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   20 マアト・エレボス


「地獄車最終戦争煮込み麺、正体不明月面の黒い直方体風味丼、親権争いの果てに見えるものランチセット、日替わり酒と女と悪徳保安官定食……」


 昼休み時間で混雑する学生食堂らしき場所で、一輝は壁に掲げられたメニューリストを見上げて立ち尽くしていた。口に出して読み上げてみても何がどうなるわけでもない。ただ、字の連なりが頭の中を駆け抜けていくだけだ。

 学園には各種食料品や出来合いの料理を販売する商店から屋台まで、教育機関としては非常に多様な施設が敷地の中に誘致されており、学生は皆適当な店で昼食を済ましているらしい――ということを事前にスピカに聞いていた一輝は、はじめてのミトラ学園での授業――簡単な常識レベルの歴史や地理などの授業だ――をいくつか受け、昼になって他の学生と同じように適当な学食らしき場所へともぐりこんだ。

 最低限の生活費は既に支給が開始されており、支払いは問題がないはずだった。実際メニュー表に並んだ数字(なぜだかアラビア数字にしか見えない)も問題のない安さではある。

 が、その数字の横に並ぶメニュー名は非常に抽象的というべきか、意味の取れないものばかりだった。


「エンドレス撲殺カレー。カレーで何を殴ることになるんだ」


 一人ひっそり呟き、嘆息する。


(異世界ならこれが普通なんだろうか。マリーチャ先生の格好もそうだけど、異世界っていえばなんでもいいわけじゃないだろ。何か違うだろ)


 誰に対してか分からない文句を、胸中で吐く。

 昼休みは何時間もあるわけではない。意を決し、適当なものでも頼もうかとその場を移動しかけ、一輝はふとその動きを止めた。

 一輝のすぐ隣に経っていた女子生徒が、いつの間にやら彼のほうを向き、じっと見つめていたのだ。ただ見ているだけではない、並々ならぬ、強い光を湛えた瞳で、念じれば相手を呑み込めると信じていそうな熱心さで見据えている。

 オレンジ色の髪を綺麗に首元で揃えている、大人しい印象の少女だった。ミトラ学園の制服を、さほど崩すことなくきっちり着込んでいる。


「……ええと、なにか?」


 言いつつ、一輝はその場を一歩横にどいた。邪魔になっているのかも、と考えてのことだったが、どうやら関係なかったらしく、女子生徒はしばらくそのまま一輝に視線を合わせたままだった。

 が、そのまま二、三秒ほど経って、ようやく目を逸らした。


「ご、ごめんなさい、つい……」


 なにがどう、つい、なのかは分からなかったが、一輝はとりあえず「ああ、そう」と軽く頷いて見せた。

 そのまま立ち去ろうとして――しかし彼女が発した次の言葉に、一輝は足を止めた。


「あの、もしかして、藤沢一輝さん、ですか?」


 フルネームで言われて、思わず一瞬黙った後で一輝は頷いた。


「そうです、けど、そちらは?」

「あ、すみません、私は、マアトです。マアト、エレボス」


 名乗って、彼女は小さく一礼した。


「あの、もしかしてお困りじゃなかったですか?」

 先ほどまでの熱心な強い視線はどこかに消えて、かすかにスピカに似たような丁寧さだけが残っていた。


「ああ――いや、このメニューなんだけど。これ、全然わかんなくてさ。どういうものがでてくるのかとか……写真もないし」


 そこまで話してから、付け加える。


「俺、まだここに来て――っていうのはつまり、別の世界からってことなんだけれど、あんまり経ってなくて。こういうメニューが普通なのかどうかも分からなくて」


 説明しながら、これ地球だったら一発で危ない人認定だな、と自嘲気味に想像する。

 勿論個々は地球ではなく、隣の彼女――マアトも、「ああ」とすぐに納得した顔になるだけだった。


「そういうことでしたか。ここ、分かりづらいですもんね確かに。安くておいしいんですけど、メニュー名は……なんか趣味らしくて。他のところはもっと普通なんですよ」

「あ、じゃあ最初に来るべきじゃないとこに来ちゃっただけか……ありがとうございます、どこか別のとこを探すことに――」


 言いながら出口へと向かおうとして、しかし言葉が終わらないうちに袖先をマアトに軽くつままれる。


「あの! よければ適当なもの、頼みましょうか? 私ここよく使いますし」


 唐突な申し出に、足を止めて、一輝はもう一度メニュー表を振り返った。まだ相場は分からないものの、確かに先のマアトの言葉通り、安い、ような気がする。


「あー……と、じゃあ、お願いします」


 なんとなく勢いに押される感じで頼むと、マアトは「任せてください」と小さく胸を張ってみせた。


「好き嫌いとか、食べたいものとか、あります?」


 訊かれて、適当に答える。

 注文から支払い、食事の受け渡しまではスムーズだった。地球の店と遜色ない。

 食堂内はそれこそそのままどこかの大学の学食のようであり、大き目のガラス窓が多く取り付けられ外の光をしっかり取り込んだ広間に、木製の椅子やテーブルが多数並んでいる。


「良かったら、一緒に食べませんか?」


 一輝に食事の乗ったトレイを渡して、マアトがそう提案する。

 いきなりといえばいきなりな誘いだったが、特に強く断る理由も見当たらず、承諾した。

 適当なテーブルに二人で向かい合うようについて、一輝は開口一番、尋ねてみることにした。


「ごめん、こっちの何かの勘違いだったら申し訳ないんだけど、マリーチャ・クラスの知り合いとか関係者とか、そういう感じの人かな」


 スピカやフェーリスの知り合いかもしれないと考えての質問だった。が、マアトは首を振って否定してみせた。


「いえ、違うんです……そりゃ、そうですよね、いきなり声かけて、ちょっと唐突ですよね」


 笑って、彼女は、目の前のパスタにフォークをそっと差し入れながら明かした。


「一輝さん、有名なんですよ、結構学内で」

「有名?」

「ええ。正規の召喚ではなく、この世界に転移したアルドだって。それだけでも珍しいですけど、学園に編入してすぐにマリーチャ・クラスに入れられるってこともあって」

「あのクラス、やっぱり結構有名なのか……」


 マリーチャからもそうは聞かされていたが、しかし実際こうして他クラスの生徒から話されると、実感が沸く。


「有名ですよ。それぞれが実用的で強いチートを持っていて、その上その扱いにも長けていて――一般の授業も好成績だと聞きます。どちらかといえば実任務系のクラスだとされてますけど、そういうクラスの中では最優秀だって評する人もいます」

「そんなに?」

「そんなに、だから、一輝さんの編入も話題になってるんですよ。どんなチートを持ってるのかとか、あとは、今度はどんな問題児が来たのか、とか……」

「あーそれはすごい分かる気がする」


 脳裏にマヨネーズ塗れの少女を思い浮かべて半目で一輝は同意した。


「それで、知ってたんですよ、皆と同じように、一輝さんのこと」

「だから、声をかけた?」

「いえ、それだけじゃないんです。実は私も、学園に来てまだ日が浅くって……」


 異世界から転移して、一年も経たないくらいなんです、と彼女は控えめな声音で語った。


「だから、何か困ってるなって気づいて、その、おせっかいをしようと考えたというか」

「ああ……いや、とんでもない、助かった、ほんとに」


 一輝は目の前で湯気を立てる親子丼らしきものを見やって、本心から礼を述べる。


「正直右も左もまだ分からないって状態でさ。まともなものにありつけてよかったよ。……やっぱりもうちょっと誰かにナビゲートしてもらっても良かったかな」


 後半はスピカを思い浮かべながら、半ば独り言のように口に出した。


「……一輝さんは、落ち着いてますね」

「うん?」

「だって、まだこの世界に来て一月も経っていないんですよね? 私のときはもっとおろおろしてたから」

「そういうことか。それはほら、皆よくしてくれたから、かな」


 勿論、マアトさんもさ、と付け加えて、一輝は食事に手をつけた。見た目通り味も食感も慣れ親しんだ丼ものそのものだった。米の味に、密かに密度の高い幸福感を覚える。

 食事を続けながら、いくらか他愛のない会話を交わし、やがて両者共に食べ終えた頃、マアトがいくらか神妙に、問いかけた。


「一輝さん、あの聞いてもいいです? 一輝さんって、どうやってこの世界に来たんですか? 召喚機に呼ばれたんじゃないんですよね?」

「その呼ばれるっていうのがどういう感じなのかは知らないけれど――」


 答えながら、考える。転移の際に味わった奇妙な場所での、奇妙な声。その正体は未だ全く不明のままだった。


「知らないけれど、違うらしいね。召喚自体やってなかったらしいし……」


 簡潔に、自分が転移した際の状況を話して聞かせる。話せば話すほどに、マアトは目を丸く見開いて、驚きの色を濃くしていった。


「そんなのはじめて聞きました……」


 と、聞き終えた彼女は漏らす。


「皆は、違うんだよね」

「ええ、違いますね。普通は召喚機を通じてこの世界のミトラから呼びかけられ、その意志を確認されて、召喚されます。確かに声のようなものは聞きますけど、一輝さんの話していたようなのとは全く異なります」

「そっか。なんなんだろうなー」


 呑気に呟く。この一週間、既にそうしたことに関しては、一輝自身散々考えていた。が、そもそも分かっていることが少なすぎる。マリーチャたちミトラの人間も、皆マアトと同じように、一輝の転移の不可思議さには首を傾げるばかりだった。


「帰りたいと、思います?」


 ぽつりと。

 乾いた紙に雨滴を一滴垂らすように、マアトが訊く。


「……どうかな」


 正直なところを、そんな曖昧な言葉に押し込めて、一輝は答えた。


「帰るべきだとは思う。けど、元の世界でも色々あってさ――なんていうか色々、行き詰っていて」

「そう、ですか」


 マアトは、なにか思うところでもあるのか、顔を下げて、しばしそのまま考え込むような顔をしていた。

 が、すぐに顔を上げ、微笑んだ。


「きっと――大丈夫だと思いますよ。ここの生活も、元の世界のあれこれも」


 小声で、そんなことを言う。一輝がそれに対し何か言うより前に、彼女は再度口を開いた。


「ありがとうございます、一輝さん。話せてよかったです」

「? ああ、そう?」

「はい。また何かあったら、言ってください。力になりますから。お互い異世界生活の日が浅い人間同士、協力しましょうよ」


 言って、マアトは食べ終えた後の食器をトレイごと持って、立ち上がった。それに倣って、一輝も立ち上がる。


「また、お話しましょうね、一輝さん」


 食器を返却し、そのまま出口に向かうと、マアトはそんな言葉を残して、去っていった。


(なんなんだろうな……)


 一輝が、所属するクラスとセットでよく知られている存在で、しかも困っていたから声をかけた。


(分かるようで、分からない理由のような)


 考えながらも、一輝もまた食堂から外へと歩み出た。午後の授業のために。

 色々とおかしな話のような気がしつつも、そもそもこの世界に来てからはそんな話ばかりかも知れない、とぼんやり考え、溜息をつく。

 午後を迎えて、春先らしい光を放つ太陽がほんの少しだけ傾き、学園の敷地を照らしていた。


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