6 Day6
それは前触れも何もなかった。
「空……コレ……」
「あぁ」
一日前。
シルヴァが手渡した古ぼけた紙には失敗したという文字が浮いた。
それは夜徒に対する同盟の解消をある種意味するものであった。
術式は生きていたため、その紙は捨てずに持っていたのだが。
『シルヴァ・U・デストロは舞台から降りたよ。さらばだ、少年少女』
その術式はシルヴァの死を伝えた。
「オッサン……死んだみたいだな」
死という言葉にましろが身体を震わせた。
「……」
言葉が続かない。
元から親しかったわけではない。
会ったら多少世間話をする程度だ。
それだけの、浅い付き合い。
「……死んだのか」
冷水を浴びせられた、というようなわかりやすいものではなく。
不思議と、静かにただ全ての感情をもがれたような。
「おい、主」
「……なんだよ銀城」
空自身の契約にして得物である刀はいつの間にか実体化していた。
「冷めたことを言うようじゃがの。するべきことがあるじゃろうに」
「銀ちゃ」
発しかけた言葉は手のひらを向けられることで制された。
「お主らの感情はわかるがの。それを尊重してやりたいとも思わんでもない。じゃが、だからこそ言うぞ」
血よりも赤いそのふたつの瞳は主を射抜くように見ていた。
「やるべきことをやれ」
すなわち銀城の言うことはこうだ。
信じられないならその死を確認せよ。
死をもたらした脅威を確認せよ。
そしてその脅威へ備えよ。
「言ってくれるな」
「そりゃ言うわい。わしはお主の刀にして従僕にして契約者じゃからな」
ニコっと。
うすい胸をはりながら、手を腰にあてながら。
ドヤ顔で神代の鬼にして最高の刀はそう言った。
◇ ◇ ◇
「というわけでお主らはでぇとをするべきじゃ」
「は?」
「何言ってるの?」
銀ちゃんは朝ごはんを食べた後、突拍子もなくそう言った。
「……実世界に慣れて頭おかしくなったか」
「アホか。お主よりこの世界の扱いには慣れておるわ」
空に手刀をくれつつ、銀ちゃんは続ける。
「詳しくは知らんがその“宴”とやら、何人生き残っておるんじゃ?」
「……確定してるのは俺たち二人とオッサンを倒した奴が一人。あとは……わかんねぇ」
逆に敗退したものを数えても、それは同じだった。
「まー、ぶっちゃけもう大方リタイアしとるじゃろ」
唐突に、銀ちゃんは雑になった。
「いや、正直なことを言うとじゃな。この街の色々を見ておきたいんじゃよ、久々に」
いわく、実世界にちゃんと現れたのはおよそ十年ぶりほどらしい。
だから、と。
色々と見たいらしいのだ。
「どうせ昼間はお主らなんもせんのじゃろ?ならわしをどっかに連れて行け」
結論。
銀ちゃんにそそのかされる形で、私たちは海に来ていた。
正確には海浜公園だけれど。
まず海に来たのには理由がある。
周囲に立てられているいくらかのノボリ。
『シルヴァ、炎のマジックショー』
まだその実感がわかない。
「アイツは何がしたかったんだ?」
発破をかけた当の銀ちゃんは海浜公園に私たちが着くと同時に
「疲れた!」
とだけ言って空の中に入った。
まわりを見渡す。
さすがにこの寒さで海に出けけようと思う人はいないのだろう、私たち以外誰もいなかった。
「……なるほど」
空が一点を見て呟く。
その先には特に何もない。
「何か見えるの?」
「残滓ってやつだな……。ほんとに微かにだけど。多分昨日オッサンが使ったやつが残ってる」
その跡には、何もない。
空はふと左手をかざす。
その先から小さな炎がほとばしる。
まるでそれは、華だった。
「行こう」
せめて安らかに、そう願いを残して。
それから、メインストリートを北上する。
途中でいつものケバブを買った。
やはり、金髪の少女は居た。
「お前いつもケバブしか食ってねぇのか、ガキンチョ」
「アリスだと言っているだろう」
ものの五分とたたず、ケバブは食された。
「毎度ありぃよぉ!!」
三度目にして、初めて店員の声を聞いた。
どうやら、外国からいらした方のようだ。
「さらば」
少女はそう短く言って去っていった。
いつもより、心なしか感情の起伏が少なかったように思えた。
彼女とはまた会うこともあるだろう。
多分。
「……出てこねぇな、銀城」
しばらくして、銀城ちゃんはまだ出てこない。
「それどころかこっちが呼びかけても返事もしやがらねぇ」
「いろいろ懐かしいって言ってたよね。空の家があったところに行ってみたら?」
「家か……行くか」
メインストリートからバスにのって二十分ほど。
流日の中でも高級住宅街として名高い、流西地区へとやってきた。
「さて、どこだったかな」
「やっぱり覚えてないの?」
「……ここらに居たのは十年ほど前までだからな。目印みたいなのがあればいいんだが」
「目印……」
正直、こっちの方はあまり来たことがない。
高校はぎりぎり流西の範囲だけれど、ほぼ外れだ。
だからよくは知らない。
強いて言うなら。
「冬桜、かなぁ?」
「なんだそりゃ」
「目印っていうか、流西で有名なやつ……らしい」
「えらく曖昧だな」
「私も一回、お母さんに連れて行ってもらったことあるだけなんだけど」
たしか流西公園の近くに冬でも咲いている桜があったはずだ。
十年前は。
「冬でも咲く桜……?」
胸中に淡いものが生まれる
「今でもあるかわからないよ?十年くらい前の話だし」
「場所はわかるか?」
「んー……」
正直覚えていない。
「なんとなく、坂の上にあった気がするんだけど」
「坂の上……」
今いるところから山の方を見渡す。
中腹部あたりまで、パッと見て続いている道は一つしかなく。
「あれ、白いよな」
「白いね」
一部分、あるいは一本、というくらいだろうか。
白を放つ木が、そこにあった。
「行こうか」
かくして、その桜はあった。
とある屋敷の中に。
塀の外からも見える桜は坂を登る前に想像していたものより一回り大きかった。
「綺麗だね……」
下からも見えていたけれど、素直にそう思った。
「空……?」
隣にいる空は桜を見ていなかった。
その視線の先。
閉ざされた門に彫られている、恐らく家紋。
それを見ている。
そして何も言わずに門をあけて中へ入った。
「ちょ、空」
追いかける。
ほんの少しだけ寒気がした。
空は家には直接入らず、それを迂回するように庭を進む。
桜の元へと。
家は所々古びていたものの、汚く廃墟になっている様ではない。
むしろ、なぜ人の気配がしないのかわからないほどの綺麗さ。
空は門から反対のところの池のある庭で、桜を見ていた。
「空、まずいって。早く出なきゃ」
と、空の腕を掴む。
「これ……俺の家だ」
「へ……?」
「あの家紋も、この池も、その向こうのあの桜も全部。俺が暮らしてた家そのままだ」
「でも……空の家ってなくなったんじゃ……」
「十年前にな。燃えたはずなんだ。家も家族も」
その瞳が暗くなる。
「家族も……」
「そういや詳しくは言ってなかったな。殺されたんだよ、俺の家族は。ほとんど家まるごとな」
桜に手をあてながら続ける。
「この桜も、多分燃えたはずなんだが」
なんであるんだ、と。
疑問というより単に疑いを、あらわにする。
「ねぇ空、聞いてもいい?」
多分、この前のようにはならない。
「なんだ?」
「どうして、その……家が燃えたの?」
真っ直ぐ、目を見て言う。
「……正直よくわかってない。まだ悪い夢を見てたんじゃないかと思うこともある。あまりにも呆気なく始まって、終わった。俺はその時、家のすぐ近くの竹林に沙羅と居た。なんでかは覚えてない。で、見たら家が燃えてた。犯人なんてなまっちょろい言い方をしていいのかはわかんねぇけど、その時見たのは仮面をつけた大男がいたってことだけだ。あとは……目を覚ましたらバァさんの神社に沙羅と居た」
「まぁ色々たらん所はあるがの」
と、銀ちゃんが現れていた。
「しかし、これはどういうことじゃろうな。確かにあの時燃えたはずなんじゃが」
腕を組み、あちこち見渡す。
「中は見たのか」
「まだ見てねえ」
家の中に入っていく。
思ったよりも、というべきか。
やはり、というべきか。
広かった。
全てふすまで区切られていたので部屋という感覚ではなく。
「なんか思い出すか銀城」
「といってものぉ……すぐ前までお主の中でこの家住んどったし」
そして全てのふすまを開け、部屋を見て気づく。
「やっぱり綺麗すぎるよね……」
「……」
そしてもう一つ。
来たことのないはずの私が、どうしてこんなにも懐かしく感じているのか。
どことなく、なんとなく、知っているような。
そんな感じ。
「そういやましろはなんで一人暮らししてるんだ?」
ふと、空が聞いてきた。
「……中学までは一緒に暮らしてたんだけどね」
自分から言い出したのだ。
表面上の理由は、覚えてない。
ただ。
「居づらかったんだ。親と、家が」
仲が悪かったわけじゃない。
「それだけか?」
「……正直、夜寝れなくて両親の生活リズム崩すのも嫌だった」
暗闇が嫌いだ。
「それって理由はあるのか」
「多分、事故かなんかだったと思うんだけど。結構長い間意識がなかったんだ」
「……その時のトラウマみたいなもんか、暗いところで寝れないってのは」
「多分。夜中に外に行くのはそんなに怖くないんだけど」
あの感覚。
暗闇にひきずり込まれるかのようなそんな感覚。
「そりゃぁま、そうもなるだろうね」
割り込むその声に、空も私も。
驚くことすら忘れ、呆然とした。
なぜ、ここにいるのか。
「“天秤屋”……」
「やぁ、空クン。そして、あぁ、そうか。月夜ましろクン」
名前を。
伝えてないはずのその名を呼ばれた。
「なんでここにいる」
「その聞き方は、対価を要求することになるぜ。まぁいいけど」
相変わらず寒そうな格好で、大きい帽子を被っている。
「強いて言うなら決着をつけに来たのさ」
「決着……?なんの話だ?」
不気味な視線は、空の傍らの銀城を射抜く。
「久しぶりだね、銀の鬼」
「……わしはお前に会った覚えはないが」
不審げな眼で返す。
「あぁそうか。今ここは昼の扱いになっていたね」
ポケットから何かを取り出す。
中心が黒い、小さなビー玉くらいの大きさのモノ。
“太陽殺し”
「随分と役に立ったよ、これは」
つぶやきながら、握りつぶす。
形がくだけた中心部からはあの暗黒が広がる。
それと同時。
周囲の風景が崩れていった。
「……やはり造られたものじゃったか」
「……」
崩れていくその風景に、空は何を思うのだろう。
暗黒と崩壊の風景が収束して残ったのは。
打ち捨てられてボロボロになり崩れた屋敷だった。
咲き誇っていた桜も、ない。
その桜があったところには大きな切り株と、それに座る“天秤屋”。
「久しぶりの実家はどうだったよ、空クン」
「悪趣味にすぎるぞ。それに」
銀城の頭を撫でながら。
「そんなに久しぶりでもなかったさ」
「そうか、それは残念」
言いながら立ち上がる。
「さて、思い出してもらえないようだから、君たちの知っている姿になろうか」
左手を顔に添える。
「あまり驚かないでくれよ」
言って、仮面をつけた。
いつか見た、その仮面。
「さぁ」
思い出してくれたかな、と。
仮面の下から“天秤屋”が告げる。
「つけようか、十年前の決着を」
気づけば空は、漆黒に染まっていた。




