31 → 1 Night1
ごぉぉぉん
ごぉぉぉん
静謐を形にした夜に厳かな鐘が神秘を添える。
なんの変哲もない旧き年が死に、新たな年が生まれる瞬間。
空には胡乱げに月がうかび、星たちは息を潜めている。
新年といえど、街から少し離れたこの境内には人は数えるどころか指二本でたりた。
鐘をつく人一人と、訪れた女。
「相変わらず人が少ないなぁ、この神社」
女というよりは一応少女のくくりになるだろう私は言うともなしに呟いた。
ここ数年、あの白い病室から目覚めてから、私は度々夜になるとここを訪れていた。
「いい場所なのに……」
新年にもかかわらずこの神社に人がいない明確な理由はわからない。
近くに他の神社や寺院があるわけでもなく。
通い始めてからそこそこの月日が流れているように思うけれど他に人が来ているのも見たことがない。
そもそもここが神社であるかどうか怪しい。
神社かと思えば卍が掘られた石があったり、なら寺院かと思えば賽銭箱と鐘があったり。
正直、そういった知識は人並み程度しかなく造詣も深くない私には判断がつかない。
神院とでも言えば良いのだろうか。
「相変わらずだねぇ、君も」
鐘をつきおえたのか、男が少女に声をかけた。
この神社とも寺院ともどちらともつかない建物の主だ。
袈裟と神主の装束をごちゃまぜにしたような、ある意味いろんな所に喧嘩を売っている服を来ている男性は60もそこそこといった年齢だろうか。
「明けましておめでとうございます」
「あぁ、うん、明けましておめでとう」
年の初めの挨拶は静寂の中で静かに交わされた。
「しかし、君、こういう時は友達と南海神社に行くもんじゃないのかい」
「おじいさん、それ去年も聞いてましたよ」
南海神社というのは海沿いにある神社でこの流日市ではもっとも大きい神社だ。
夏祭りであったりお正月であったりと節目や催し事があればとりあえず行って間違いはないような、ちょっとした観光地。地味に他の市からもそこそこな数の人が訪れているとか。
「はて、そうじゃったかな。歳かのう。時はきざむ癖に記憶はきざまんとは脳みそも古びたもんじゃて」
「まぁそう言わずに。身体の方は元気なんでしょ?」
「おかげさまでの」
聞くまでもないだろう。
多少着込んでいるとはいえ年の瀬新年と鐘をついているのだ、丈夫でないはずがない。
「ところでましろちゃん、友達はおらんのかえ?」
急な方向転換に少し詰まる。
「いるには、いますけど……」
友達というのはどこからどこまでの関係性を言うのだろうか。
会って挨拶を交わせば友達か?
連絡先を把握してれば?
2人でいて心地よければ?
私、月夜ましろには、正直なところ人との距離がわからなくなった。
クラスメイト。
誰から誰までが友達でどこから知り合いなのか。
小さいころはこんなんじゃなかったと思うんだけど。
「一人の方が好きか。そういうのもよかろ」
多分そういうわけじゃ、ないんだけれど。
でも。
今の周りの人たちを考えると一人の方が楽なのは楽だ。
クラスメイトのことだけれど、悪い人たちじゃない。
むしろ良い人たち、好ましい人たちの方が多い。
信じられないわけでもない。
ただ、少しだけ、彼ら彼女らがわからない。
「で、新年早々、ましろちゃんは何を願ったんだい?」
自然に。
好々爺は聞いてくる。
「……えっと、そういうのって普通心に秘めておくものじゃないんですか?」
うらやましい。
平気で人の領域に立ち入るわりに嫌悪という感情を一切与えない。
「いやいや、わし神様とツーカーじゃから。結局のところわかっちまうんじゃよ。なら本人の方から聞く方がてっとり早いじゃろ?ろ?」
「ははっ、何もお願いしてませんよ。それにツーカーなら神様にきてください」
「無欲じゃのー。それに一本返しおったな。元気じゃの。じゃったらもっとガツガツいかんと。若いんじゃから」
「若い娘っ子相手に何しとるかアンタは」
「何じゃばあさん、仕度は終わったんか?」
わりこんできてお爺さんを窘めたのはお爺さんの妻だ。
年代は同じくらい。
普段はあまり出てこないけれど、今日は正月だからだろうか、お婆さんもよくわからない正装をしていた。
「あけましておめでとうございます、おばあさん」
人のよさそうな、少しタレ目のおばあさん。
のほほんとしてそうな顔つきではるけれど、纏う雰囲気は凛としていた。
端的にいうと、かっこいい。
「おめでとう、ましろちゃん。何かつまんでいくかい?色々あるけど」
「ありがとうございます。でも、夜も深いので」
「それもそうさな。雪には気をつけなさいよましろちゃん。今日は冷えるそうだから」
この夫婦は私のことをましろちゃんと名前で呼ぶ。
友達と呼べるはずの彼女達でさえ、「月夜さん」なのに。
その名前の響きを、親以外では唯一私のことを名前で呼ぶ彼らを私はかなり気に入っていた。
「わかりました。それでは」
「おぉ、気をつけてのー」
お爺さんの声をききつつ。
境内に背をむけ、階段を下りていく。
年明けでありながら人が来ないのはこの長い階段のせいかもしれない。
一つ、一つ。
ゆっくりと下りていく。
老夫婦はいつも私が降りきるまで見守ってくれてる。
旅立つ雛を見守る親鳥のように。
最後の一段を下り、振り返る。彼らはまだそこにいた。
聞こえはしないだろうけれど、呟きながら手を振る。
「またね」
微笑みが返ってきたら私はここを後にする。
階段をおりたそこはそれでもかなりの標高があった。
流日市を囲うようにそびえる山々の中腹にあるこの神院の入口は、やはりなだらかな坂の途中にある。
人から離れて一人、空気の冷たさを知る。
真冬のソレは冷たいけれど、あまり気にはならなかった。
むしろ心地いい。
家に帰ったらどうしようか。
「どうせ眠れないだろうし」
空を見上げながら人通りの少ない緩やかな坂をくだっていく。
それなりの高さにあるせいか、ここからは流日市が一望できた。
けれど。
「空のがキレイ」
それなりに都会ではあるが、この街には星空がちゃんとあった。
満天、とまでは言わないが。
地に輝く光よりはよっぽど心が落ち着いていく。
少し残念なのは雲がちょっと邪魔をしていたことだ。
おばあさんの言うとおり、雪でも降るのかもしれない。
寒さには強い方だ。
でも雪はあまり好きじゃない。
何か大事なものを白で消してしまいそうで。
降られる前に帰ろう。
少し、気持ち足を早めたその時に、ケータイがメールの着信を知らせた。
日付が変わって少し。明けましてメールだろうか。
それにしてはいつもよりはやい気がする。
いつもならもっと混雑してて、来るのは五時とかなのに。
気になって画面に目を通した。
From 夜ト神
sub 願い事を叶えましょう
あなたに願いはありますか。
あるのであれば、私と共に叶えましょう。
そっけないメールだった。
それに
「誰だ……?」
私のアドレス帳にはそんない多くの数は登録されていない。
その中に夜という名前はなかった。というかそんな名前の友人もいない。
少し凝った迷惑メールだろうか。
「願いか」
さきほどは何も願ってないと言ったけれど、あれは嘘だ。
1つだけ、願った。
だからだろうか。
バカバカしいとは思いながらもそのメールに返信した。
「帰ろ」
ただのたわむれだ。どうせ何も変わりはしない。
願うという行為だけで救われることもある。
それでも。
願うだけで叶うなら、人々はもっと、きっと。
ここから家までは徒歩で15分とちょっとだ。
流日市の中心である流日駅から少し離れた簡素なアパートの一室。
親とは一緒に暮らしてない。
不仲とかそういうのではなくて。
それなりの事情があるのだ。
結局年末年始も帰ってない。
今日もあの部屋で眠れない夜を過ごすのだろう。
「きょーうもよーるはなーがいのだー」
誰もいない静かな夜だからかな。
歌は自然とこぼれていた。
「そーれでもあーさはやーってくるー」
テキトーな歌詞をテキトーな気分に乗せて。
新年早々、あのあたたかい夫婦にふれたからだろうか。
とても気分が良かった。
だったら歌ったって仕方ないじゃない?
手を広げ、平均台を歩くよう、でも猫みたいに軽やかに。
とても心は満たされていた。
ここ最近、なぜだかどこか気分が落ち込んでいたから。
今の私はとてもイイ。
何か、素敵な何かがあるような、そんな予感。
普通だったらそこは素敵な出会いだったりするのかな、なんて。
「キレイだなぁ、星」
少し、雲に隠れているけれど。
この地から見える星々はうすいだけの雲で遮られるほど弱くはない。
いつか、ああいう強い存在になれるだろうか。いや、なろう。夢だとか目標だとかはないけれど、そんなものこれから見つけていけばいい。
歩みをすすめる。とりあえずは家へ。
そこからは、また。
「こんばんは」
唐突に声が聞こえた。私の歩の真っ直ぐその先。
一人の少女が立っていた。
「こ、こんばんは」
白衣のようなコートに今時珍しい瓶底メガネが特徴のその少女に、少しびくつきながら返す。
「少し聞きたいことがあるのだが」
「なんでしょう?」
道にでも迷ったのだろうか。こんな夜更けにどこにいくのだろうか。
人のことは言えないけれど。なんとなくここらへんの地図を頭に思い浮かべながら少女に近づいていく。
今の私は気分がいいのだ。何だって教えよう。
「君は夜ト?」
「へ?」
どういう発音をしたのかはわかる。
ただ、少女が何を言っているのかがわからない。
ヤトって、なんだ?
「えぇと、すいません、もう一度仰っていただけます?」
おずおずと。聞き返してみる。
聞きながら頭にひっかかるものがある。
「おかしいな、この時間この場所のはずなんだが」
少女は親指の爪をかみ、思考の迷宮へ落ちていく。
こちらは全く見えていないようだ。
「あのー、もしもし?」
どうしよう、このまま放っておいてもいいものだろうか。
「えーと……」
どうしたものか。
そう思ったときに少女は動いた。
「うん、まぁいいや。君。実験台になってもらおう」
視線が急にこちらを捉える。厚いレンズの底から真っ直ぐ、鋭く。
猛禽のように。
「え……?」
射すくめられる、というのか。
「どっちにしてもだ。試運転は必要だし」
言葉に続くように少女の手に、弓が現れた。
ほんのりと、蛍より儚げにほんのりと光をまとっているそれを、少女は掲げる。
少女の照準が、ちょうど私の胸あたりになったころ。
ようやくわたしは駆け出した。
真反対。
全力疾走。
「何よアレ!」
矢は番えられていなかったと思う。
それに矢をいれるものも持ってなかったように思う。
けれど。夜中。こんな時にだ。
いきなりあんなものをつきつけられたら。
あんなものを見れば逃げる。
「ハァッ……」
運動は得意じゃない。10秒も走らないうちに息は切れてる。
けれど、足は動いた。
近くにいちゃならないと思った。
その時だ。
ごうっ、と。
風切り音が、すぐ左をぬけていった。
足が、止まる。
そうしてはならないと思いながらも、視線は後ろへ、振り返っていた。
「逃げないでくんないかなぁ」
それなりに距離はあった。50m、はないくらいか。
視線の先には人型の何か。
そして声は。
「君、陸上部か何か?」
上から聞こえていた。
少女は、空に。
何かに乗っていた。
ロボット、というやつだ。
こんなもの見たことはないけれど。
「権能とやらは嘘をつかないはずなんだが」
またしても、その狙いは私だ。
「もう一度聞こう。君は夜トか?」
その言葉でようやく思いつく。
夜ト
さっきのメール……!
「聞く意味もないか」
矢はない。番える様子も……
「便利だとは思わないかい?矢がいらないんだよ、これ」
ただ弓を持っているだけ。
その中央。光がどこからともなく集まり収束していく。
動けなかった。すでに射られたような感覚。
世界が、時を進めることをためらっているかのようなそんな感じ。
いや、違うな。
多分、私のない頭が、どうすればこの状況を回避できるか必死に観察しているんだ。
この少女も、弓も、ロボットも。
何もかもわかってないのに。
走馬灯、って流れないんだな。
矢が完成する。
そんなに思い出っていう思い出もないし。
放たれる。 20m
ずっと、夜の中にいたなぁ、私の人生。
少しずつ。 18m
お母さん、わがままありがとう。
少しずつ。 15m
お父さん、迷惑かけてごめんね。
近づいて。 11m
夢とかそういうのもなかったなぁ。
近づいて。 6m
あぁ、おじいさんたちみたいにやわらかな光になりたかったなぁ……
近づいて。 3m
雪が降ってる。寒くなるって言ってたもんね。でも、随分と大きいな。
いや、これは 1m
……桜?
光を集めた矢はましろを貫くことは無かった。
矢とましろの間には、少年。
「初っ端からパンピー巻き込むとはイキがいいじゃないか、同類」
つばの小さい刀を、少女に向ける。
「正義の味方ってわけじゃねぇんだが」
桜の花びらは量を増し、やがて
「 三ノ句告げる み吉野の 高峰の桜 散りにけり 」
嵐になる。
「助けられるもんは助けるって主義でな。邪魔させてもらったぜ夜解」
「逃すとでも?」
「逃げるさ。そのための桜だ」
「なら散らしてやる」
上空から再び矢が放たれる。
「桜は人に嘘をつく」
その呪が結ばれた瞬間。
矢の先にいた標的は、消えていた。
「へぇ……?ローディ!」
白衣の少女、夜解と呼ばれた少女は叫んだ。
離れたところにいた自身の作品に。
追え、と。
返答はない。
あったのは動きだ。
全身を白でいろどられ、両の手に長大な鎌を携えたそれが駆ける。
そして。
「クラリア、君は掃射だ」
少女がのる黒のロボットは、装備した銃器を構え、うち始めた。
「どうせ種はあるんだろう」
先程まで彼らがいたところを見据える。
「瞬間移動なんて、できるわけがないんだからさ」
「あの、ありが」
お礼を言おうとした。
が、それは遮られた。
「それは落ち着いてからだ。今は逃げるぞ」
腕をつかまれる。
「……立てるか?」
「ちょっと……無理かな」
足が、言うことを聞かない。
「なら……」
さきほどまで私を見ていた目線が突然動く。
その先にはロボット。
さらに上から。
もはや音にすらならない、銃声が。
「 四ノ句告げる 今ひとしほの 折りてかざらむ あらしもしろき 」
少年は刀を持ってない左手から何かを投げ、唱えた。
赤い三角形が上空に浮かぶ。
「 三ノ句告げる あはれいかに 草葉の露の こぼるらむ 」
さらに唱える。
同時、何かが道をえぐるような音がした。
それが終わるころにはどこから現れたのかかなり大きい猪が現れていた。
「要件は」
「のせろ、そこの子もな」
「承知」
何が起きているかもわからないままに。
私は猪にのせられ、
「駆けろ」
「言われずとも」
桜吹雪が未だ舞う中、その場をあとにした。
「逃げられたかな……?どう見る、ローディ、クラリア」
白衣を纏った少女は自らが作り上げた2つの作品に問う。
返すのは無言だった。
「そうか、君らに発音機構つけてなかったやごめんごめん」
まぁ銃弾が弾かれた形跡はあったわけだし、恐らく
「人間の目に映らないだけで機械にはとらえられる、と」
少し笑みを浮かべながら、少女は今度は自らに問うた。
「さて、権能。今追って勝算はあるかね」
少女の体に先ほどの矢と同じような儚い光が遊びだす……。
「……癪だな。やめておこうか」
地面を見下ろしながらこぼす。
「この天才をして逃げ切ったアイツ……」
いつか潰す……。
映像は記録している。なら捉えることはたやすい。
白衣の少女は、2つの機械をみつめ決意を固めた。
桜吹雪からぬけだし、猪の上にのっている。
言葉だけならべたらまったく意味がわからない。
「イノ、地上は面倒だ、空からいってくれ」
「承知」
言うがまま、言われるがまま。
私がのっている猪は空へと踏み出していた。
「え、ちょ」
「しっかりつかまってろよォ!」
ほほに当たる風が強くなる。
「うわぁぁぁぁぁ」
なんなんだこれは。
ジェットコースターか何かなのか……。
それと同等、いやそれ以上の速さで高度を上げていく。
またたくまに流日を一望できるほどの高さになった。
「さて、じゃイノ、後頼むわ」
「承知」
言うやいなや。
目の前の背中は前に倒れ
「くかぁぁぁぁぁぁ」
寝た。
……。
……。
……え?
「えぇぇぇぇぇぇぇ???」
さっきしっかりつかまってろと言ったじゃないか。何を無気力に寝ているんだ落ちるぞ!?
「こ、困った……」
「お困りかね、お嬢さん」
「そりゃもう……空飛んでるし飛ばした人は寝てるしイノシシは飛んで……うん?」
「お困りかね、お嬢さん」
やたらとひびく低音のいい声が聞こえてくる。
おかしくなったのかな。
「……。そういや喋ってましたね」
ようやく、事実の認識ができた。
そうださっきから少年は喋っていたのだ。
イノシシと。
「もう疲れたよ私は……」
「疲れたときはほどほどに温めの茶を飲むといい、あとは糖分だな」
「そうですか……」
「まぁ、わからんでもないぞ、初めて会ったイノシシがこんなダンディなヴォイスなら緊張するのも止むなしというものだろう」
「そこじゃないんですけどもういいです」
たしかにダンディだけれど。
同世代にこんなのいないけれど。
「まともな話をしてやろう、お嬢さん」
まともじゃない事に自覚はあったのか。
「どうもお嬢さんはパンピーっぽいしの。わしらはまともには見えんじゃろ」
「心まで読むんだ」
「読んどらん。わかりやすいだけだ。自己紹介をしておこう。ワシはいま背中で寝ている男の七番目のペットだ」
「ペット……空飛べるんだ……」
最近のペットはすごいなぁ……。
思わず現実から目を背けそうになる。
イノシシ……。
「わしのことはイノさん、でいいぞ」
「どうも……えっと私は」
名前を言おうとしたところで無駄にひびく声に遮られた。
「いや、今はいい。どうせこやつにも紹介するのじゃろうしその時まとめてで」
「あ、はい」
言っている間もイノシシは空をかけていく。
こんな高さから流日を見たのは初めてだった。
少し冷たい空気が頬に痛い。
「それはそうと一つ問題があってな」
「問題?」
「うむ、わしはどこに向かえばいいんじゃろうか」
「へ?」
もしかして特に行く宛もなく走っていたのだろうか。この速度で?
具体的にはわからないが下手な車よりは速い気がする。
「どこか、そう、この寝てる人の住んでるところとかじゃないんですか?」
「うぅむそれは難しい話じゃな」
「難しい?知らないの?」
ペットと言ってたではないか。
「まずちゃんとした住所という意味ならこいつの住んでるところはプラハじゃ」
「ぷ……プラハ?チェコの?」
「確かそんな国名じゃったかな。でもって現住所という意味なら恐らくこの近辺じゃがくわしい位置を把握しておらん」
えぇ……。
「すなわち、じゃ」
イノシシは駆けながらコトバを続ける。
「消去法というかほぼなし崩し的に行くあてはお嬢さんの家になるのじゃが、どこじゃ」
本当になし崩し的に、しかも反論はすることもする気力もないまま、イノシシと見知らぬ少年が年明け早々家に来ることになった。
そういえば。
今年の干支はイノシシだったな、なんてどうしようもないことを思いながら。
それからしばらく。
当たり前といえば当たり前ではあるのだが、玄関まで来て私は戸惑っていた。
イノシシを家に上げる時はどうしたらよいのだろうか。
土足か?
土足でいいのか?
ペットを飼ったことがないからわからない。いや、犬と同じと考えればいいか。
とりあえず玄関先で足をふいてもらえばいい。そうしよう。
「お邪魔する」
そう思った時にはイノシシはすでに部屋へ侵入していた。
ワンルームタイプなので玄関から部屋まで距離はない。
幸い、そんなに汚れてはいないようだけど。
というか飛んでたから汚れもなにもないのかな……。
「はぁ……」
ため息だけが答えだった。
当のイノシシは部屋中央まで歩を進めると
「ふんッ!」
体をふるわせて主人であるはずの少年を床へ落とした。
無造作に、落とした。
……雑すぎじゃない?
「すまんがましろ殿、こやつのために食事を用意してはもらえんか」
「へ、あ、はい」
もう思考は停止していた。言われるがまま廊下のキッチンに足を向ける。
およそ80cmほどの落下をしたはずの少年は衝撃など意に介さず、いまだ夢の中だった。
冷蔵庫の中身を思い出しながら調理器具を用意する。
いや、待て。
「私、自己紹介しましたっけ」
ちがう、そうじゃないと思いつつも言葉は口を出ていた。
「わしはそこらのペットとは出来が違うのでな、名前くらいはわかる」
わけがわからない。
そもそもイノシシが喋ることからわけがわからないんだけど。
でもそれを言いだしたらこの30分、神院を出たあたりからはわけのわからないことばかりだ。
少し前、ほんの十分とちょっと前、この現代で弓に打ち抜かれかけたそんな事実さえ、そのわけのわからないの一部なんだから笑えない。
「色々戸惑っとるのかもしらんが、こやつが説明しよるよ」
イノシシは軽く言う。
主人を下ろした明るい茶色の獣は足を折ってうずくまっていた。
「こやつは空腹で気絶したら飯が食えると嗅ぎつけるまで眼をさまさんのでな、恩返しと思って何か何か用意してくれ」
恩返し。
たしかにそれはある。
あの瞬間、この人が来てくれなければ自分は暗闇に落ちていたかもしれない。
「よし」
大事なのは思考の切り替えだ。
ここまで状況に流されてばかりのような気もするけれど、わからないのだから仕方ない。
答えにあてはある。
ならそのためにできることをしよう。
材料を並べ、包丁を手にする。
これでも料理はそれなりなのだ―――!
「お待ちッ!」
出来上がったのは親子丼。
とろけそうな卵とじに少し大きめの鶏。これは普段から下味をつけたりしているちょっとこだわりのある鶏だ。
邪魔にならない程度にかつ上品に、ネギもちらしてある。
見栄え、それに味ともに料理屋ででてきたとしても遜色のない出来。
机においたその瞬間。
今まで気絶し、地に伏し放置されていた少年は起き上がり
「いただきますッ!」
自分がどういう状況かを確認することもなく箸を手に取り丼に手を添え、食らった。
ただ食らう。ひたすらに食らう。
最後の1粒までものの5分で食べきると丼を机におき、告げる。
「おかわりッ!」
「ありませんッ!」
その応酬でようやく気づいたのか少年は私を見、部屋に一通り視線を投げ、傍らで休むイノシシを見、
「随分と殺風景な部屋だな」
「そこじゃないだろぉーッ!」
思ったより声が出た。
たしかに私の部屋は女子高生の、一般的に想像しうる部屋から考えれば殺風景だった。
最低限の家具装飾だとかそういった思想の一切ない殺風景。
だがそれは今本題ではない。
「まずは名前をうかがってもいいですかっ!」
少し怒り気味に聞いてしまったが仕方ないだろう。
「うん……?そういや自己紹介してなかったか。ならしておこう、俺の名前は空だ」
「空……さん」
「そう、大空の空」
「まぁちっぽけな男じゃがな」
「るせー黙ってろイノ。で、君は」
空と名乗った少年は正面からちゃんとみれば、少年と言うには少し大人びていたのがわかった。多分私より年上だ。
「えっと、ましろです。つく」
「待て」
「え?」
まだ下の名前しか言ってないけれど。苗字を言おうとしたら遮られた。
「苗字はいい。かえって邪魔になりかねん」
「は、はぁ……」
少し、というかだいぶ何を言っているのかわからない。苗字が邪魔になるってどういうことだろう。
そういえば空さんも苗字はいってないな、と今更気づく。
「さて、状況の確認をしようか、ましろちゃん」
「えと、はい」
「あの白衣の女とか俺のこととか色々聞きたいことはあるだろうが、まず常識の話が一つ。いくら新年初詣とはいえ女子一人があの時間帯にうろつくもんじゃない」
「それは、うん……」
実のところ、夜な夜な出かけていることを知らない親はともかくそのあたりのことは神院のあの夫婦にも言われていたことではあった。
「ここいらが多少治安がいいとはいえ、馬鹿をやらかすやつがいないとは限らねぇ。回避するのに越したことはない。で、だ」
改めてこちらを見据える。幾分かその眼差しが真剣味をおびているような気がした。
「本題はこっちだ」
かたわらのイノシシの背を撫でながら続ける。
「君は魔法を信じるか」
「…魔法?」
「コインを隠すだのカードを当てるだのじゃなく、想像の奇跡を現実にしちまうようなそういうやつ」
あるかどうかでいえば多分ある。
でないと目の前のイノシシとか冬に舞う桜とか説明がつかない。
でも空が聞いているのはそういうことなのだろうか。
そもそもそういうことを聞きたいなら、否定しようがない現実があるのだから聞く必要がない。
有無を聞いているんじゃない。
多分彼が聞いているのはもっと別の―――
信じるか、と彼は言った。
君は肯定するか、と。受け入れる覚悟はあるかと言ったのではないか?
あの矢。そしてはじく刀。少年。
「私は―――」
返答は一言。
「そうかい」
満足そうに少年は言う。
「なら色々説明しよう……けどその前に、だ」
「その前に?」
「ねる」
「えっ」
言ったそばから空は床にくずおれた。
「……え」
呆然、としかいえなかった。
「お困りかねお嬢さん」
「またこの展開なの……」
幾分か唐突な展開にはなれてしまった。
とりあえず布団かけなきゃ。
来客用のでいいだろう。
床にそのままなのは申し訳ないけれど、男の人を運ぶ腕力はない。
もしかしたらイノシシが出来るかもしれないが……
「無理だな、私は小回りがきかん」
「そうですか……」
なんとなく半目になりながら彼(?)を見る。
もしやこの御仁はずっと消えなかったりするのだろうか。
「君が何を言いたいかはわかる。私のおかげで暖房いらずということであろう」
なぜか、片方の足をあげながらにこやかに言う。
そういうことじゃない。
というかそれはサムズアップのつもりなのだろうか。
「いや……うん……」
返答は曖昧になった。
そもそもの話、人間以外のものとコミュニケーションをとれているだけすごいと思うのだ。
人間相手にもなかなか苦労しているのに。
「だーっ!」
布団を乱暴に出しながら考える。
今日の私はそこそこメルヘン夜空思考だったのに!!
心なしか、投げつけるように布団をかけ自分もベッドへ向かう。
正直、一応は来客である空を床にそのままというのは心苦しいといえば心苦しいが仕方ない。
「じゃ、寝るよおやすみ」
「おやすみお嬢さん」
一人暮らしの部屋なんてそんなに広いものではない、というかワンルームだ。
ベッドもそこにある。もぞもぞと潜り込んだ。
「……お嬢さん電気は消さんのか」
「……私暗いの苦手なの」
「…そうか」
何か言いたげな沈黙を含め、イノシシは眼をとじた。
私の年明けはこうしてわけのわからない出会いから始まった。