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   1 転移した場所 

 目を開けてすぐに映りこんだのは、一輝自身の顔だった。見慣れたそれが、彼の眼前すれすれにあった。

 特にどうと言うことはない、男子高校生の顔だ。黒い髪にも濃いブラウンの瞳にも、異常はない。着ているものも、高校指定のブレザーにスラックスだ。

 よく見れば、それら一輝自身の姿は、ゆらゆらと歪んで、揺れていた。そこまで観察してからようやく気づく。


「水……?」


 どうやら、薄く水の張った地面に膝をついてかがみこむような姿勢でいたらしい。

 立ち上がる。どうやら水の下の地面は磨かれた石材のようなものらしく、足元は安定していた。

 声も身体も存在する。奇妙な声も聞こえない。

 見回すと、高い天井と、その中心から差し込む光が見えた。立っている場所の周囲には階段状の段差が設けられている。十メートルほど離れた位置に見える壁は円状になっており、一樹が立つ場所はその中心だった。周りよりも高くなっており、なにかの祭壇か説教壇のようではある。


「教会?」


 思わず呟く。壁や天井は複雑なアーチ構造や彫刻と思しき装飾がなされており、吊り下がったランプのようなものの淡い光に照らされて荘厳な雰囲気を醸し出している。

 ただ、教会というには、奇妙な点も見受けられた。床は薄い水が覆っており、長椅子もなにもあたりには置いていない。まずもって尋常な教会らしくはなかった。

 それなり以上に広くはあったが、人影は見当たらない。と、一輝は正面の壁に他と異なる部分を見つけて目を留めた。


「扉、か」


 たった一つ、出入り口だろうか、扉が見えた。両開きの大きな扉で、これもまた他と同じく何かの模様や植物らしき意匠が彫りこまれている。

 その扉が、突如勢いよく開いた。

 蹴破られるように荒々しく開き、その向こうから人影が一つ、転がり込んでくる。

 更にその後を追うように、複数の足音と、甲高い女性の声が響いてくる。


「待て、止まれ、この追い詰められアンポンタン――」


 一輝がとっさに反応できず呆然としていると、その間に人影は一輝のいる壇上へと駆け寄ってくる。よく見ればその人影は、少年のようだった。ちょうど一樹と同じくらいの年頃かどうかといったところで、奇妙に明るい緑色の髪と、同色の瞳を持っている。


「……外国人?」


 立て続けのわけの分からなさに半ば降参しつつそう呟くと、少年が声に気づき一輝を見上げた。


「くそ、お前、誰だ!」

「いや誰だといわれても……あ、日本語通じるのか」

「先回りされたのか? くそ、あんたもミトラの警備か!」

「ああもう……分かるように言ってくんないとぐれるぞ終いには」


 顔に手を当ててうんざり呻く。

 と、突然強風が吹き荒れ、一輝の顔を叩いた。


「今度は何だよ――」


 一瞬目を細め、それから見ると、ついさっきまでそこになかったものが魔法のように現われていた。


「そこまでですよ!」


 声と共に現われたのは、二人の少女だった。片方は長身痩躯で、やや吊り目気味の瞳が印象的な少女で、もう片方はそれよりやや背の低い、どこか幼さと可愛らしさを成熟しきっていない身体の端々に残しているような少女だった。

 二人は一樹の目の前、一輝と少年の中間地点に現われていた。突風の名残が二人の衣服をはためかせている。二人とも、何かの制服のような、衣服を身に纏っていた。どこか形式的な感のある上着と、スカートが見える。その双方共に、まずもって日本の学校ではありえないだろうデザインではあった。


(コスプレみたいな)


 ひっそりとそう考える。

 そんな一輝を背に、背の低いほうの少女は高いほうに両手で抱えられたまま、抱きつくような姿勢で声を上げていた。


「ここはミトラの最重要施設の一つです。学生であっても許可無く立ち入れば厳罰は免れません! 大人しくここで私たちに捕縛されれば学園はあなたに必要以上の罰則が下されることを防ぐでしょう。足を止め、言葉に従いなさい!」


 凛とした透明かつ繊細な声で高らかに宣言する。どうやら言葉は、先にこの場に入ってきた少年に向けたもののようだった。


「スピカ、どうでもいいけど降りてから言ったほうがかっこよくない?」

「あ、ごめん」


 背の高いほうに突っ込まれて、スピカと呼ばれた少女が地面に降り立つ。綺麗にまとめられたショートボブの黒髪が、天井の明かりに照らされてかすかに茶に透けながら揺れる。

 かすかな水音を立てて足元を確かめ、彼女は少し考えるような顔をしてから、やたらかっこよさげなポーズをとって少年に指を突きつけてみせた。


「ここはミトラの最重要施設の一つで――」

「やりなおさなくていいから」


 横から小突かれてよろめく。


「えー。でもー」

「ほら、くるよ?」


 なんでもないような口調でそう言って吊り目の少女が指した先には、二人の登場で足を止めた少年が立っている。いつの間にか少年は腕を上げ、スピカと呼ばれた少女に向けており、その指先にはちりちりと光が明滅していた。

 よく見れば光は、極小サイズの雷のようなものらしかった。少年の指先の間を雷光が踊り、次第にその光の強さもサイズも増していき――ついには、手の中から漏れ出るように少女たちへと向かっていく。


「ってちょっと!」


 慌てて、一輝は足を踏み出し二人の少女を押しのけて間に割っていった。少年は覚悟と悲壮に満ちた形相で何かを叫ぼうとしていた。


(どう考えたって危なげじゃないかよ!)


 二人の少女は押しのけられて初めて一輝に気づいたようだった。


「え、わ、ちょっと!」


 戸惑う声も、気にしてはいられない。


「どけぇ!」


 少年の声が空気を揺らし、壁に反響する。それと同時に、雷光ははっきりと加速し、一気に撃ち出されるように伸びていく。

 じっくり見る時間も、避ける余裕もない。

 目の前には人体を全く問題とせず焼き焦がしそうな光の群、背後にはそれに打たれるはずだった二人の少女。


(全く、わけ分からないままに)


 やられるわけか。

 自嘲気味にそのことを認め――しかし、一輝は同時に、奇怪な感覚を覚えていた。

 目の前に存在するわけの分からない力。わけの分からない雷ビーム。

 だが――


(違う……分かる。いや、そうじゃない、これは)


 どうにでもできる


 得体の知れない確信が心の中心に吹き上がり、凄絶な熱を撒き散らす。

 反射的に、一輝は念じていた。


「捻じ曲がれ馬鹿野郎!」


 無茶苦茶な声を上げながら、雷光をはねのけるように腕を振るう。

 その振りにあわせて――なのかどうなのか、それこそ弾丸のような勢いで迫っていた光は突然その向きを変え、上方へと吹き飛んでいった。天井にぶつかり、ばりばりと音と光を撒き散らしてすぐに消える。


「……え?」


 驚愕に顔を染めて、腕を上げたままの少年が声を漏らす。


「今だとりゃー!」


 そこに猛然と、背後の少女のうち片方、吊り目の背の高いほうが飛び掛っていく。しなやかな四肢を振り回し、素早く――ちょっと尋常ではない速さで少年に飛び掛り、あっさりと地面に引き倒して拘束してしまう。

 その様子をわけもわからず見つめていると、背後からそっと声がかかる。


「大丈夫ですか?」


 スピカというらしい少女が、見上げるようにして一輝の顔を覗きこんでいた。


「えーと……まあ大丈夫だとは、思う」

「怪我はしてないですか?」

「してない。そういう意味では大丈夫」

「そうですか」


 ほっとしたように、彼女は自分の胸に手を当てて、小さな肩を縮めて短く息を吐いた。 


「よかったです。あの、さっきのは、よく分からないんですが……私たちを助けようとしてくれたんです、よね?」

「うん、まあそのつもりだったんだけど」


 と、そこで言葉を区切って一輝は押さえ込まれた少年を見てから、


「あんまり必要なかったかな……」


 とぼやいた。だが少女はそれを無視して、丁寧に頭を下げた。


「いいえ、有難うございます」


 ゆっくりと顔を上げ、それから微笑む。やや大きめの、綺麗な形の瞳に一輝の姿が映りこんでいた。きちんと手入れされているらしい、若い肌は白くなめらかで、微笑む唇は健康そうな桜色だった。

 その唇が、再度、開かれる。


「それで、あなたは一体? ここは、誰もいないはずの場所なんですけど……今日は、召喚の儀もないはずですし。それに、その格好、どこかの制服でしょうか……? 見たことない感じですけど」

「うぅん、なんて言うのか」


 困惑するスピカに同じように困惑しながら、一輝は彼女の先ほどの言葉を思い出していた。ここは最重要施設。許可無く立ち入れば厳罰を免れない。


「全く何もかもよく分からないんで、多分情状酌量の余地がばっちりあるかと」

 力なく笑いながら吐露する一輝に、少女はますます困惑し、小首を傾げて見せた。


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