29 その背に、背後に、あるいは内か足元か……
瞳の焦点が定まるより先に一輝が感じたのは、冷たく細い何かだった。首に近い胸の辺りにそれを感じて腕を伸ばすと、指先に触れたのは指先だった。一輝自身のものより細く繊細な、白い指。
スピカの指だった。
「一輝さん」
再度名を呼ばれて、ようやく視界が霞のかかった状態から復帰する。
「スピカ……」
そこに、目の前に彼女がいるという事実に安堵し、喜ばしさを感じ――そして同時に、一抹の寂しさを一輝は覚えた。何処にも、ちらつく雪は見えず、見慣れた町並みも見えず、よく知った、古い仲の少女の姿も存在してはいない。
「お体、大丈夫ですか?」
聞くものを落ち着かせる静かで、どこか秘めやかな声で、スピカは問いかけた。
一輝の背に手を回し、そっと支えている。
「ああ――大丈夫」
答えて、ゆっくりと身を起こして一輝は辺りを見回した。周囲には意識を失う前に見ていた街の風景が広がり、遠巻きに野次馬が集まっている。空の色は変わっておらず、時間はさして経っていないようだった。
自らの横たわっていた場所のすぐ近くに、異様な光景が広がっていた。
爆発の威力で砕かれはがれた石材が散乱し、所々焦げている。だがそんな変化など気にすることも出来ないような極端な変化が、ちょうど爆心地あたりに起こっていた。
なにか、途方もなく巨大な爪でごっそりと抉ったかの様に、地面の一部が消え去っていた。石材とその下の土、地中に埋め込まれた水道管や古い地下水路のようなものが綺麗にその断面図を見せている。
「あれは」
思わず呻く。
「未知の……チート、だと思います」
スピカが、低く呟いた。掠れた声で、一輝は「俺が?」と漏らしていた。
「はい――一輝さんが、あの爆発に向かって何か叫んで――手を伸ばして。そしたら」
そしたら、消えたんです。
それこそ消え入りそうな囁きで、スピカは言った。
「そっか――そうか」
あの一瞬。油断から死地に踏み込んでまんまとやられた一瞬。咄嗟に挑戦してみた無謀な賭けに、勝ったというわけだった。
安堵に胸を撫で下ろす。と、一輝の胸に添えられていたスピカの指が小さく動き、少しだけ強く、一輝のシャツを掴んだ。
「元々、一輝さんのチートは前例のないものですけれど」
視線を下方に落とし、安心する一輝とは対照的に、彼女は何か深い不安のようなものを言葉の端々に匂わせていた。
「でも、今回のは、今までに輪をかけて、凄まじいものでした――何もかも、爆発の熱も衝撃も、音すら――地面と一緒に、消し飛ばしたんです」
「ああ――うん、そうなるみたい、だね」
横目で破壊の跡――スピカ曰く「消し飛ばした」跡を見やって、曖昧に頷く。
と、空気の温度が、変わった。
スピカが、一輝に手を触れたまま、その胸にほとんど触れそうになるくらい顔を寄せていた。間近から体温の欠片が空気を伝わって一輝に僅かな熱を伝えた。
「あんなのは」
何かが。どこかで何かが、張り詰めている。そういった声の震わせ方だった。
「あんなのは、もう、やらないでください――あんな、無茶は」
幼い子供が、自分を捨ててどこかに立ち去ろうとする親に必至に向けるような、冷たさと緊張が混ざり合った気配がそこにあった。色濃く、とごっていた。
「やらないで、って」
「今回は、それは、仕方なかったですし、私だって助けて頂いて――感謝してます」
申し訳なさそうに、肩を落として、しかしスピカの言葉は止まらなかった。
「それでも、もう、無茶は――事前に確かめられてもいない、訓練されてもいないチートは」
その先は吐息に紛れて消えていった。
「今までも、実を言えば、心配ではあったんです。でも、精神探査だってしましたし、何度か使ってあまり危険はありませんでしたし、だから、大丈夫かなって思って――だけど」
だけど。でも。詰まり、いい淀み、そこから、そして底から、翻って口にされる言葉の契機。
「今みたいな、問答無用でとてつもない力は、危険です」
言い切られる。
しばし迷ってから、一輝はそろそろと腕を上げて、スピカの肩に軽く手の平を置いた。
あまりに悄然としたスピカの姿は、ただ心配だったのだ、だけで済ませるには無理があった。
「……何か」
あったの? と訊きかけ、しかしその問いかけの無粋さに、一輝はすんでのところで言葉の先を飲み込んで消した。
そんな努力は、しかしスピカの次の言葉で、霧散する。
「昔――いたんです」
顔を僅かに上げて、眼は伏せたままで、スピカは囁いた。
「とても強い、他にない珍しいチートを持った、友達が。私とほとんど同時期に学園に入って――幼い頃から、強くチートを発現した子でした」
古く、しかしちっとも褪せていってはくれない記憶を探りながら語っているらしいスピカに、一輝はいつの間にやら見入っていた。
「チートは強力な力です。けれど同時に、千差万別で、自分自身にすらその詳細や正体が十全分かった状態で授かるものでもありません」
それは、一輝も知っていた。一輝の力――他者のチートの解析・理解が突出して価値を持っている理由の一つでもあるのだ。
「その子は、チートを操り、巨大な異能を操り――その末に、制御に破綻をきたしました」
「チート能力を……暴発させた?」
訊くが、スピカは首を横に振った。
「いいえ。暴走させたんです。彼の力は――ちょうど、さっきみたいな」
爆発の跡を目線で指して、スピカは細く息を吐いた。
「さっきみたいなものを、何十倍も何百倍も強力にしたような、そんなものでした。常軌を逸したエネルギーの現出です。彼はそんな力を使い、その手から落とし、飲み込まれました」
「被害は――」
「生徒と教師合わせて二十名近く」
すとん、と当たり前に木の実が地面へ落ちるかのように、その言葉は一輝に落とされた。
「学園の一部が焦土と化しました。今はもうその破壊の跡は消されていますが、多分、当時在籍していた生徒も教員も、誰も忘れてはいません」
超常の異能。その結果の一つ。
予想されてしかるべきだったのかもしれない――どこか心の片隅で、一輝は冷静にそう考えていた。
得体の知れない力。勝手知ったる、と普段思っている力ですら、人は度々その扱いを誤り、多大な犠牲でもってその代償を払うこととなる。
「……分かった」
相手の手に自身の手を重ねるように、丁寧に、一輝はそう答えた。
「おかしな無茶はしない。今回も、俺が馬鹿すぎたんだ」
そう告げて、できる限り優しく笑う。
「一輝さん――ありがとう……ごめんなさい」
相反する二つの言葉を返して、スピカはふっと緊張を解いた。
力の抜けたスピカの身体を支えながら、一輝は何と無しに、自分の手の平を見た。
何があるわけでもない。ただの、少年の手の平。
(俺は)
もう少し早く、もう少し真摯に、向き合うべきだったのかもしれない。
(俺は、今、何者なんだ)
何者で――その背に、誰がいるんだ?
問いかけは、胸のうちで発せられ、胸のうちで萎んでそのまま消えていった。




