17
その日は小春日和とまではいかないが、冷たい雨があがり久しぶりの晴れ間が広がる文句なしの快晴でひんやりとした空気に土の香りがふんわり香る春を想起させるような日だった。外を歩けば優しい日差しがほんのりと暖かい二月らしからぬ陽気に包まれ、昨夜の雨にぬれた常緑樹の葉が真珠のようにきらきらと光る。私は白いコートに春を感じさせるような柔らかなピンク色のワンピースを着て出掛ける。胸元には小さな石が花形に配置されたネックレスを着けた。
待ち合わせのカフェでカフェオレを注文し、道に面した窓際の席に座った。紙製の容器の外側にじんわりと広がる熱を手のひらで心地良く受け止める。休日の昼近い時間はゆっくり流れていく。
通りを歩いてきた人が私の姿を見つけ笑顔で手を振る。私は笑顔で手を振り返し、彼が来るのを待った。
「待った?今日はいい天気だね。」
「ううん、そんなに。なんだか春みたいね。」
「梨花の今日の服も春みたいだ。」
「ふふ、ありがとう。」
私は笑みをこぼす。彼も私に笑いかける。私は飲みかけのカフェオレを両手で包むように持ち、彼と一緒にカフェを出た。
「今日はどうしようか。このままドライブでもしようか、それとも君の好きな美術館・・・・少し遠くの美術館にドライブがてら行くのもいいかもしれない。うん、いいね。どうかな。」
「ごめんなさい。」
私は立ち止まり、彼を見つめて言った。彼は笑顔のままで私の希望するプランが提案されるのを待っている。
「今日は・・・・。」
「うん。」
小さく首を左右に振る。
「梨花?」
心配そうに私の顔を覗き込む彼は、いつだってとても優しい。言葉を継げなくなった私の手を彼は優しく包む。
「どうした?大丈夫だよ。とりあえずお昼ごはんでも食べようか。ね。」
「うん。」
私は彼に連れられて高層ビルのレストランフロアへと向かった。二人でいつものように食事をとる。
ちょっとお洒落な和食のお店はそれぞれの席がきちんと仕切られており静かだった。彼は鶏のから揚げがメインになったセット、私は揚げだし豆腐がメインになったセットをそれぞれ注文した。食事の最中、彼は今日のこれからについて触れようとはせず、お互いに最近あった出来事を話し笑い合った。彼は私のことを大切に扱ってくれ、いつだって私に合わせ、私のために心を砕いているのがよくわかる。
「梨花。」
「はい。」
食事も済み、テーブルも綺麗に片付いている。私達の間には何も置かれていなかったが、彼の真剣な声音が私にそう返事をさせた。空気が少し硬くなったのがわかる。
「梨花。」
彼が私の名を呼ぶ。優しくて温かな声音で呼ぶ。私はもう応えることも出来ず、小さく首を縦に振った。
「泣かないで梨花。ごめんね。」
ぽろぽろとこぼれおちた涙で私の視界は歪んで彼の顔すらきちんと見えないのにどんな顔をしているのかが私にはわかる。それは少し眉を寄せた困った表情で小さな妹にお兄ちゃんが向けるような優しい顔と眼差しだ。
「君の中で、この前の答えが出たんだね。」
私は何も見えない状態のまま彼を見つめた。彼の手が私の髪に触れ、頬に触れ、涙をそっと拭ってくれた。
「苦しめてしまってごめんね。」
私は首を振り、震える声で「ごめんなさい。」と彼に告げた。彼は今まで以上に柔らかな表情をして頷いた。
「ありがとう、梨花。」
私が落ち着くのを待って彼は私をほんの少しだけ遠回りをして家まで送ってくれた。これが最後になるとお互いに気が付きながらも何も話さず、ただ彼は車を走らせ私は進行方向を見つめていた。
日は落ち、群青色の空が藍色に染まっていく中で手を振って別れた。彼とは今生の別れになる、のだろうと私は思った。最後に「ありがとう。」と告げた私を彼は抱きしめた。優しく。
その腕は私を愛おしいものとして守る。きっと私にとってはまだ必要なものであるのだろう。しかし、それが私の求めているものとは異なっていることもまた私の中にある真実なのだと思う。




