9 日差しのような笑み
「フェーリスは、いつも大体あんな感じなんですよ。私より三つ上のお姉さんですけど、なんだかいつも窘めるのは私のほうっていうか」
歩き始めて、長閑そのものな日差しの中スピカは最初にそんなことを口にした。
向かう先である寮は、ミトラ学園の敷地の中にあるらしかった。
大召喚機――数キロ先からでもはっきりと見えるであろう長大な塔だ――を中心として、高台の上には多くの建物が並んでいたが、それらは学園施設ではなく、ミトラの施設であると、スピカは軽く一輝に説明していた。
研究施設に、卒業後のアルドを束ね仕事を与え管理するための施設、政府との法整備に関するすり合わせ要員に、チート転生者たちへの諜報員、外部の業者との交渉役……それらが働く、いわばミトラという組織の中心だった。
学園は、そうした施設の立ち並ぶ高台から外に出て、何キロか先に見える市街地へと続くなだらかな坂の上に土地を持っているらしかった。
召喚機とミトラ本部組織が山の入り口の高台、そこまで続く広く長い坂がミトラ学園、というわけだ。
「あの、一輝さん」
遠くの、市街地の向こうに見える海らしきものの蒼い輝きに目を向けていると、スピカが足を少し遅くしながら、小さく名前を呼んだ。
「うん?」
「その、こないだの、精神探査なんですけれど」
ひどく言い辛そうに、視線を彷徨わせところどころつかえつつ、スピカは何とか続きを口にする。
「あれは、別に一輝さんの記憶や感情を、細かいところまでつぶさに見て取ったわけじゃなくて……私の能力ならそれも可能なんですけど、あの場ではそんな必要はありませんでしたから、あくまで一輝さんがミトラの敵かどうかの因子を探っただけであって――だからその、何と言うか」
一輝は、自分よりも十数センチほど背の低いスピカの小さな頭に目をやって、自らも歩みの速度を落とし彼女に合わせた。
「具体的にどんなことをどう経験して何を思ってきたか、なんて、私は細かく見たりは、してなくって、記憶については言語化できるようなレベルでは全く読み取ってないんです……」
言葉だけを聞けば、どこか言い訳のようではあった。
だが、かすかに震えそうになっている肩や狭い背中を見つめて、一輝はすぐに気がついた。彼女が何を言おうとしているのか。
(気を、遣ってくれてるわけか)
一輝にとっての昴の件のような――ひどく取り乱すような記憶を……誰だって抱えている。繊細で、無遠慮に触れればたちまち痛みに涙が出そうになるような、そんな心の一部に、スピカは触れた。
踏み荒らされたくない場所。見られたくないもの。自身の尊厳に関わるようなところ。
相手にとってのそれをいたわり、相手に余計な不安や傷を与えたくないと考えている。
それが分かって、だから一輝は努めて明るい口調で、返した。
「別に、気にしてないし、気にする気もないよ」
はっとしたように、スピカは顔を上げた。大きな瞳を丸くして、一輝を見上げている。
「必要なことだったし、そもそも俺のほうが勝手にひどく気にしているだけってことなのかもしれない」
「それは――」
「俺の意識を探査したとき、触れた――と言っていいのかな、とにかく、なんだかものすごくナイーブな部分を、見ただろ?」
一瞬スピカは答えに窮してから、おずおずと首を縦に振った。
「そりゃ、見られた上で馬鹿にされたり揶揄されたらたまらないだろうけど、スピカは、そういうことしないように見えるし――っていうか実際、そんなことされてないしね」
「一輝さん……」
それでもどこか悄然としてしまっているスピカに、一輝は苦笑して、自分から開示してみることにした。
「昴っていうんだ。片瀬昴」
自分のほうをを見上げたままのスピカに、一輝はどこか吹っ切れたような心地で、教える。
「昔なじみの友達でさ。……多分、一番の仲良しだった。災害に遭ってお互いいろんな親しい人を亡くしたけど、彼女とはずっと一緒だった。けど、一年前に理由も原因も何も分からないけど、失踪して、それっきり」
溜息をついて、半ば自分に言い聞かせるように続ける。
「もう何処にもいないのかもしれない。俺のことなんて忘れてるかもしれない。ただ、俺のほうが諦められなくて――死体すらない、失踪だったからかな。それが理由なのかな?」
「理由って、一体何のですか?」
「世界間転移? とかいうのかな。そういうものの。俺がここに来たのって、よく分からない話なんだろ?」
「はい……本来異世界人の召喚って、手順を踏んで儀式――召喚機の作動シークエンスの消化を行なって、はじめてされるものなんで……一輝さんはそういうの、何もなしに知らない間に現われていて」
「マリーチャさん……もう先生って呼んだほうがいいのかな? まあいいや、あの人は、召喚機が異世界人を呼ぶとき、チート転生者に対抗したがっている人間を検索するって言ってたんだ。つまりは、ある種の願いを手がかりに、召喚機は異世界人を検索して引き寄せるんじゃないかと思うんだけど」
「さあ……召喚機の構造や原理は十全解明されてないですし、それ以前に機密が多いですから」
「そうなのか。まあでも、そう仮定すると……俺がここに来た理由が召喚機のせいだとすれば、だけど、俺の抱える『どこかへいきたい』意志が関係したのかな、って思ってさ」
そのあたりまで話したところで、ミトラ管理区域の端にまで辿り着いた。何かの料金所のようなゲートをスピカの手引きで通り過ぎると、目の前には下り坂が現われる。
学園施設の区域がそこから始まっていた。学園といって一輝が思い浮かべていたのは中学や高校の校舎だったが、目の前に広がるのはどちらかといえば、大学のようだった。
(いや、それと比べても大規模すぎる、か)
内心で訂正する。
メインストリートらしい広い道が曲がりくねりながら市街地のある平野へと下って続いている。そこから何本も道は枝分かれし、様々な建物や公園のような場所や、商店が密集したような場所などへと続いていた。
日本の大学をいくつも寄せ集めて、そこに更に商店街を混ぜ込んだりしたような光景だった。一番多く見られるのは寮らしき五、六階建ての建物だったが、施設の種類は多種多様で、小さな池まで遠くに見えていた。
「私は」
と、一輝が始めてみるミトラ学園の風景にしばし足を止めている間に、スピカがポツリと呟いた。振り向くと、一輝に少し遅れて、スピカが足を止めて恥ずかしそうに苦笑して見せた。
「私は、ものすごく小さな頃、四歳くらいかな、そんな頃に、この世界に来たんです」
「この世界に来た――? あぁそうか、アルドは異世界人だから」
「そです。私も、どこか別の世界の人間なんですよ」
少しだけ寂しそうに、スピカは笑いながらそう口にした。
改めて信じ難い話ではあった。異世界というだけでも馬鹿げた話だが、そこに住む数百名のチート能力を持った世界間転移者たち……通称アルドが、皆もともと異世界で生まれ育った人間であるというのは馬鹿げたというのを通り越して理解が追いつきそうにない。
「私も、実はちょっと特殊な事情というか経緯で、このラストリエールに来たんです。一輝さんと、ちょっとだけ共通するかもしれません」
「俺と――?」
「はい。私も、正常な手続きを踏んで呼び出されたわけじゃないんです。公式には、事故ってことになってます。召喚機を扱う際の小さなミスか何かで、呼ばれたんだって」
「そんなことが、あるの?」
「あってしまった、らしいです。当時の私はまだ幼かったですから、何も覚えてませけれど。元々生まれた世界のことも、ほとんど覚えてないですし。私は、チート転生者も、チート転生者による被害も、多分何も知らないままに呼び出されたんです」
「それは、じゃあ」
自身の意志に関係なく、気がつけば異世界にいたということになる。
「……なるほど、だから少し似ている、か」
「はい。だから最初会った時は、っていうか後から事情を先生に聞いて、一輝さんが何処からともなくいつの間にか召喚機の中にいたんだって聞いたときには、驚きましたし、それから――」
「それから?」
鸚鵡返しに聞くと、スピカは言葉を止めて、かすかに頬を赤くして顔を背けた。
「ちょっとだけ、ほっとしたっていうか――ご、ごめんなさい、一輝さんにとっては、身に降りかかった不幸で、見ず知らずの場所に来て不安だっていうのに」
慌てて言って、スピカは俯く。
一輝は苦笑して、「違うよ」と俯いた彼女に向けて告げた。
「え?」
「そこまで不安でもなかったってことだよ。まあ不幸は不幸だったのかもだけど。不安はそうでもなかったかな」
「どうして?」
「最初に会ったのが、スピカみたいな人だったからじゃないかな」
そんな風に言ってやる。
スピカは虚を突かれた顔でしばらく一輝を見つめ、それから戸惑うように幾つもの表情を浮かべかけてから、最後には、あたりに降り注いでいる日差しのような笑みを浮かべて見せた。
「よかった、です。そういう風に言ってもらえて。ちょっと嬉しいかも」
それから、一歩踏み出し、温かみを帯びた声で一輝を呼んだ。
「いきましょう、一輝さん。寮はもうあと少しですから」
一輝もその声について歩き出し、そのまま学園内を歩いて寮まで辿り着く――それより先に。
「スピカ・パールヴァティと、フジサワカズキだな」
声がかかり、二人はまたも足を止めることとなった。




