33 逃げ馬
「俺も、ですか?」
「クラスの一員ですからぁ。と、いうのもあるんですが」
冗談めかしてマリーチャは言うと、人差し指をぴしっと立てて続きを説明する。
「まあ、校外の調査なんていうのはアルドとしての任務の中ではよくあるものですからぁ、慣らしにってところですねぇ。この先どういう進路を歩むにしろ、アルドである間はミトラから色々と頼まれるわけですから」
アルド――アルドワヒシュトと呼ばれる、チート転移者=学生たち。ミトラ学園で衣食住を保障され、アルドとしてだけではなく一般教養を含めた教育を受けることが出来、更にはある程度の自由な資金すら与えられるアルドたちは、その対価としてミトラからの任務を受けることとなる。マリーチャが言っているのはそれの事に他ならなかった。
「一輝さんはぁ、まだ街の外とかよく知りませんし、良い機会だと思いますよぅ」
「そう言われれば、まあ、そうかもしれません」
納得しつつも、つい先日の襲撃の件があっただけにどことなく言葉尻を濁しながら一輝は頷いた。
「それから、皆さんお気づきかもですけどぉ、今回の主役はスピカさんになります」
視線を、几帳面に背筋を伸ばしてソファに腰掛けたスピカに皆が送る。
「ま、チート能力的に適任、かな」
フェーリスが呟く。
「その通りですー。うちのクラスが調査にまわされたのも、スピカさんの存在が大きいでしょうねぇ」
「私、で、大丈夫なんでしょうか。未知の現象なんでしょう?」
スピカが首をかしげて問う。
「大丈夫ですよう。未知だからこそ適した観測方法なんてまだ分からないわけですし、行ってみて駄目だったとしてもそれは私たちの責任にはなりませんよぉ」
わかるようなわからないような話ではあった。と、スピカとは別の方から、声が上がる。
「……まだ一輝さん、アルドの仕事に関してなんて基礎教程だって教わってないんじゃないでしょうか。いささか急すぎる気がしますけれど」
そう疑問の声を発したのは、アリーシャだった。青空の下の深い海のような色をした瞳を一輝に向け、心配そうに眉をひそめている。
「人手が足りないってことは、あると思いますぅ。ミトラは今基本的には守りを固めたい時期ですし、各地の諜報員や調査要員もすでに一杯一杯活動しているって話ですし」
「そうですか……なんだか、大変な時期に来てしまったものですね」
後半部分は一輝に向かって気遣わしげに囁き、アリーシャは細く息を吐いた。
「まあまあ、ちゃんと資金は出ますし、私も付き添うわけですからぁ。いっそのこと、小旅行くらいに考えて行きましょうよぉ」
「先生がそんなことでいいのん?」
「ちっともよくないけどいいんですよぅ。でも私も最近ミトラ本部でばかりお仕事してて鬱屈しちゃってるんです」
ドロレスにそう言葉を返す。きわっきわのボンテージに身を包んでそんな言葉を口にしていると、なんだか変に危険ではあった。
「そういうわけで、マリーチャ・クラスは件のわけのわからない歪みとやらを、頑張って調べにいきますー。皆さん、詳しい日程等は明日にでも伝えますのでぇ、風とかに気をつけてゆっくり休んで置いてくださいねぇ」
やや強引にそう締めくくって、マリーチャは寮を後にした。このミーティング自体は夜に行われたものだが、どうやらミトラに戻って仕事を続けるらしかった。
(外、か)
マリーチャが去った後もしばらくソファに腰掛けたまま、一輝は考えていた。
街の外。街ですらスピカと出た一回きりしか見ていない。
日本でも地球でも無い世界。その景色を広く眺めてみるというのは、楽しみでないといえば嘘にはなる。
これが本当に単なる学生生活だったらよかったかもな、と一瞬だけ一輝は隣に座って未だ難しい顔をしたままのスピカをちらと見て、そう考えた。
*
ミトラ本部と大召喚機、ミトラ学園を抱えるサンガム国の首都・アシュラマは、それなり以上に広大な都市だった。さすがに地球の大都市とは比べるべくもないが、それでも都市圏人口で言えば数十万人単位ではありそうな広さと活気を誇っている。
クラス寮でのミーティングから三日後、一輝たちは夜も開けきらないうちから一同揃って学園を出立していた。足となっているのはマリーチャが用意した馬車らしきものだった。車体は木材を中心にガラスや金属が使われており、さほど旧態依然とした感はない、しっかりとしたつくりになっていた。
馬はたった一頭で、しかも正確には馬ではなかった。姿かたちはほぼ馬だが、毛色と模様は複雑で、迷彩服を出鱈目なカラーで塗装したような多色である。
「これは逃げ馬といってぇ、あらゆるものから逃げることが大好きなこの世界原産の動物です。現実とか親とか就職活動とか借金とか、あらゆるものから逃げる動物でぇ、後ろに乗って時々『働けよー』とか『孫の顔みたいなー』とか呟いてあげるだけで凄く一生懸命逃げるように走ってくれるんですよぅ」
とマリーチャは説明したが、どこまで本当かは一輝には計り知れないところだった。馬が人語を解するかどうかといったところからして無茶苦茶である。ただ、他のクラスメイトは誰一人ツッコんだりしなかった。
よく走るとマリーチャが言っただけあって、逃げ馬はたった一頭で一輝たち六人を乗せて軽快にとことこと移動をし続けた。体力も筋力も地球の馬とは異なるらしい。意外に便利な動物かもしれなかった。
ちなみにドロレスは自らが生み出した超文明的移動手段として『ペダルを踏む力で発電した電力でペダルを踏む力をアシストしてくれる電動アシスト自転車』なる完全無欠に無意味なものを今回の任務における乗り物として提案したが、即却下されていた。
石畳やアスファルト(っぽいなにか)できちんと舗装された都市をいくらか移動し続けると、次第に建物の密度と背の高さが減っていき、その内「街の外」と呼べそうな景色ばかりが続くようになった。特段市壁のような外壁が街にあるわけではないらしかった。
(わりと現代的なような、そのくせどこかファンタジーっぽいというような、ヘンなところだな)
などと一輝が考えている間にも、逃げ馬馬車は進んでいき(御者台には皆が交代で座り、適当に逃げ馬を追い詰めるワードを、将来考えろよーとかお前の学部潰しきかないぞーとかまだ住民票取ってないの? とか口にしていた)、一日目が昼過ぎを迎える頃にはアシュラマは遠く背後に消えていた。
街の外は、異世界といってもさほど特異な景色が広がっているわけではなかった。温暖な気候らしくそこそこに緑が豊富で、名前はわからないものの様々な木々を生やした山々が遠くに連なり、ところどころを小川が流れ――つまりは地球とさほど変わらない。
ただ、平地が広く存在する地域であるらしく、見渡す限りの草地など日本では一部の地域でしか見れないような風景があちこちに広がっており、そんなところはすこしばかり外国風だった。
「見ろ、あれが~悪辣怪獣・キャリアンショプー、これもぉ~つけとくといってぇ~、普通の価格の三倍くらいの値段で、えすでいかーどとか売るよ~」
調子っ外れな上に意味不明な歌を現在御者担当のドロレスが口ずさんでいる。出鱈目な歌声に、小さな四角窓からぼーっと外を眺めていた一輝は意識を現実に引き戻されて、ついでに視線も車内に戻す。
車内にはドロレスを除いた五人がいるが、さほど狭くは無い。ただ、皆が横になれるようなスペースはさすがにない。座席は向かい合うように二列設えられていた。一輝の右隣に座っていたフェーリスは朝日が昇りきった頃には既に眠りこけており、今はぐんにゃりと体中の骨をなくしたかのような柔軟さでもって一輝にしなだれかかって眠っている。
それを時折引き剥がしてきちんと座らせながらも、正面に座るスピカもまた眠そうではあった。偶にくああ、と欠伸をしかけては、一輝がいることを意識してやや恥ずかしそうに口元を押さえている。
「平和だなぁ。なんか」
思わず、一輝はそう口に出していた。




