5 Day5
「……ら君!空君!」
頬を叩かれる感覚。
うっとおしい。
「なんだ……?」
ゆっくりと目を開ける。
まだ床についてからはそう時間がたっていないはずだが。
壁にかけられている時計を見る。
「……三十分も寝てねぇじゃねぇか」
「はよぉ目ぇ覚ませ空君」
頬をぶたれる。
「ってぇな」
その相手は。
「……道風?」
契約した術式だった。
ぼんやりとした頭が急激に醒めていく。嫌な予感がする。
「なんでお前が現界して」
「ちょっとばかし無理しとるけどな。そんなことはどうでもええ。それよか沙羅ちゃんが大変なんや!」
私が起きたのは、空がコートを羽織っている時だった。
「……わりぃ、少しでてくる」
銀ちゃんもその実体を刀に変えていた。
「……いってらっしゃい」
空は無言で出て行った。
一人残った、私しかいないこの部屋は、思ったより広く感じた。
人目もはばからず、と言っても人は周囲にはいなかったのだが、それでもそういうことを言わざるを得ないほどに、無警戒に術式を使用した。
「 二ノ句告げる 五 タン 」
肉体強化。
それも戦闘に耐えうる水準のもの。
「あせりな、空!」
赤の衣に身を包んだ道師が叫ぶ。
「あせらないでいられるかッ!」
くわしくは聞いていない。
しかし、昨日の、いやさっきの今だ。
そもそも、帰る前に気づくべきだったのだ。
“霊的動乱”のすぐそばに、沙羅はいた。
結界の中だったとはいえ、沙羅はかつての事件のせいで、そしてその事後処理の甘さがゆえに、魂に関してはおそらく普通の人間より影響をうけやすい。
「ちゃんと確認するべきだったんだ!」
別れ際、沙羅は笑っていた。
どれだけがんばってその笑みをうかべていたのだろう。
「情けねぇ」
ただひたすらに走った。
ほどなくして、空は神社に到着した。
勝手知ったる、というように空は突き進む。
神社の中、その祈祷場。
中央に、沙羅が寝かされていた。
見た目だけならば、気持ちよく眠っているだけだ。
しかし空には、術者ゆえに見えていた。
沙羅の身体からうっすらと、浮かび上がっているその魂。
「来たかえ、空」
「ばぁさん……」
「今は祭壇を組んで安定させとる。直に引っ込むじゃろ」
その言葉は、口調は、あっけらかんとしていた。
心配の色は見えない。
「なんでそんなに落ち着いてられんだ」
「伊達にトシ食ってないわい、若造」
視線が空を射抜く。
「あせるな、お前がわめいたところでどうにもならん」
「……」
かえす言葉もない。
「柳を渡しとったのが幸いしたの。アレがなけりゃ沙羅どころかワシもいっとったじゃろうて」
おそらくそれは真実なのだろう。
「……俺は何をすればいい」
「何もするな。むしろ今この場を乱しておるのはお前じゃぞ」
沙羅のまわりには囲うようにして札を付けられた棒と、それをつなぐ縄がはりめぐらされていた。
沙羅の肉体と魂の間に異物が入らないようにするための結界だ。
「……道風を置いていく」
鬼と繋がった空は、思うがゆえに離れなければならない。
「二、三時間もすりゃこの遊離もおさまるじゃろ。後は病院へ連れていく。念のためにな」
「光山病院か」
「後で顔を見せに来い」
空が帰ってきたのは一時間ほどしてからだった。
「……起きてたのか」
「……様子が変だったから。何があったの?」
「何も」
即答だった。
冷たすぎる声音。
とても。
何もなかったはずがない。
多分、ふれない方がいい。
時々空が見せる暗い瞳。
同じ眼を、今している。
ただ、こういう空は、好きじゃない。
「……嘘でしょ」
「だったらなんだ」
少し、怖い。
けれど。
「話して」
見つめる。
視線は、交差しない。
「関係ないことだ」
冷たい。
今踏み込まないと、ずっとこのままな気がする。
だから。
「……沙羅さん?」
「言ったろ、関係ないって」
「そんなことない」
「……」
視線が交わる。
「頼む、少し。少しでいい、黙っててくれ」
「……嫌だ」
「何でだよッ!」
その声に、怒気が混じる。
「そんな顔をしてる空を、見たくない」
沈黙が、部屋を覆う。
「……」
何も言うことなく、そして振り返ることなく、空は部屋を出て行った。
その背中に、声をかけることができなかった。
◇ ◇ ◇
昼。
特にすることもなく暇を持て余していた夜斗、テスラ・黒槍は昨日廃墟となった協会を訪れていた。
「稀代の殺人鬼がえげつないというのはわかっていたが……“夜門”の方も厄介だな」
キカラの報告によれば互いに夜明けになるまで戦いは続き、ついには太陽が夜トとしての神格を奪ってようやく終結を迎えた、とのことだった。
「すなわち、引き分け……」基本的にテスラは敵の情報を自ら集めるということは滅多にしない。
彼が引き金をひく時は、大抵、クライアントから情報がもたらされている。
よほどもたらされる情報に不備があるか、あるいはクライアントが情報を集めきれなかった時のみ自ら収集する。今回はそもそもクライントが存在しないために自ら集めざるを得なかったわけであるが
「あの奇術師、それほどの脅威だったのか……?」
元々、テスラの得た限りでは“夜門”は火の術式を好み、それ以外は滅多と使用しない、ということであったが、いくら火を極め、究めたとしてもそれだけでかの殺人鬼に通用するものか?
考えられるとすれば
「よほどの権能と神器を備えている……」
そこまで考え、ならばいかなる力があれば同時に2柱の神を屠った“夜屠”と同等に戦えるのか。
あれこれと想定しているうち、携帯が着信を知らせた。
「黒槍だ。何か用か?」
相手はキカラだ。
「要件だけお伝えします。昨日の戦闘後より、“夜刀”と“夜外”が別行動をしています」
電話の向こうの意図を、口にする。
「……“夜外”を狩れと?」
「……」
これまでその2柱の夜トは常に行動を共にしていた。その理由は今のところ判然としていない。
そもそも“夜外”に関しては宴が始まってからその存在を認知できたため事前に得られる情報もない。
ここ数日で調べはしたものの、かつて謎の昏睡状態に陥っていたことがわかったくらいで、あとは普通の女子高生と大差なかった。
要するに、元々のスペックとして術者の観点から見れば弱者に分類される。
“夜刀”の方は幼少期の頃については不明な点が多いものの、六道の縁者というだけで警戒するには十分である。
現状まではその2者が共に行動をしていたため、迂闊に手を出せずにいたが、別行動となった今、“夜外”はいわば、格好の餌食である。
「囮という可能性は」
「戦略的な行動ではないようです。単に感情的な行動のように見えました。私の観察において、ですが」
「……ならば狙わない理由はない……か」
現在、残っている夜トは刀、外、屠、門、止、斗の6人。
おそらく昨日に続き夜門が夜屠を狩りに行くはず。
夜止は聖護院であることからおいておくにしても、夜刀が夜外を、あるいはその逆というのは考えにくい。
ならば。
夜刀がこちらを狙いに来る可能性はどうだろうか。
おそらく無い。
この数日の彼の戦闘、行動を考えるに、むやみやたらと戦うタイプではない。
微弱であろうと勝目を見出さなければ刀をふるうことはないだろう。
であれば、今夜は「外」を狩るのにはあまりにも絶好の機会となる。
「今夜、夜外を獲る。夜刀の動きに注意しておいてくれ」
「承知しました」
通信が途切れる。
「夜外」を狩る上で警戒すべきは何か。
夜刀は懸念すべき要素だが、今の状況ならば問題はあるまい。
「夜外」の身体能力、術者としての力量は無問題だ。
気にかかるのはその権能。
夜刀が宴をほとんど常に行動を共にしていたことを考えると想像しうるのは2つのパターン。
まったく使い物にならないか、あるいは準備を要する一撃必殺型か。
神器については、少なくともその攻性に関しては「神鎖」で封じることができるのでいいとして。
権能が後者のものであればどうか。
「やりづれぇ……」
これがいつもの仕事であれば遠方からの射殺などで済ませられるが、それでは踊ったことにならない。
宴では、「相手を敵として認識しなければ、舞踏を意味しない」というルールがある。
さらに、権能と神器の両方を奪うためには生前に神器を奪い取る必要がある。
これらのルールの前では、彼の最も得意とする手段である暗殺は不可能だ。
いかに自身を敵に認識させ、神器を奪うか。
最悪の場合、夜外を討たなくともよいのだが……。
「どうしたもんか」
ヒットマンとしては世界最高レベルの腕を持つテスラ・黒槍であるが術者としては平凡の域を出ない。
そもそも彼にとっては術は仕事を進める上での便利なツールにすぎず、そういう意味では彼もまたただの女子高生であるところの夜外と同じく宴に選出されえない人物ではあった。
髪の毛のないその頭をかきながら時間をつぶすため、ついでに世の女子高生の生態を探るため、協会をあとにし、駅前へと向かった。
◇ ◇ ◇
協会とはだいぶ離れた位置にある喫茶店。グロウス・テルス。
ましろは“天秤屋”とあっていた。
「よくここがわかったねぇ。ここいらにいる術者だと空君しか知らないはずなんだが」
髪は大きな帽子で隠れその影で目元は見えなくなっている。
机についた肘から先の左手は黒の包帯で覆われており、反対の右手は白の包帯で隠されていた。
この国の中でも異常な進化をとげたHARAJUKUの中にいても一際めだちそうなアクセサリーを身にまとった薄い格好の、見るからに怪しい男の前に、ましろは居た。
空を介して知ってはいたがまともに視線を合わせるのは初である。
空や他の宴の参加者の多くとは違いましろはそういう世界に関わらずに生きてきた。
ゆえにこういう雰囲気のものにはどうしても圧倒されてしまう。
目前の存在が、運ばれてきたコーヒーをほとんど空にするまで声を発することができないでいた。
「まぁ、君がそうなるのも理解はできる。逆なら僕もそうなっていたさ。普通のこっちの人間ならしびれをきらして帰るだろうがね。僕は彼らに比べればよっぽど一般によっているし、何より寛大だ。君が黙りこくっている間に取引について話をしておこう」
ほとんど空になったカップに砂糖をどばどば入れながら異質の具現は話し出す。
「基本的に僕が提供するのは情報だ。そして求めるものは万物だ。単純に価値が等しければ、得られるものはなんだっていい。金でも秘伝の術式でも、あるいは」
砂糖の山にガムシロップをかけながら告げる。
「命でもね」
はたから見ていればにこやかな軽い笑顔のように見えただろう。
しかし、その目の前で直接、相対しているましろには獲物を前にした獣のソレに見えた。
あらゆる意味で圧倒されている。
少しでも、わずかでも間違えればとてつもない代償を払わなければならない。
恐怖が全身を駆け巡る中、それでもましろは口を開いた。
「空は……どこですか……?」
「おどろいたな。君らが別々にここに来るのはてっきりお互い戦略上別行動をせざるを得ないとかそういう理由だと思ってたんだが……そうか」
左手をあごにあて、思案する。
この時初めてこの男はそれまでのものとは違いさらけ出された興味という感情をあらわしていたが、ましろには気付けなかった。
「聞きたいことができた。君の要求に対して僕は無茶な代償をふっかけようとしていたんだがね。僕は君に結果を教えよう。ならば君は」
そこで一息つき、カップの中の糖分をあおる。水分もなしによく砂糖が入るものだと無心ながら思った。
「原因を教えてくれればそれでいい」
「それでいいん……ですか」
拍子抜けした。
普段の空の口ぶりからこの歪を体現したかのような男は見返りに法外なものを要求するものとばかり思っていた。
空はどうやって貯えたか謎である金や要求された仕事でどうにかしていたようだけど。
「意外かい?まぁ空クンがどういっているかはだいたい想像はつくが、基本的に僕は等価交換しか望まない。さっきも言ったとおりね。情報から利益を得ようとは思わないんだよ、僕は。ただ、僕が与えうるものと等価のものとしてわかりやすいのが金なわけさ。往々にして情報は下手な稀少品よりもめずらしい。だからまぁ、一般的に考えれば高いと思える値段設定になるのもやむなしなのさ。ところが君はこちらが求めるものを持っている」
「原因と結果」は、交換するならばこれ以上ないくらい等価じゃないかね?
◇ ◇ ◇
その時、空は駅前からかなり離れたとある公園にいた。
この公園はちょうど市を囲む山と町の境界にあり登山道への入口もある。
一般的な公園よりも場所のせいかかなり広く、緑地と呼んでも差し支えないほどの広さなのだが、今現在、その一部は閉鎖されている。
昨日の戦闘の余波だ。
人体に有害な毒をもつ害虫の駆除という体で閉鎖しているようだが、実際のところは大聖堂あたりの処置だろう。
「沙羅をまきこんじまうとはな……」
あの瞬間に沙羅がいたのは、偶然でしかない。
敵であった仮谷災浄はともかく、空は、というか普通の術者は戦闘をするとなった際、あるいはそうでなくとも自身の周囲に人払いの術式を施す。
別段、こういった世界は閉鎖的ではない。
もちろん、あらゆる業界と比べれば比較的閉鎖がちではあるものの、外からの新参を拒んではいない。
開け放たれている門戸は少ない上、それに気づくものも少数である。
沙羅はその少数であった。
元を正せば、沙羅は空の遠縁にあたり、少数も何もすでにこちら側の人間であったのだが、沙羅にその自覚はなかった。
せいぜい、霊感が少し強いといった程度である。
10年前の事件において。
彼女は家族を失ったわけであるが、その当時、やっきになって動いたのが空である。
ない知恵を働かせ、物心があるかないかの彼女の事件に関する記憶を封じ、何度か世話になった寺院に彼女を預けた。
その寺院の所有する土地がこの公園に隣接しており、昨日、夜刀と夜徒の戦場となったまさにその場所であった。
「まきこまないように、預けたんだがなぁ……」
ただその状況の偶然性が空には憎く思えた。
幸い、「傷」自体はたいしたことはなく、快復も容易とのことだが、問題は空が施した封印の方である。
当時の空の年齢を考えれば仕方のないことではあるのだが、その出来はお世辞にもいいと言えるものではなかった。
封印された中身と関連する、あるいは連想させるようなものがあればその刺激で吹き飛びかねないような、隙だらけの鉄格子。
その脆さを理解している空は、これまで沙羅との接触は最低限にし(それでも週に一度は手紙を送っていたのだが)封印が破れないように注意を払ってきた。
しかし。
(夜徒の権能が解除された時のアレは……霊的動乱だった)
人間は死ぬときに世界を渡る。
俗に言うあの世に行くというやつだ。
その際、魂はあの世へ行くときに「扉」を開く。
状況が普通であれば、すなわち誰かが一人亡くなったというのであれば、問題はない。
問題は特殊な状況、人が大量に亡くなるような大災害、事故のような場合だ。
本来一人につき一つ開かれるはずの扉が融合し、1つの大きな門になる。
その門はこちらの人間があちらに行くだけでなく、あちらの魂がこちらに来ることも可能にする。
結果として、魂の嵐とでも言うべき霊的な混乱が生じる。
霊的動乱と言われるそれは本来の旅立つ死者だけでなく近くの生者すらゆさぶりあちらへ誘いかねない。
十年前の金剛銀城一族殺戮事件ではそれが起きた。
空も沙羅も少なからず影響をうけており、空が齢20という術者としては若輩ながら「五光」などという反則技を使用できるのもそのせいであろう。
仮谷の「徒」の権能が解除された時に起きたものは十年前のものに比べれば小規模であり、さらに言えば死者が出ていないことから強いて言うならば擬似的なものにすぎず、門は開かなかった。
しかし霊的な風は吹きすさんだ。
空が十年前を思い出すほどには。
耐性のある空でさえこうなのであるから、沙羅はどうであろうか。
仮に封印が強固なものであったとしても、破れていただろう。
沙羅は十年の時を越えて再びあの惨劇を体験したことになる。
どうにもできなかった自身の無力さがやはり憎かった。
あの事件を経験した空は人を死に追いやってしまう状況を極端に嫌った。
もちろん一般に死は忌避すべき事象ではあるが、空は術者だ。
術者の世界においては死は一般のそれより軽く捉えられている節がある。
そういう意味では空の死への恐怖は術者として異常ではあった。
術者たちにとっては死後の世界は確固たる現実となっている。
にも関わらず。
今のところその境界を人の身のまま踏み越え、かつ戻ってきた術者はただひとりではあるが。
もちろん、空がそのひとりであることもなく。
傾きかけた太陽が空を赤く染めていた。
◇ ◇ ◇
テスラ・黒槍は思案していた。
数時間後にとある女子高生を殺害する予定の彼は、難問に直面していた。
彼が狙うその瞬間に対象がどこにいるのか、という話である。
(女子高生を標的にしたことねぇもんな)
考えればわかることではあるが、ヒットマンが仕事の対象とする相手は基本的に社会的な強者である。
ゆえに平均年齢で言えば50前後の人間が多く、だいたいが下手な家が数軒たってもおかしくないようなアクセサリーを身につけていた。
そういった人物の行動パターンはこの仕事を始めてからの経験とクライアントがもたらす情報が教えてくれる。
しかし、だ。
今回に関しては経験もなくクライアントも居ない。
キカラから情報がくる可能性はあったが彼女には夜刀の動きを警戒するよう頼んである。
学校が通常どおり運営されている場合であればまだ楽だったのだが現在は1月5日、冬休み真っ只中である。
一般社会から離れて生をつむぐ彼にとって、現代日本の女子高生の生態というのは奇怪の一言につきた。
陽が沈めばどうとでもなるであろう。
最悪キカラの部隊を動かせば位置は割り出せる。
テスラは別のことへ思考を移した。
夜外は始末できるだろう。
ならその先はどうなるのか。
自身はこの宴においては勝利する気は毛頭ない。
まず、夜止、聖護院アリス相手にどうやっても勝てない。
次点で夜屠だ。
元からどうにかできると思っていなかったが2柱の夜トを相手に勝ったという事実がなおのこと響いていた。
残りの夜トはどうあれ、この2人は別格だ。
今回はおそらく彼らのどちらかが制することになるだろう。
(夜門の奮戦は予想外だったが……)
キカラの報告と自身の知っていることを合わせれば、まずもって夜門はあの殺人鬼には勝てない。
自分はどうするか。
(聖護院からは報酬が約束されている)
彼は早いうちから聖護院と組んでいた。
字面だけ見れば夜止との共闘を意味するようだがその実情は違う。
彼女を勝利させるためにあれこれと画策する“聖護院”という家と彼は契約していた。
その契約内容は
「できる限り、夜トを撃破し、夜止の勝利を確実なものにすること」
であった。
ゆえに夜賭に話をもちかけ、夜外を狙い、さらには聖護院の軍、アストラルフォースと組んでいるわけだ。
前金だけでもかなりのものを得てはいるのでとんずらをかますということを考えないではなかったが、契約相手を考えてその思考は一瞬で消えた。
(ま、終わりは自主退場だろうな……)
調べたところ、今回のテスラのような実利的なリタイアというのはあるにはあったようだ。
その後彼らがどうなったかまでは調べがつかなかったものの、反則というわけではないのだろう。
終着まで予想してしまったが、それでも一つ、超えねばならない壁がある。
夜外を倒した後の夜刀の行動だ。
今までの彼の行動を鑑みるにおそらく、彼はこちらに狙いを付ける。
自衛は必要だ。
倒す必要はない。
が、同等の準備は要求されるだろう。
格闘もこなせ、高水準の術も使える。
真っ当な、強い術者だ。
問題は肝心の神器と権能だが、それは今のところ判然としない。
強敵であることは間違いない。
自分はヒットマンだ。
真正面から戦うタイプの夜刀はなかなかに相性が悪い。
来るべき苦戦を思い、渋い顔で空を見上げた。
まだ、空は青い。
◇ ◇ ◇
聖護院アリスは甘味を好む。
今日も今日とて金平糖をつまみながら自らの現状を考えていた。
聖護院という家がもつ力というのはこの世界において言えばはかり知れない。
下手な一言がいくらかの命を消し炭にすることさえある。
自身の力を把握しているからこそ聖護院家の人間は頂点に立つものの行動、ふるまいを習得すべく教育される。
それと同時に頂点への力を研鑽する。
往々にして代々の当主はそういった帝王学とでも言うべき教えの上に成立した、なるべくして成った非凡の怪物である。
すなわち聖護院のほとんどはいくらかの潜在能力や遺伝性があるとは言え、大抵が作られた怪物なのだ。
しかしごくまれに本物の怪物が誕生する。
その始まりである初代当主、聖護院クロノは術者の世界をひっくり返すほどの怪物であったのだが、それに匹敵する怪物が十数年前に誕生した。
聖護院アリスである。
誰に教わるでもなく聖護院が伝承してきた術式の奥義に5つの時に至ったのみならずその先を10の時にこじあけた。
誰がどうみたって本物であった彼女は当然のように次期当主と目された。
しかし彼女はそれを拒んだ。
「家」など彼女にはどうでも良かった。
むしろ自らが手にしたいもののことを思えば邪魔とさえ思っていた。
当主の座、家督自体は妹のマリアにゆずり(こちらはこちらで非凡であったのだが)自身は放蕩の旅に出た。
「邪魔をするなら家ごとつぶす」という書置きまでして。
意訳すれば家全体をたったひとりで敵に回すということであったのだが、当主含め、聖護院の重鎮たちはその書置きだけで行動を封じられた。
彼女ひとりの実力が家を上回るという事実を認めざるを得なかったのだ。
もちろん対外的には「家に興味がなくなったので娘は旅に出た」などとは言えないため、「世界を旅し、見聞を広める」ということにしている。
そして時々家の者を派遣してはそれなりの援助をし、アリスもまたそれに関しては拒むということはなかった。
名誉と外聞を守りたい家と、旅に不慣れなアリスの妥協点がそこだった。
その旅の途中、彼女は宴の演者に選ばれた。
宴にはどういう基準で選ばれるのかというのは実のところわかっていない。
期間もまちまち、場所すら定まっていない。
前回は80年前のイギリスだった。
基本的には何らかの願いをもつものが選ばれるとされているがこの世界においてはそう言った人間はごまんといた。
よってわからないも同然なのである。
ただ聖護院の調べでわかっているのは参加した者の大半が死に、生き残った者の大半は狂人と化す。
ただ勝者のみが忽然と姿を消す、という奇怪な事実だった。
そういうわけのわからないイベントというのは暇をもてあましたアリスにとっては格好の暇つぶしとなるが、これに関しては家から注文が入った。
「絶対的に勝利できるという状況になるまで状況に介入しないこと」
アリスとしては興ざめどころの騒ぎではない。
が、この通達は妹であるマリアから直接伝えられたものである。
傍若無人を自身の力で通してしまうアリスも全てを放り投げた先のマリアには多少であるが引け目を感じていた。
「その状況は自分で判断する」という条件付きではあるが、アリスは妹の注文を受け入れた。
結果としてアリスでも脅威と思わざるを得ない存在、「サンジェルマンの亡霊」の存在から聖護院は全力を賭してアリスを守護することにした。
その筆頭が11人目ことキカラであるのだが、今、そのキカラが目の前にいた。
「定期連絡の時間ではないと思うのだけれど」
飲みかけの紅茶を机に戻し、視線をキカラに向ける。
「状況に動きがありましたので、ご報告に参りました」
「変化……?昼に?」
「率直に申します。夜斗テスラ黒槍が夜外月夜ましろを狙うとのことです」
「……」
報告された内容は確かに変化だった。
夜外はこれまでの戦場で一切その権能を行使していない。
少なくともそれらしきものをキカラの部隊は観測できていなかった。
神器自体はやたらとでかい鎧であり、非常に高い防御力を誇ることがわかっているものの、彼女自身は経歴を探っても特筆すべきは意識を数年間失っていたくらいで他はいたって一般の、ありふれた住人のそれであった。
そういった人間を名うての暗殺者であり夜斗として真っ当に権能を得ているテスラが狙うということは
「夜外はリタイア、それまでほぼ行動を共にしていた夜刀がテスラを仕留め、残りは奇術師、私、空、そして亡霊、と」
テスラの行動は確かに状況に変化をもたらす。
彼にはもともとこの宴を制する気はない。
それは手を結んだ聖護院側も知るところであり、彼の目的は金の一点につきる。
ゆえに彼はできるだけ自分の欲を満たすため、夜外をひきずりおろす、というわけである。
アリスが予想した通りにことは運ぶとして。
となると、問題なのは誰が「亡霊」を討つか、ということだ。
これまでの状況であれば、夜門が亡霊を相手にしていたが、昨日の戦闘の報告を聞くにシルヴァが敗北を喫するのは時間の問題のように思えた。
なら、残るまともな夜トは自分か、あるいは空ということになる。
不可能とは思わない。
が、今までのどの敵よりもはるかに難敵であることには違いなかった。
「……1つ、聞いておくけれど」
「なんでしょうか」
「夜門はどこにいる?」
亡霊と敵対するにあたって自身の力以外で重要となるのはどちらがどれだけの神器と権能を保持しているか。
「亡霊は、名無しの夜賭と、天王洲の権能は得ているのかい?」
「言霊使いに関しては、権能を得ているでしょう。しかし天王洲様に関しては少々不明瞭でして……」
「ユラ君だっけ。彼は死んだのでは?」
「いえ、一昨日の戦闘では重傷こそ負っていますが、死んではいません。正直なところを申しまして、その後の彼の消息をわれわれは見失いました。霊体自体は捕捉できているのですが」
「彼の神器は……君のみたところ影を使うものだったっけね?」
「えぇ、間違いありません」
(となると、この時点で決めつけるのは早計だけれど、おそらく……)
「彼の、とられたな。しかもたちの悪い相手に」
天王洲の伝統的な特徴は輪廻を扱う術式とそれによって生み出される「器」。
基本的に彼らは魂というもの扱いに長けている。
他人の乗っ取り、という行為は当主クラスともなれば簡単なことではないにせよ全く不可能ということもない。
「現当主の肉体を奪取するほどの実力者が今の天王洲にいるのですか?それに目的は……?」
「目的はわかりやすいよ。宴の参加と若い肉体だろ。で、だ」
一息つく。
その若さとは反して、深い憂いが含まれていた。
「君から聞く限りあまり賢いとも思えないあのユラ君を、仮にも当主を謀ることができるとすれば」
宙に視線をなげる。
過去を少し、なぞるように。
アリスは自身の実力を十分に把握しており、それゆえか、同じような人間がどう行動したのか、ということに興味をもっていた。
まだ家にいるころ、父や知り合いにそういった人間について聞いて回っていた。
その好奇心が旅という形になってしまったわけであるが。
印象に残った人間は何人かいる。
ヴィゼル・アンソール
ギ・バウ
ロードブラッド
そして天王洲環良。
「生きているとは思わなかったけれど、肉を渡り歩いていたならあながち不思議でもないな。そうだろう?“天轟妖”天王洲環良」




