35 気に入らないとか肌に合わないとか
夜風が通り抜け、一輝の肌を僅かに冷やしてどこかに消えていく。
夜、宿を取った集落に戻りマリーチャ・クラスは一度落ち着いて休息をとっていた。木造の簡単な造りの家屋がまばらに並ぶ集落はお世辞にも発展しているとは言いがたかったが、宿自体はさして悪いものでもなかった。独特な風味の野菜をふんだんに用いた料理や、澄んだ空気に満ちたベッドルームはむしろ一輝には好印象だったくらいである。
二階の三部屋が一輝たちのために抑えられており、一輝は一部屋を丸ごと与えられていた。一人性別が違うためだったが、まあ今更ではある。
一人就寝しようとして都市部に比べてひどく静かであることに気づき、なんとなく寝付けずに一輝はテラスのようなバルコニーのような窓の外に張り出したスペースに歩み出ていた。
「つくづく、日本じゃないよな……」
恐ろしく美しい夜空を見上げて、感動するというよりは困惑して一輝は呟いた。目に見える星の数自体尋常ではないが、そもそも月のような衛星らしきものが二つ浮かんで見える。
「一輝さん?」
と、横合いから声がかかり、一輝は振り向いた。スピカが、自らと同じように外に出ているのを認めて少しばかり驚く。
「眠れませんでした?」
いいながら、スピカは一輝に少しばかり歩み寄った。バルコニーは隣の部屋と繋がっており、特に柵もない。
「ちょっとばかり、ね。知らない場所にきて、神経が落ち着いてないのかも。スピカは?」
「私も、同じようなものです」
くすりとおかしそうに小さく笑って、スピカはそう答えた。身にまとっている簡素な部屋着が、彼女の肩の動きに合わせて揺れる。
「空、珍しいですか?」
訊かれて一輝は僅かの間返答に困った。
「……そうだね。元いた世界とは、星の数も場所も全然違うから」
「そうですか。やっぱり、一輝さんも」
「俺も?」
「皆、そうなんです。フェーリスもドロレスも、それに多分マリーチャ先生だって、皆転移してきたばかりの頃は色々珍しくって。空も、さっきの一輝さんみたいに眺めたり」
「スピカは?」
「私は、ほとんどもとの世界のことなんて憶えてませんから」
「ああ――そっか……」
思い出す。スピカは幼少時に事故で世界観を移動した。この世界に吸い寄せられたようなものだ。
そのまましばらく、見るともなしに夜の景色を眺めていた。田舎の夜など、明かりも無く何も見えはしないと一輝は予想していたが、案外軒先や空の星明りだけでも見えるものはある。空を舞う奇妙な形状の鳥に、湿地に潜み時折跳ぶ昆虫。
それに、すぐ傍に佇む人の表情も。
「一輝さんは――ミトラ学園、どう、思います?」
躊躇いがちにそんな言葉が、スピカから投げられる。
「どう、っていうのは?」
「その、他にあんまり選択肢も無く、一輝さん、入学しちゃったじゃないですか」
隣に立ち、同じように景色に目をやりながら、スピカはしかしやや視線を下げていた。
「気に入らないとか肌に合わないとか、そういうの、ないかなって」
自分が一輝の入学の一助になったという負い目もあるのだろう――スピカの声は普段より少し弱かった。一輝は自然と微笑み、それに言葉を返す。
「そういうことか。いや、大丈夫だよ。皆よくしてくれるし、良い場所だと思う」
ジニアのようなはねっかえりというか、一輝の特別さに敵意を向けるものも時にはいるが、学園は全体としてはそれほど悪くない場所ではあった。短い期間だが日常を過ごし生徒たちとも交流をし始めた一輝にとっては、この異世界で最初の安住の場でもある。
だが、単純に気に入るかどうかといったのとは別に、気にかかることはあった。
「ただ――」
「ただ、なんです?」
言うべきかどうか迷ってから、結局、口にする。
「ただ、何て言うのかな、馴染めるかどうかじゃなくて、馴染んで良いのかどうか二の足を踏むところはある、かな」
「ええ、と」
眉をひそめるスピカに、一輝は言葉を付け足した。
「いきなり飛ばされてきて、皆とは経緯も目的意識も違う。何かのラッキーで元の世界に戻れれば、って考えてもいるわけで……そういう俺が、どこまでいていいのか、とか、そういうことかな」
「そんな、別に、一輝さんは」
何かを言いかけて、しかし少しばかり、スピカは口ごもる。
「宙ぶらりんな感じなんだ、色々とさ」
恥ずかしさを紛らわすようにそう呟いて、一輝は嘆息した。
と、同時に、何かに気づく。夜闇に慣れていた瞳の端に違和感を覚えて、素早く視線を動かす。
「ごめん、スピカ、あんまり話すべきことじゃなかった」
「そんなことは」
「タイミングも悪かった」
「え?」
言って、一輝はスピカを意識した。スピカのチートを意識し、手繰り寄せていた。
視界に映る景色、目にして意識している光景を、混沌とした光の渦を、瞬時に情報として解析し整理する。
意識が十倍くらいに膨れ上がりながら小さな幾つもの群と化すような感覚に身を任せ、次瞬にはそれをはっきりと捉えている。暗く、ぼやけた影しか視覚では捉えきれないが、スピカのチートがその像を情報的に解析し処理することで正体が確率的に予測される。
チートが無ければ、全く把握できなかったであろう、なにか小さなものが、認識の限界を遥かに超えた速度で影から放たれていた。
腹に響く轟音が響き渡る。油断していれば理性すら吹き飛ばしそうな恐ろしい振動と光が瞬き、何もかもが一瞬ぐちゃぐちゃに掻き乱される。
その一瞬前に、一輝はスピカのチートを手放していた。かわりに、すぐ傍の部屋にいるフェーリスからチートを引き出し、思い切り全力で行使していた。
木造りの宿全体が大きく震え、そして吹き飛ぶ。比喩でもなんでもなく、屋根がはがれながら崩壊し、柱が土台から引き剥がされ粉々に分解されていく。
驚異的なエネルギーが吹き荒れ、土と木片が舞い散る。そんな中で、一輝や他のクラスメンバーが借りていた三部屋だけが原型を完全に保ったまま、崩壊した宿の瓦礫の中に落ちる。
着地の衝撃で空中に放り出された一輝とスピカを、何かが掴んで引き寄せた。尋常ではない俊敏さで部屋から飛び出したフェーリスが、左右の手で一輝とスピカを引っ張り上げ、そのまま跳躍していた。信じがたい身体能力だったが、そのおかげで一輝は失神することなく近くの地面に降ろされる。
「他の人は……」
急激な移動に眩暈を覚えつつ一輝が呻くと、フェーリスがすぐに答えた。
「大丈夫。マリーチャが守ってる」
振り向くと、そのマリーチャがドロレスとアリーシャを伴って宿から脱出してきていた。よく見れば、マリーチャの周囲の景色がやや歪んで見える。
(空間――重力操作、かな)
一瞬でそう当たりをつけて、一輝は頭を振りながら立ち上がる。
「何があったの? ちょっと私、死んだかと思ったんだけど」
言葉の内容の割にけろりとしているフェーリス――それに他のメンバーに向けて、一輝は答えた。
「チートによる攻撃です。恐らく、何か、とんでもない速さで石ころか何かを投射された、んだとおもいます」
「石ころ?」
思い切り顔を歪めて、ドロレスが首をかしげる。
「どうして、私たちの部屋だけ」
マリーチャが振り向き、そしてすぐにはっとする。
「一輝さん、あなた、フェーリスさんのぉ」
一輝は顎を引いて小さく頷いた。攻撃された瞬間、一輝は宿の一部を丸ごとフェーリスのチートで「希薄化」していた。この世から存在そのものを薄め、物理的影響力を極端に受けづらい状況を作ったのだ。
一瞬のことではあったが、それによって何とか皆が宿と共に破壊される危険は防げた。だが、脅威が消えたわけではない。
「恐らく、チート能力者です」
呟いた瞬間、くぐもった咳のような音と共に、集落の一角から強烈な光が立ち昇った。毒々しい色の炎が、夜に沈んだはずの家々の姿をこの時間にあるまじき明るさで照らし出している。
光の中に、蠢く影がいくつか見えていた。素早く駆け、跳ぶ人の姿。
「チートサークル……」
スピカが目を見開き、低く呟いていた。




