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部屋の中はいつも以上に綺麗だった。オープンハートは青緑色の箱に納めて仕舞い込んだ。年度末に向かうこの時期にお休みをいただくことに若干の後ろめたさもあったが、私は今どうしても一人になりたかった。いや、一人になることが私には必要だったのだ。
涙で洗った桜色のスーツケースにお気に入りの洋服とコスメとノートとペンを入れ、幸せを詰め込む場所を残して蓋をし、鍵をかけた。
この中には私しかいない。
きらきらした何かとただの空白とがある。言語化できないやるせないような切ないような気持ちが渦を巻く。混沌も清浄も穢れも恐れも、期待も希望もたくさんのものが詰まって何色とも言えない色合いの私の胸の内を綺麗な桜色でパッキングした。開かないで欲しい。開いて私を見て欲しい。人に見せている私と、私として見せたい形。そして、孵化したばかりの蝶のように脆くて柔らかい弱い私。
住んでいる部屋のように私を表す。奥の奥の方はごちゃごちゃなのに、外は綺麗に繕った見栄っ張り。それが私。
一人で歩くのはやっぱり怖いけれど、今、ここで、混沌とした私が、一人で歩いてみないことには私という存在は停滞してしまう。これまでの自分自身は立ち止まったままで周りが押し流してくれてきたが為にそれなりに流れてきた。そんな私という存在を、社会的でも経済的でもなく、あくまで私的に、自立させなければ、自立しなければいけない時が私に訪れているのだと強く感じる。
望に甘えた私は感じていた。私の欲しいと思った茉莉に差し出される望の腕は私に向けられるものとは一線を隔する。私はまだこんなにも幼く、その一方では大人にもうなりかけているのに子どもらしさを装っている。大人ぶった子どもで、子どもぶった大人だ。情けなさと恥ずかしさで瞳が潤む。
愛も恋も分かってはいなかった。これまでの私は分かったふりばかりして心をないがしろに生きてきた。
だから、飛行機に乗って半日近い過去へ、私の今へ飛び立つ。
成田を無事に離陸した飛行機はぐんぐん私を現実から遠ざけ、私と私の中の私だけの世界へ私を運んでいく。この十二時間かかるフライトの間、目を閉じて考えている。
機内サービスで供されるオレンジジュースを一口。丸い甘さがとげとげしく私の中を駆け巡る。身震いをして毛布を顔まで引き上げ、イヤホンを耳に押し込んだ。何かが始まる何かが起こる。その何かがきっと私を変えてくれることを期待し、その一方で今までの私を変えてしまうことを恐れている。
何があっても立ち上がれることを私の友達はいつも教えてくれる。だから私もきっと立ち上がれると信じているのにこんなにも足がすくむ、腰が引ける。本当は私なんかよりずっとずうっと彼女は強い。守っているような顔をして守られているのはやっぱり私で、どうしたら同じように笑っていることが出来るのか、立ち上がることが出来るのか私にはまだわからない。
何がショックで何に傷ついているのか、本当は動揺しているだけで傷ついてもいないしショックでもないのかもしれない。自分自身を感じることは案外、難しい。守ってくれる腕が欲しかった。小さな子供のように甘えて抱きつけるような腕が。けれどそれは私を女性として見て恋う相手の優しさと甘やかしに富んだものではなかった、私が本当に欲しかった私を守ってくれる腕は、私を守れる私の腕だ。
私は強さが欲しい。あなたを守り、私を抱きしめる。あなたを抱きとめ、あなたの前で泣ける強さが。
オレンジの色や香りが私のことを彩ってくれたとしても一方的に守られることは叶わない。もはやそれを願うことは出来ないから。それに、守ってもらう私じゃなくて、私も守りたい、守りたい。守りたい。誰かを私を守れるように、なりたい。
ノートとペンを取り出し、私の心を書きつけた。こうすればきっと、日本に帰る頃には私もほんの少しは変わっているんじゃないだろうか。少なくとも私を変える力を、一歩を踏み出せるのではないだろうか。




