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「あんな形で伝えるつもりじゃなかったんだ。」
「うん、分かってるから。」
よく会う店でいつものように横並びでお酒を飲んでいる。あれから、つまり三人で早朝にばったり会った日から一カ月程が立とうとしている。もう季節は初夏を主張していて、藤の花もハナミズキも花開き、あの頃盛りを迎えていた桜はもう青々とした葉を茂らせている。
「はー・・・なんであんなこと言ったんだ、俺。」
「私はよかったと思うわよ。」
カウンターに頭を抱えて伏せていた望が、がばっと起き上がる。
「どこが。」
その勢いに少したじろぎつつも、冷静さを装って小さな脚の長いグラスに注がれた紅いカクテルを一口。
「良かったわよ、ちゃんと伝わったんだから。」
「いや、だからさ。梨花ちゃん。」
伝えるつもりのないこと、関係を崩したくないことを語っていた望。私はそれについては考えていないようなぼんやりとした態度を取る。あくまでもふわふわした雰囲気を醸成する。
「んー?」
私はナッツをつまんで食べる。歯に当たる硬さと弾ける香ばしさ。さらに紅いカクテルを二口飲んだ。
「うん。いや、いいや。しょうがないもんな、もう。」
「そうね。」
手と頭を振り、諦めた様子の望に安心する。もう状況は変わっているのだ。望は深刻そうな顔をして、強いアルコールの入ったグラスを手に取り、ぎゅっと握り、片手で持ち上げてぐっと大きな一口分を飲んだ。残された氷がきらりと照明に光る。
「どうしよう。」
「思った通りにしてみたら?」
「え。」
じっと望と見つめ合う。望はふっと力の抜けた笑みをこぼし、生ビールを頼んで一息に飲み干した。
「ちっとやってみるわ。梨花ちゃん楽しみにしといて。」
「ふふふ。いいね、男前だわ。」
「そう、男前なんだわ俺。それに、もうすることはこれしかないから。」
そういって望は電話をかけ始めた。私はそれを聞きながらノンアルコールカクテルのシンデレラを飲んだ。ただただ甘美な味が広がる。シンデレラのオレンジ色は濃くてこっくりしている。
「よっし。梨花ちゃん、出るよー。」
「え、私も行くの??」
「当たり前じゃん。ちゃーんと見ててよ、俺たちのこと。」
「しょーがないなぁ。二人とも私が居ないとダメダメだもんね。」
「そゆこと。」
ニシシと望は笑い、私達は駆けだすように店を出た。
春の夜は冷たくて、優しい空気に満ちていた。曇りがちな空は星と月を隠すけれど、月のない夜は誠実だ。罪も罰も恐れも穢れも包み隠す。雪も桜もない、初夏に向かう季節の足取りは夜だけゆっくりになる。




