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夜トの宴  作者: 大隈寝子
17/22

 5 → 6 Night6 side Wing

 正面。

 沈む太陽を背にしてその存在は暗闇から現れた。

「お初にお目にかかるな、聖護院の姫君」

 見た目は天王洲ユラ。

 夜豊その人である。

 しかし、それゆえ、キカラは驚かずにはいられなかった。

 口調も、所作も、にじみ出る実力も、威圧感も、何から何までそれまで調査対象として見ていたユラとはまるで異なっていた。

 なによりも、左腕。

 死神によってきりおとされたはずのそれは、あるべき場所にあった。

 テラスの手すりに降り立つ。

「要件は言わずともわかるな?」

「権能と神器だろう?なめすぎだぞ、お前」

「これは手厳しい御嬢さんじゃのう。年寄はいたわるもんじゃぞ?」

「あいにく年功序列は軽視していてね。実力主義なんだよ私は。先に言っておこう。わざわざ神器をよこしに来てくれて感謝する。老いぼれよ」

「ほざくなよ、童」

 アリスは席を立ち、キカラを下がらせる。

 対する環良は自身の周囲に複数のまがまがしい「器」を出現させていた。

「いろいろ聞きたいことはあったのだがな。幻滅したぞ」

「そうか、なら目を覚ましてやろうの」

 2人の怪物が向き合う中、陽は落ちた。

 先に仕掛けたのは環良。

 周囲の「器」に神脈を通し、砲撃。

 同時に夜豊としての権能を使う。

 指定するのは“止”

 任意で対象の時を止める。

 よほど、それも発動されるとわかっている状態での対抗術式でなければ回避不能。

 気づいた時には命を奪われている。

 おそらく単体の性能としてはこれまでを含めても最強の権能。

 それを偽物が本物に放つ。

 放ってしまえば、あとは魔力の弾幕がアリスを食い散らす。

 はずだった。

「天王洲にその人ありとまで謳われた傑物が……詰めは甘いのだな」

 自分以外のすべてが止まっているはずの世界で、アリスは悠然と微笑んだ。

「この私が、自身の権能について他に劣るはずがないだろう?」

 時を一定範囲内において止める、ということは術式によって起こしえないわけではない。

 かつて一度、実験されたことがある。

 膨大な数の人間と、ナノ単位で描かれた陣。

 星の位置、日時、あらゆるものを大量にしかし精緻に動員して止められた「時」はたったの一秒。

 想定外の事態に備えて対抗術式も用意されたが、使う間すらなく、実験は終了した。

 アリスが自身の権能を確認して後、まず行ったことはこの実験で用意された対抗術式を自分用にアレンジすることだった。

 制御できない強大な力ほど厄介なものはない。

 アリスは自身の強さゆえにそれを理解していた。

 過信はしない。

 自分の強さは才能ではなく、その上に積み上げられた努力こそが本懐。

 それゆえの万全。

 強者の中でもなお一線を画すその実力は、かつて妖怪とさえ言われた強者の上を行った。

 “権能”はきかなかった。  

 しかし、器の砲撃は止まらない。

 天王洲環良は駆ける。

 確実な勝利を手にするために。

「さすがは姫君よのう!!ならば!!」

 新たな器を両手に顕現させ、構え、放つ。

 先に放たれている砲撃と合わさり、それらは壁がごとき弾幕となりアリスに襲い掛かった。

 まぎれもなく爆発。

 少し離れた所にいたキカラの瞳には少なくともそう見えた。

 その爆心。

 十枚の翼に守られたアリスがいた。

「もう、いいか?」

 反撃を開始する、と。

 構えねば死ぬぞ、と。

 問われた環良は笑みで返す。

(想像以上の難物じゃのぉ。良き哉良き哉)

「誉めてやろうのぉ童。並みよりちと抜けたくらいかと思っておったが……」

 手にもった器を放り、合掌を作る。

「褒美じゃ。わしが“天轟妖”と言われたその所以、見せてやろうの」

 瞬間、天王洲環良の体から魔力が爆発した。

 奔流は圧力となり、吹き荒れる風を生む。

 この時点で、離れた地点にいた家の世話をしているメイドや執事たちは気を失った。

 キカラでさえ気を保つのがやっとだった。

 アリスの目の前で、放たれた魔力が器となり、周囲の魔力を巻き込んで妖怪となる。

 とどまることなく、それは連鎖し、アリスの周囲はやがて黒々とした妖怪の群れで埋まった。

「百器夜行……ここから先は、今までの千倍は楽しめると思え」

「そうか。なら丁重にもてなすとしよう。クソジジイ」

「良家の姫君がそういう言葉使いをするもんじゃぁ、ないのう!!」

 言葉を合図に妖怪たちは蠢いた。

 その存在は純粋なる魔。

 ゆえにこれだけの、聖護院の広大な別荘を覆い尽くすほどの量が動けば意図せずとも、さながら化学反応がごとく数多の術式が生成され、放たれる。

 それらの術式や生み出される妖怪に共通点はない。

 ただ、アリスに対して攻撃の意思があるという一点を除いては。

 

 迫る黒の奔流。

 アリスはその場を動くことなく、ただ背の翼をはためかせた。

 十枚の翼、しかしそれは空を飛ぶためのもの、というよりはむしろ

「失せろ」

 他との隔絶を示す、刃のようだ。

 翼は術式をはじき、妖怪をなぐ。

 一枚一枚が10mにも及ぼうかという大質量。

 いくらその名を世界に轟かせた環良の妖怪といえど、翼にふれてなお存在し続けたものは皆無だった。

 とはいえ、妖怪とて怪物。

 消されても消されてもなお、それを上回るスピードで黒の存在は生まれ続け、攻撃しつづけていた。

(キリがないな……)

 察するに百器夜行は、最初の発動の時のみ呪力を要する。

 発動してしまえばあとは自動的に敵が滅びるまで増え続け殺し続ける。

(うまい術式だ)

 増え続けるものを殺し切るにはどうするか。

「空よ、聞け」

 左手を天に掲げ、降ろす。

「夜に、星を」

 ただ四つの言葉。

 それだけで、周囲は破壊の光で満ちた。

 その白が、黒の妖怪を駆逐する。

「まるで昼みたいじゃのぉ」

 黒の妖怪すべてを消された環良はしかしそれでも余裕の笑みを浮かべていた。

「ただの羅列で大魔法とは、やられた方はたまったもんじゃないわい」

 顎に手をあて、敵を観察する。

「鬼やらなにやら色々用意したんじゃがのぉ……雑魚の群れじゃたらなんだか」

「むしろ、私に雑魚をあてがったのか?」

 若干の怒りをにじませた笑み。

「機嫌をそこねたかの、姫君」

「いいや、驚いただけだよ。私にそうやって遊んだのは君が初めてだ」

「ふん。長い人生やってると色々あるもんじゃよ?その年で初めてがどうだの言うのはわしみたいなのを笑わせるだけじゃて」

「そうか、ではついでにもう一つ笑ってもらおう。お前、その体は何人目だ?」

「はっ。流石よのぉ、姫君。その幾ばくかの才覚を由良がもっておればこうはなっておらんかったろうに」

 楽しそうに。

 妖怪は笑う。

「話をそらすな。何人目だと聞いている」

「ふぅむ。もうちぃっと心は広く持つべきじゃぞ。姫君。さて、本題じゃが」

 未だ空に浮かぶアリスの陣に目をやり、数える。

 ひぃ、ふぅ、みぃ、

 子守唄を歌うような調子。

 その数は、それだけの残虐を意味する。

「ちょうど9人、かのぉ」

「なら覚えておけ。それが貴様の最後に刻む数だ」

「強気なこって」

 笑いながら、右手で結び、左手を切る。

 印。

「ならお主も覚えておけ。最後に刻むのは」

 合わせて17じゃ。

 消え去ったはずの黒は再び動き出す。

 よりその力を増して。

 より、その感情を増して。

「妖怪の材料を知っておるか?」

 印は宙に陣を描き、輝く。

「魔力だろ」

「そっけないのぉ」

 世界の憎悪じゃよ。

 より、その暗黒を増して。

 形は成った。

 興味がない人間とて、知らぬ者はこの国にはいないだろう。

 妖怪というにはその範疇を大きく逸脱し、もは神の領域にすら達している2つの存在。

 ヤマタノオロチと、九尾の妖狐。

 陰陽道において、最も意味を持つ8と9をそれぞれ冠する、この国最高峰の怪物。

「お前に対する憎悪だろ、それは」

 もちろん、かつて実在し、この国を跳梁跋扈したソレとは別の存在である。

 ゆえに偽物。

 しかし、だ。

 本物であろうが、偽物であろうが、アリスの目の前の存在が強大であることに間違いはない。

 環良の術式は、かいつまんで言えば「作り出し、操る」ことである。

 が、この2体に関して言えば、その説明は嘘だ。

「もはや神降ろしの類だが、そうか憎悪を拡大させたのか」

 器用なことをする。

 世界をゆがめるほどの存在を2つ、いや3つを前にしてもなお、アリスは平然としていた。

 どうしたものか。

 

 さて、それでは一つずつ詰めていこうかの。

 生み出した怪物を前に目の前の少女はきちんと対応している。

 この2体の巨魁の真の脅威は大きさではない。

 手数の多さである。

 並みのモノであれば重たい一撃などは出せる。その程度であれば牛鬼や土蜘蛛など少々名の知れた妖怪でも実現は可能だ。

 しかしそれを間断なく連続して繰り出すとなると話は別である。

 一撃は重く、しかし全体も重く。

 “大聖堂”にその名を連ねる賢者といえどこの2体を同時に捌ききるのは至難であろう。

 来るとわかっている強力な一撃に対しては大きな壁を用意する必要がある。

 そしてそれで全てを耐え、かつ反撃しなければならない。

 アリスはどうか。

「ほぅん……神器で防ぐか」

 アリスの神器“神翼”。

 この世を切り裂く絶対の翼。

 色は白を通り越し、全てを反射するような銀色にまでなっている。

 その性能の逐一まではわからないが。

 少なくとも翼を軸として防護の術式を展開しているのは確かだ。

 こちらの手数は単純に計算すると自分を抜きにしたとしても17である。

 細かくいれると20を超えるだろうが、対して向こうは10。

 現状でもって敵は余裕で受けている。

「増やしても無駄よなぁ……」

 ならどうするか。

 手数を増やしてだめなら。

 敵のソレを減らせば良い。

「我が祖に乞う」

 アリスの手数は翼が担っている。

 すなわち現状の敵の戦略の中核は神器だ。

「大いなるもの、贄は無、贄は全、贄は過去、贄は未来」

 おそらく術者の世界を照らしてみても最も謎の多い物体であろう神器を封じるにはどうするべきか。

「捧げる我に、今を与えよ。簒奪せよ。撒き散らせ」

 取れる手段は一つ。

 全力でもって、全てを出し切る。

「陰陽双封鎖、起動」

 

 さしものアリスも、それには気付けなかった。

 というよりは誤認してしまった。

 あらゆる術式にはそれなりの事前の動作というものが存在する。

 魔法陣であれ詠唱であれ、注意さえしていれば見落とすことはないもの。

 そして術式の効果そのものは基本的に動作が紡がれたところから発生する。

 だからこそ。

 環良が呪を紡ぎ終えたあと、自身の翼に黒々とした鎖が巻き付いていることにわずかな瞬間気付けなかった。

「翼はもはや使えんぞ、小僧!」


 何をされた。

 起きた出来事に対し、頭脳を回転させる。

 戦法の基軸にしていた神器が突然機能しなくなった。

 存在はしている。

 ただ術の一部として成立していない。

 ここで判断を誤ればせまる連撃で自分は肉塊となるだろう。

 切り替えろ。

 翼は使えない。

 何故?

 原因。

 鎖。

 排除?

 不明。

 分析?

 瞬刻不可。

 対処変更。

 迎撃、防御。

 選択、迎撃。

 翼は。


「陰陽よ来たれ。私はここに選択する。礎の空転、空を地へ、月を湖へ、蝶を夢へ、反転せよ、混沌せよ、狂乱せよ、陽に9を、陰に8を。さぁ、踊れ」


 近づく絶撃に対しアリスはできることをする。

 まず、翼をひっこめた。

 しかし攻撃は止まらない。

 だから迎撃の体勢に入る。

 迎撃と防御はその意味するところは大きく違う。

 防御はただ次の一撃のための準備をこめた行為であるのに対し、迎撃は準備のための隙を作る攻撃である。

 アリスほどになれば攻撃と防御のスイッチは一瞬ですむ。

 ならば、敵に対し心理的に優位にたてる方がよい。

 迎撃で2体の化物を対処する自信とそれを可能にする力量が、彼女にはあった。


「かっ、舐められたもんじゃの」

 神器をひっこめた上でそこから続く17の連撃を術式のみで受けきるとは。

 そりゃぁ、いくら聖護院家といえども飼い慣らせるタマじゃなかろうな。

 過去に遡ると、この怪物たちに対峙したのは10人に満たない。

 その内の一人を除き、全ては瞬刻の後に餌食となっていた。

 どれを取っても、ここまで出してしまうと後は見守るだけ、というのがいつもの戦闘であったが。

 戦闘という形で昂ったのはいつ以来か。

 ならより苛烈により熱烈に攻め立てよう。

 

 敵、聖護院アリスのとっている迎撃方法は単純ではあるがその実、ある面で合理的ではない。

 術式に対抗するには大きくわけて2種類ある。

 一つは全く同じ量で、真反対の属性をぶつける。

 これは向かい来る術式を完璧に理解している上であれば最も確かな防御方法である。

 が、対抗術式と名付けられたこの方法は戦闘において特に宴のようにいつ誰と戦闘になるかわからない状況では敵の術式や特性を把握していることは少ない。

 もう一つは敵の術式を無視して大質量の力の塊をぶつける。

 消火するために洪水を流すような暴虐。

 余りに非効率ではあるがそれを補ってなお単純。

 敵を把握する必要はない。

 自身の力量さえ信じていれば動作としては単純。

 その名を地球の裏まで響かせた天轟妖こと天王洲環良の術式を純粋な力の塊でとめるにはどれほどの素養が必要か。

 術式に通す力、俗に魔力などと言われるソレは限界保有量は生まれながらに決まり後天的に変わることはまずない。

 質を高め、研ぎ澄ますことは可能ではあるが量を増やすことはできない。

 ここにきて、術者の世界の頂点に君臨する姫君はその才を存分に振るっていた。

 

 連撃では足らぬ。しかしこれ以上に手数を増やしたところで敵の暴力的な防壁は破れない。

 相手がアレでは息切れも見込めなかろう。

 おそらくこちらの身体が先に根負けする。

 なら。

 怪物で足らぬならその上を行くまで。

「お主は徹底的に痛めつけることに決めた。その証といってはなんじゃが、今からとっておきを見せてやろう」

 再び合掌を作り見据える。

 この先に“成る”自身の行方を。

「はぁぁぁぁああああああっっっっ!!!!!」

 裂帛の気合。

 あるいは宣言ともとれた。

 環良の肉体から周囲の風景を歪めるほどの魔力が噴出する。

 その濃密な力は空間を荒らし、やがて形を伴っていった。

 鎖。

 天王洲の祖が開発したソレとは違い環良が生み出した鎖は禍々しく一つ一つが人間大ほどの大きさを持っていた。

「見た目だけはご立派だな」

 

 怪物をあしらう合間、アリスは言葉を投げかける。

 徐々にではあるが、敵のそれぞれがまとう術式の属性や構成はわかってきた。

 まだ完璧とはいえないまでもこれならば、対抗術式を作り上げるのはそう難しくもない。

 それが出来てしまえば、この2体の怪物は押し切れる。

 後は本丸であるところの環良を叩くだけだが、その環良が動き出した。

 この瞬間に至るまで、環良のことについては記録という形でしか情報を得ていない。

 それもあやふやな記録ではあったが、そのどれをとっても彼が直接戦闘に加わるというものはなかった。

 常に「器」を用い、妖怪を生み、使役する。

 ある種の戦闘の形ではあるが、そこには傀儡をあやつる主という印象が常にあった。 

 ゆえにこの瞬間。

 この戦闘が始まってようやく、アリスは環良を観察した。

 自分に足りていないのは経験だけである。それはわかっている。

 知識も力量も十分にすぎるほどにある。

 だからこそ見聞などというお題目をたて外へ飛び出した。

 使うことのない力など路傍の石より価値はない。

 その力を認識し、正しく振るうために。

 自らがこれほどのモノを持って生まれたその理由を知るために。

 アリスは経験を欲した。

 それを得られる状況が今、ここにある。

 経験とは、知らないことを知ることだ。

「私は知らないぞ。天王洲環良」

 言葉は出ていた。

 お前の持つものを早く見せろと。

「そらそうじゃろうなぁ」

 浮かべていた薄い笑みが崩れていく。

「これを見て生き残ったやつは後にも先にもおらんのじゃから」

 獲物を前に、どこまでも残酷にその狂気を高ぶらせるごとく。

「さて、では食うとしようかの」 

 出現した巨大な鎖はその果てが見えぬほどに長大で、わかることといえばその根元が環良の周囲に現れた魔法陣から出現していることのみ。

 あの陣は何だ。

 基本的に術式という存在は体系づけられた理論的なものであり、そのベースとして用いられるものはある程度決まっている。

 古くより人に認知され受け入れられたもの、狭い言い方をすれば宗教。広い言い方をすれば教えと言ったところか。

 それらから少しずつ拝借し術を行使する。

 すなわち宗教を理解することは術式の根本を理解することになる。

 アリスは聖護院の所蔵する幾万もの知識でもって現代においてメジャーといわれるものはもちろんのこと、少数部族のそれにいたるまで目を通している。

 それだけの知識、情報をもってすれば陣や呪をある程度鑑みれば生まれる効果はおおよそ見当がつく。

 だからこそ不思議だった。

 そのどれをとっても、今目の前で展開されているソレには至らない。

 わからない。わからない。わからない。

 ベースがわからない。

 何を使っている? 

 この先何が起きる?

 見せろ早く。

 邪魔はしない。

 貴様の全力を、私は捻り潰す―――


 混沌ともいえる陣から繰り出された巨大な数多の鎖は怪物たちにからみつく。

 猛るペットを縛り付けるように。

 失った力を取り戻すように。

 黒を絡めたその鎖はより黒い主の元へ

「我のもとへ来い、集いし恨みよ。今宵はハレぞ」 


 つぶさに、一瞬たりとも見逃さないと、その眼光鋭く敵を見つめる。

 鎖は2つの怪物に結びついた。

 そしてそれらは鎖の主へと引きずられていく。

 ただ制御を強めるだけではない。あれはもはや

「食らっているのか」

 しかしだ。

 あの怪物2つはこの世にある憎悪を集め形にしたもの。

 もちろん全てというわけではなく精々がこの街、流日市とその周辺程度であろうが、感情という本来質量のないそれは形を伴えばほんの少しでもこれほどの脅威になりえる。

 推察するに環良はその憎悪を身に纏おうとしている。

「お前、感情に食われるぞ」

「何、そのための鎖じゃよ」

 鎖は、怪物たちから力を吸い取りその力に踊るように脈をうっていた。

 さながら血管のように。

 徐々に徐々に黒の怪物たちはその存在を薄く小さくしていき、黒の主は存在を強くしていく。

 感情を身に纏うとはどういうことか。

 感情をベースに発する術式はある。

 しかしそれを具現化させるとなるとそうはない。

 憎悪は人を鬼へと変える。

 ならばそれを支配し、身に覆うなら人は何へと成るのだろう。 

 

 環良はやがて、憎悪を鎧とした鬼へと成った。 

  

 もはや素肌は見えない。

 黒のオーラを放ちながら、鎧というにはあまりにも有機的なソレを纏った環良は力加減を確かめるように握り拳を作り肩を回す。

 

「鬼に成った気分はどうだ、人間」

「鬼か人間かはっきりせい、小童」

 周囲に撒き散らす暗黒とは裏腹に鬼の瞳は心の底から笑っていた。


 どう食らってやろうか。 

 この稀な食材を。


「行くぞ」

 

 膝をたわめ、地に平行に跳ねた。

 爆発的な速度で黒は少女に迫っていく。

 互いが動かず術式のみを展開していた静的な戦いは終わりを告げ、動的なものへと。


 やるしかないか。

 敵がその速度でくるならば、こちらはそれ以上に速くあらねばならない。

 機動しながらの戦闘はやったっことはないが。

 試すならこれ以上の機会はない。


 鬼がその爪を少女に届かせるまでの刹那、少女は3つの行動をおこした。

 まず四肢を中心とした部位に流麗な鎧をまとった。

 次に跳ねた。

 最後に力をまとわせた右腕を向かい来る鬼に突き出した。


 初撃は、結果からいえば互角だった。

 互いの腕から溢れ出る力が衝突しさながら真円がごとき波を周囲に散らせながら終息した。

 鬼はもはや元の面影は一切捨て去り、影が実体を伴ったようなものに成り果てていた。

 一方の姫は。

「なんじゃ、お主術一辺倒かとおもいきや腕っ節もいけるクチかい」

 両腕にはガントレット、足には膝上ほどにまで伸びる、ハイヒールとブーツをかけあわせたかのような鎧。

 その他の胸部や頭部には申し訳程度の鎧が少々とうっすらとした陣がういていた。

「試したのははじめてだよ」

 力を込めながら次へ。

「喜べご老体。冥土の土産にはちょうどいいだろう」

 術者の頂点に立ちうる2人の巨魁はその粋を単純な力に変換しぶつけ合い殺し合う、異質な戦いへとコマを進めた。

 一撃ごとの衝撃は互への傷は軽微に、その周囲への被害を甚大なものとしていた。

 もはやアリスが拠点としていた屋敷はみる影もない。

 が、そんなことは2人には些事にすらなりえない。

 力を存分に震えるというその事実が喜びを、打ち返される衝撃が昂ぶりを与えていた。

 庭の木々は折れ、石はくだけた。

 小高い丘の上にあったはずの玄関もいまや破片すらみあたらない。

 隕石でも落ちたのか。

 そう思わずにはいられない惨状。

 鎧は白く煌き、感情は黒く渦巻いていく。

 二人の激突は太極を描いていた。

「そろそろ終いにしようのぅ!」

 黒は叫ぶ。

 その瞬間であった。

 黒のオーラの動きが、急停止した。

「よくわかってるじゃないか老人」

 動きを止めたそれには無数の罅が入っていく。

 限界を示すように。終わりを告げるように。

「がぁッ……!」

 罅は広がり、黒のオーラは剥がれ落ち主たる環良が露出する。

 その表情には苦悶。

「何を……」

「死んだら教えてやるよ、老人」

 言いながら。

 少女の片腕には新たな武器が握られていた。

 剣、と言うにはあまりにも美しくあまりにも白い何か。

 およそ暗澹に満ちた夜空ごと全てを斬ってしまいそうな純白。

「試し打ちとしては上出来だったよ、天轟妖」

 ゆっくりと振り下ろす。

 その時、永い時を生きた彼は何を思っていたのか。

 刃が沈むその表情には不敵な笑みが―――

「ぬぁぁぁぁぁあああああああああ」

 悲鳴は背後より聞こえていた。

 アリスの後ろ、およそあと一歩でその首に手をかけようという小さな小さな距離。

 しかし。

「お前の神器くらいわかっていたさ。だからそれごと斬った」

「きさまぁぁぁぁぁぁあ」

 もはや人とすら思えぬほどに朽ちていくその主は断末魔さえも怨嗟にかえて咆哮する。

「その程度なら私はいらないよ。いい加減眠れ」

 振り返りざまに軽く。

 手で羽虫を払うがごとく、一閃。

 妖怪とさえ揶揄された術者が一人、この世より姿を消した。

「さようなら、老いぼれ」


 ◇ ◇ ◇


「キカラ、あなた今日はどうするの?」

 天王州環良を退けた聖護院アリスは本家より遣わされたものに問う。

「今夜は夜斗テスラ・黒槍殿に協力し、夜外をうつことになるかと」

「……」

 いけすかない、と思った。

 要は弱者をそれなりの者がいたぶるという構図。

 キカラの報告からして夜外はこの宴においてほぼ唯一この世界とは無縁の人間だ。

 戦闘にすらならないだろう。

 その相手に対しこのやり方は端的に言って愚かしく見えた。

 結局のところこの警戒ぶりは“夜刀”にむけられたものであるのはわかっていることだが、それでも漫然とではあるがアリスにとって美しくないと思えた。

 なるほど戦略としては適切だ。

 しかし理論などそういうことはすっとばして本能的な部分でテスラとそのやり方を是認する本家の部隊、アストラルフォースを毛嫌いした。

「アリス様はどうなさるのですか」

 しかしわざわざ止める気はない。

 これはただの直感だが、この程度の相手ならばあの2人はどうにか乗り越えるだろう。

「夜門をうつわ」

「……シルヴァ・U・デストロをですか……?」

 宴が始まって以降、キカラは初めて驚愕に包まれた。

 能動的に動くことのなかったアリスが自ら動こうというのである。

 当然だ。

 さらに、今回の作戦は夜門と夜屠がぶつかることを想定して練られたものである。

 その前提が崩れた瞬間であった。

「しかし、それでは……」

「あなたたちの動きなんて知ったことではない。単に夜門と夜屠がぶつかってどちらかに権能と神器が集中する方が気がかり。先に私が潰す方が確実」

 有象無象のやることなど知ったことではない。

 言外にアリスはそう告げた。

 それでもアリスは食い下がる。

「お言葉ですがお嬢様、本家からの、マリア様からの通達をお覚えですか?」

 妹であり家督、相続その他一切の家に関することを押し付けた相手からの通達はこうだった。

「絶対に勝てる状況まで動くな」

「その通りです。今はまだその時では」

「仮にここで動かなかったら私は敗北するわよ」

「は?」

 その言葉は予想外だった。

 完璧という言葉を形にしたような人間から敗北という言葉がでてくるなど。

「私が動かなければいずれ夜屠が残るでしょう。神器と権能を簒奪している可能性があるうえにアレは“亡霊”。今の私ではあの人間まがいを討ち滅ぼすことは不可能だ」

「……ならばなおのこと今日動くべきでは」

「家は私に負けろと言うのか。仮にも世界の頂点たる聖護院の長子が宴を制することができなくてよいと。私はかまわないが、家のプライドがそれを許さないだろう?」

 マリアからの通達はあくまで宴を制することができるという前提がある。

 それが“亡霊”の存在によりあやうくなっている。

 この現状、理があるのはアリスの方だ。

 聖護院家は特にその長き歴史が生んでしまった凝り固まったプライドを持つ。

 連中は敗北を許さないだろう。

 おそらく、アリスには生き残ってもらわねば困るという発想から出たのがマリアの通達だろうが、だからどうした。

 自分の眼で見ず、他人を動かし、聖護院という笠に隠れた連中のことなど聞く必要はない。

「私は私の思うようにやる。安心しろ、死んでやるようなことはそうはない」

 空に浮かぶ星々を背にアリスは笑みをうかべていた。


 ◇ ◇ ◇ 


 それからしばらく。

 聖護院アリスは空にいた。

 もしその姿を視認できたのなら黒い天使とでも言うようないでたちであったのだがしかし、誰かに見つかるようなヘマはしていない。

「夜門はどこにいるんだか」

 彼女は空からマチを見ていた。

 そして視ていた。

 全体を俯瞰しそこに流れる力の経路を視ることで特異点“カミ”を探す。

 原理、やっていること自体は仮谷の編み出した“天眼”となんら変わりはないが、その規模が違った。

 あちらが人一人なのに対しこちらは街一つ。

 決して仮谷が下なのではない。

 アリスが規格外なだけだ。

「……見つけた」

 天使は羽を揺らし、地に翔ける。


 ◇ ◇ ◇


 紳士然とした魔術師がいたのは海辺の公園だった。

 多少の明かりがあるとはいえ静寂の中にこだまする波の音はどこまでも不気味だ。

 紳士がこんな所にいたのは野外ステージの確認とその後の散歩というあまり宴参加者とは思えない理由からだが別の思惑もあった。

 どうせ戦闘するなら何も気にせず暴れられる場所がいい。

 野外ステージは元々海岸が整備されたときに地形をいかして作られたすり鉢状のステージだ。

 イルカショーをやる舞台を思い出してもらえばよいだろうか。

 それ自体は開放されている海岸のはしにあり、公園からも離れている。

 公園も本来は市が企業を誘致してホテルを建てようとしたが諸々の事情により失敗したという負の遺産でありすなわち木々はある程度あるものの他には何もない、下手をすればでかい大学が一つ建つのではないかというような敷地がそこにはあった。

 夜屠は向こうからやってくる。

 どういうわけかあの仮面はこちらを付け狙っている。

 殺しきれないからか。

 あるいは同じ起源をもつが故か。

「どういう理屈だろうね、アレは」

「殺しきれなかっただけでは?」

 突然の声に驚きもしない。

 澄んだ綺麗な声だ。

「やはりそうかね。あぁいった手合いは……なぜだか自分に連なるものを滅ぼしたがるじゃないか。“バラの王”しかり“P”しかり」

 目の前には少女がいた。

 貴族然とした雰囲気。

 陳腐な言葉だがにじみ出る高貴とでも言えるか。

「ところで……あなたは私と同類かな?」

 目を引くのは、他をよせつけぬように開かれた翼と世界を拒絶するかのような眼帯。

「あぁ、同じ。宴を踊る一員だよ。シルヴァ・U・デストロ」

「ほう。名まで知られていたか。私も売れたものだな。さて、私はそちらにいながらその世界に疎くてね。名前を聞いてもよろしいかな」

 見据え、問う。

「聖護院アリス」

 短く、答えた。

「そうか。頂点まで参加していたのか。ならば私のすることはわかっていましょうな?」

「そのつもりだ。そしてわかった上で言う。お前にあの鬼は止められない」

 わかってはいる。そんなもの。

 突きつけられるのと理解しているということは別だ。

「できないとしても」

 理屈ではない。

「やらなくてはならないんですよ。私と私の祖のために」

「……直接は関わりはないだろう」

「系譜という意味ならそうでしょうな。しかしその呪いはわが祖とあの男によってデストロの血となり私の生をつないでいる。私は、それを否定せねばならない」

 パチン。

 指をならし、見据え、告げる。

「私の手でね」

 炎が灼熱をうみ、鎧をうみ、刃を生んだ。

 敵の手段がどうあれ、数手先の未来にどうなっているか。

「火よ」

 頂点。わかっている。

「炎よ」

 駆けずにはいられなかった。

「焔よ」

 叫ばずにはいられなかった。

 燃えずにはいられなかった。

「刃を燃やせ!盾を燃やせ!命を燃やせ!己を燃やせ!ただ炎となりて!」

 もはや紅蓮。

「世界を燃やせ!」

 あるいは地を走る恒星か。

 まぎれもなく、全力だった。

 ただつっこむだけの何よりも愚直な一撃。

 一目見たときから彼にはわかっていた。

 翼がささる。

 次元の違う生き物だと。

 腕を。

 どうせ死ぬのなら。

 足を。

 全力で。

 心臓を。

 死にたかった。

 伸ばした焔はあと数cmのところで、止まった。

「……完敗だ」

 燃えゆく中で紳士はとつとつと言葉をもらした。

「その若さで」

 そこまで至ってしまったなら、いろいろ見たのだろう。

 そしてわかるっだろう。

 私の憎しみが。

「この生を賭けてあの男には届かなかった。だから頼む。強き者よ。あの呪いをうってくれ」

 その手ににぎられた神器をうけとりアリスは男を見つめる。

 燃えゆくその瞳は、強く。

 そして誰かに似ていた。


 ◇ ◇ ◇


「……さてどうしたもんかね」

 やはりというか、まさかというべきか。

 自分はここまで生き残り、結果として宴を切り抜けた。

 勝利という形ではなかったが。

 それは別にかまわない。

 自分の目的はあくまで金だ。

「どうしたもこうしたもありません、テスラ・黒槍」

「えらく速いおつきだな、キカラ殿」

 夜刀との戦闘を終えてから数分もたってない。

 それなりに移動はしたが。

「見てたのか」

「一応。状況に介入するとのことでしたので。それでもよかったのですか。テスラ殿の願いは潰えたわけですが」

「何度も確認するなよ、そっちの大将がいる時点で俺みたいな凡百にはどうしようもない。それこそ殺人鬼みたいな化物なら話は別だろうが」

「凡百ならば私は手を組んでいませんよ。報酬の後払い分に関しては先ほど口座にふりこんでおきましたので後ほどご確認ください」

「承知。さてこれで仕事は終わりでいいんだな?」

「えぇ、かまいません」

「ならこれで失礼する。また何かあったら仕事を回してくれ割り引いとくぜ」

「考えておきましょう。それでは」

 申し訳程度に手を振って歩き出す。

 一服でもしていこうか。

 この街にはやたらと公園がある。

 適当に歩いていけばどこかにたどり着くだろう。

 ぼんやりそういうことを思っていると声が聞こえた。

「それで本当にお前はいいのか」

 背後。

「キカラ……?」

 そこにはキカラが居た。

 いや、キカラの形をした何か。

「お前……誰だ?」

「誰……?キカラですが?」

 雰囲気はすでに元のものに戻っている。

「今、変だったぜ、お前」

「何か……言いましたか?」

 気のせいか……?

 それにしては……。

「いや、何でもない、気にするな」

 職業柄、命のやり取りには慣れている。

 無論、一方的なものが多いのは事実だ。

 しかし時には自身が狙われることもある。

 両手で収まるほどではあるが、死を覚悟したこともあった。

 そういった純然とした恐怖の中でさきほどの背後からの一言は異質だった。

 恐怖というのはつまり「知らない」ということを意味する。

 この先どうなるのか。

 何が起こるのか。

 わからなければどうしようもない。

 だから人は恐怖する。

 キカラの中に確かに存在したあの一瞬の何かはテスラからすれば恐怖を形にしたようなものとして写っていた。

 まぎらわすように歩き始める。

 少なくとも今後数日、キカラと顔を合わせることはないだろう。

 仕事は終わった。

 あとはこの街を離れ、とっとと帰るのみ。

 次の仕事はまだ入っていない。

 まとまった金もはいったことだし、

 しばらく地中海あたりでぼんやり過ごしてもいいかもしれない。

 たばこを取り出し火をつける。

 ともすれば条例だの取り締まられるかもしれないが知ったことか。

 一部、というか世間一般においてはプロのスナイパーは身をかくすことを念頭におくため匂いのつくものは好まないということを思うかもしれない。

 まともなスナイパーやヒットマンならそうだろう。

 しかし匂いは軽い術式でごまかせる。

 気にする必要はない。

 ヒットマンはあくまで目的のための手段であって自分の一部ではない。

 それに振り回されるのはバカらしい。

 やりたいことをするためになりふり構わないというのを許されるのは子供だけだ。

 正確にはそういう心を持った人間だけだ。

 中途半端にブレーキをかけるくらいならそういったふるまいはするべきじゃない。

 つきぬけた人間は強い。

 そしてタバコはうまい。

「ふーーー……」

 紫煙、と表すべきか。

 煙は空にのぼっていく。

 この時期だと煙のソレと呼吸のソレでは判断はつかないがなんとなく煙の方が未練がましいような気がする。

 息のソレはすうぅと消えていくが、タバコの煙はしばらくただよい、名残惜しげに消えていく。

 たとえるならいさぎのいい人間と諦めの悪い人間。

 矛盾するようだが、堅い人間も馬鹿な人間も好きだ。

 ただ強い人間は好きじゃない。

 たとえば、目の前にいるような。

「何か、用か。聖護院アリス」

「用があるから来たんだ、テスラ・黒槍」

 黒を基調としたドレス。

 ところどころに金があしらわれ、それを纏う者の気品を示している。

 絶対なる高貴。

 自ら以外の存在が並ぶことを許さない。

 至高の頂点。

 聖護院アリス。

「仕事は終わったぞ。それなりの出来だと思うが」

「それについては私は関係ない。“家”からの依頼だろう」

「……聖護院という意味ではお前もそうだろう」

「いいえ。事情を話す気はないが、私と家は別だ。それでこれは確認なんだが」

「なんだ」

 こういう絶対的な強者は相手にするべきではない。

 とっとと逃げるに限るが相対してしまった以上、それはかなわない。

「そのやり方は“家”から指図されたもの?それとも独断か?」

 今回のことを言っているのだろう。

 勝利を呼び込むために弱者を狙う。

 戦略としては常道。

 しかし、何者をもよせつけない強者である彼女の目にはどう映るのだろうか。

「独断だ。やり方についちゃ特に指示は受けてねぇ。夜屠を退場させることができなかった時点で仕事の出来としちゃ100%未満だが」

「出来はどうでもいい。私の依頼したものでもないしな。気に食わないのはそのやり方だ」

「アンタみたいに強くないんでな。やり方は選んでられないんだよ」

「知ったことではない。それこそな。ただ心底腹が立っている」

「それは申し訳ないことをしたな。だが俺も商売だ。文句は客からしか受け付けねぇぞ」

「えぇ、だからこれは私の八つ当たり」

 どこかで聞いたようなことを言いながら、少女は指を鳴らす。

 それだけの行為で空間は軋んだ。

「気が向いたら出してあげるわ。それまで一人でその空間を生きろ」

「……」

 半ば諦め、半ば悟ったように、事態を視る。

 テスラは自分の仕事の道具の一つとして術式を使うだけでその体系などについてはほとんど知らない。

 ただそれでもわかることがある。

 これが終わりだと。

 その先に見たのは何よりも暗い暗黒だった。



 無窮の牢獄。

 アリスが夜外を狙ったことに憤ったゆえに使ったこの術式はそういう名を持つものだった。

 術式の歴史は術者の歴史に同じ。

 その中でこの術式は主に“正義の執行”として用いられた。

 それも私的な範囲において。

 正義をかざすにはそれなりの理由がいる。

 しかし世の中、特に術などというものが存在する世界においては特に悪と断じることが難しい。

 そこで、おそらく間違いなく悪ではあるのだが完全には掴めていない、という状況をかんがみて作り出されたのがこの術式。

 無理やり作り出した空間に対象を放り込む。

 ただそれだけの単純な構造。

 しかしてこの術式はそこまで単純ではない。

 空間を作り出すというのはそれだけでも十分な難易度を持つ。

 それをさらに維持するのだからなおさらだ。

 が、開発者は考えた。

 そもそも孤独という責め苦を与えるなら維持することが前提。

 ならば空間は最低限にし維持にのみ全力を尽くすべきではないか。

 その思考の果てにあの暗黒は生まれた。

 何もないがゆえのどこまでも続くかのような黒。

 一切の五感を許さないそこでは唯一自分の思考のみが生きる支えとなる。

 相応の実力、少なくともかけた側の同等の実力をかけられた側が持っていれば、内側から食い破ることも不可能ではないが、テスラとアリスを鑑みればそれは絵空事だ。

 牢獄の果てには感覚を観測することをやめ刺激なき時を思考することにつかれた廃人のみが残る。

 

 

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