そして思いのほか、というべきか交渉はすんなりまとまった。
所詮世界の果ての貴族はこの程度か、と思ってしまうほどに。
裏を返せばそれだけ“聖護院”がいかに強大かを示しているわけだが。
「あとは黒槍殿の方ですが……」
おそらくうまくやるだろう。
自分以上にそういった世界に詳しいようだし、相手もどちらかといえばそちら側だ。
あの「賭博師」には私が行くより黒槍殿の方がいい、と結論づけた。
その矢先。
ポケットに入れていた端末が着信を知らせる。
そこにはうまくいったとだけ書かれた短いメールが表示されていた。
なら後は。
起きると昼だった。
昨日ははやくに寝たはずなのに。
まぁそれはいい。
いずれにせよ今日は外へ出る予定はない。
というよりしばらく動きがなければ引きこもり作戦を展開するつもりだ。
「おはよう、空」
「あぁ、おはよう」
どうやらましろは起きていたらしい。
よくよく考えなくてもこいつの貞操観念はどうなっているんだろうか。
「今更だけど別の部屋とか用意しなくてよかったのか」
「……ほんとうに今更だね」
ジト目、というやつだろう。
だいたい起きてすぐはこういう目をしているが。
「一番最初に会ったときからそうだし、別にいい」
「雑だな」
「信頼しているといいたまえ~」
未だ眠そうに少し語尾をおかしくさせて。
「うう~~~」
さながら吸血鬼がごとき太陽への弱さを出している。
なるほど信頼か。
寝ぼけ半分であろうから話半分に聞くとしても、そうか。
わけのわからない命のやりとりに巻き込まれて、その中で自分を守る存在があればそういった感情も当然か。
「飯食うか」
異変は広間へ向かうその最中だった。
ピン、ポーンと。
館内に響く呼び鈴。
来客を知らせる音。
おそらくここ数十年でここの住人以外鳴らしたことがないであろう音。
「お客さんかえ?」
「お客さんじゃな!」
夫婦達磨が廊下をはねながら玄関に向かう。
「待ってくれ達磨、俺が出る」
「あらら」
「空ちゃんが?」
「したらばまかすぞい」
言うと達磨は帰っていく。
「ましろも達磨と一緒に先に広間に行っといてくれ」
「あ、うん」
まだ少しぼんやりとしているのか、特に疑問に思うことなくましろは広間へと向かった。
「さて」
誰が古びた呼び鈴を鳴らしたのか。
その異常さを扉を開ける前から空は感じ取っていた。
このタイミングの、客。
扉を開け、少し出る。
門のすぐそばに、人がいた。
むしろ怪異であるなら、達磨たちと同類ならどれだけよかったか。
「敵か?」
「その問い方は決めつけていませんか、金剛銀城殿」
スーツを着たその人は空の姓を知っていた。
「質問で返すな」
「それもそうですね。私はこういうものです」
と。
その人物は右手をかざし宙に複雑な図形を描き出した。
それは家紋。
術者の世界の頂を統べる一つの家を示す。
力の象徴。
「“聖護院”……」
「えぇ。初めまして金剛銀城殿」
ならばどうしようもない。
宴への参加は半ば大聖堂からの通達あってのものだしその大聖堂の頂点にいる家なら目録を通して素性は知っているだろう。
無論、だからといって居場所まで知られているのは解せない。
「なんの用だ」
「情報を一つお伝えしようかと」
その無表情が崩れる気配はない。
「情報……?聖護院がただの雑兵に何を伝えようってんだ」
「雑兵とはとんでもない」
意図がよめない。
家があったころならまだしも、今の空は継承すべきものを継承しそこねた、ただ術を知って使うだけの存在だ。
“聖護院”とは接点などないはずだが。
「お嬢様は高く評価されています」
「会ったこともないやつに評価される覚えはない」
「ご謙遜を。ここを探すのに我々をもって三日かかったのですよ」
この場所は見つからないだろうと思い、拠点にしたのだ。
それを暴いている。
馬鹿にしているのだろうか。
「本題に入りましょうか」
“聖護院”はその視線を外すことなく。
「一つ。お伝えすることがあります。そして先に言っておきますが“聖護院”としてはこの件について動く気はありません」
「……早く言え」
「では。この“宴”に十年前の事件の犯人“仮面の男”が参加しています」
「……は?」
思わず、聞き返した。
今なんといった。
「“仮面の男”だと……」
「えぇ。我々は“サンジェルマンの亡霊”と呼称していますが」
十年前に一度見た。
燃え盛る炎と、数多ある死体のそのうえで、仮面を付けた男を、見た。
「事件のことはどこまで知っている?」
「公式に発表された以上のことは存じ上げておりません」
「……そうかい」
「それでは失礼させていただきます」
「待て、それを伝えるお前の意図はなんだ」
「……それは私が言う必要がありますでしょうか」
ようやく無表情だったその顔に微笑を浮かべていた。
「では」
きびすを返す。
そして、名乗ることのなかった“聖護院”は去った。
確認したいことはある。
しかしまずは考えよう。
あの“聖護院”の人間が言ったことを。
とりあえず、飯でも食いながら。
このとき空は、自分がどういう表情をしているのか、わからなかった。