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夢幻紀行  作者: 瀬田 桂
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4日目 『[Refrain]』

[Refrain - A]


 リフレイン。

 木霊する。反響する。繰り返す。

 降りそぼる雨。

 虚になってゆく私。

 このまま世界との境界線が曖昧になって、溶けて消えてしまえばいいと思う私。

 立ち竦む。

 目の前に広がる海は空を覆う雲と同じ色をしていた。その雲の上は、今ならばきっとオレンジ色をしているのだろう。

 雲という名の表皮。それを引きちぎると、晒されるのは濁ったオレンジ色の内臓。

 真実は見えないからこそ真実なのだと思う。



 そして私はまたリフレイン。

 繰り返し反響する言葉。

 言葉の本質とは。

 空気を震わせるだけの幽き力が、ただ一次元上にのたくった線が、どうして私を殺し得るのか。

 そして思う。

 言葉に力は無い。力を持つのは人。人に力を及ぼせるのは人だけで、その手段の一つとして言葉があるのだ。

 

 真実は言葉には無い。



 リフレイン。

 持ち主を失い、虚となった言葉が響く。

「ごめんね」リフレイン。

「私、そんなこと思ってなかったから」フェードアウト。

 さよならも言えずに。





[Refrain - B]


 春。

 同じような雨空だった。

 墜落する花粉。

 湿気がマスクを窒息させる。

 立ち尽くす私。

 見上げる。

 無限に続く雨。溜息。

 腕時計を見る。濁る長針と短針。溜息。



 リフレイン。

 影。

 扇形の影が前方に染みつく。

 見上げる。振り向く。


「――さん、だったよね。傘ないの」

 頷く。リフレイン。

「じゃあ、一緒に帰ろう」並んで歩く。

「家、――町だったよね」頷く。

「やっぱり! クラスで同じ町なの――さんだけなんだ」


 残像の彼女は軽く跳ねた。私は俯く。何故か、彼女の方を見られなかった。


 知らなかった、知らなかったのだ!私は、そうなるときまで私自身を、ぜんぜん、これっぽっちも、知らなかったのだ!



 リフレイン。

 それから、世界に色がついた。見る物すべてが私を潤してくれるような感覚。彼女はいつも私と一緒に居てくれた。

 彼女は私が孤独だから放っておかずにいられないだけなのだ。そんなことは最初から理解してる、つもりだった。

 でも、つもり、だけだった。本質的な意味では私は何も理解していなかった。彼女の笑顔は、彼女の言葉は、私を救ってくれたには違いないのだ。そしてその救いこそが、皮肉にも私を思い上がらせ、あんな行動を起こしてしまう要因となってしまったのだった。





[Refrain - Hi]


 リフレイン。

 月が変わり、もう梅雨明けも近いと思い込んでいた私。浮かれていたのだ。そう、残酷なまでに。

 放課後、彼女を誘った。連れて行きたい場所がある、と。

 海。

「落ち着くね」と呟く彼女。私はその背中を見て決心した。行動した。口を開いた。

 空が急激に曇りつつあるなんて、これっぽっちも気づかなかった。



 リフレイン。

 震える声。口から外に出た瞬間、何故かとても切なくなった。身体全体が脈打つ感覚。話している途中、とても彼女の顔なんて見られなかった。

 何を言ったかなんてもう覚えてない。けれど、何を伝えたかったかははっきりしている。


『好き』


 ただ、それだけ。それだけだったんだよ。



 リフレイン。

 最後は喉が涸れていた。こんな長文を口にしたのは初めてだった。風邪を引いて熱が出たときのような、不思議な浮遊感。ぼうっと彼女の輪郭を見つめる。

 明らかに彼女は戸惑っていた。目を丸くし、指が所在なく胸の前で動き回る。

 それでも私は信じていた。彼女はきっと私の想いを、あるいは願いを、受け入れてくれるのだと。


 だって、今までもそうだったんだから。



 永遠に近い時が経ち、彼女は言った。

「ごめんね」

 がくん、と身体が重くなる。海が灰色だ、と思った。

「私、そんなこと思ってなかったから」

 泣きそうな顔をしていた。私じゃない。彼女だ。

 どうすればいいか解らなかった。あるいは、冗談だと言って笑い飛ばせれば良かったのかもしれない。けれど、そんなことが出来るほど私は器用じゃなかった。



 また、時間が経った。

 どの瞬間を選んだのか。彼女はその時、「ごめんね」と再び口にして私の横を擦り抜けるようにして去って行った。

 取り残される私。世界は私のみとなったような気がした。

 気がつくと雨が降り始めていた。いや、気づいたときには既に本降りとなって私の服は水分を吸って鉛のような重さを得ていた。それは、隠喩的な意味での雨でもあったのだろう。



 リフレイン。

 世界。私。海。そして、降りしきる雨。溶けていくような、すべてが虚となっていくような。すべてに現実味が失われていくような。幻想的とも言えない、残酷なまでに灰色な風景に私は取り残されている。

 たった一人の友達を失ってしまった――。しかも、その原因は完全に私にあったのだ。越えてはならない一線を越えてしまった。思い上がりだった。

 無限にリフレインする空疎な言葉。もはや私は未来に向かって生きていけなくなったことを知る。ただ、限られた過去を振り返ることしかできない。そんな確信が芽生えていた。


 そんな私に、生きる意味は?


 前を見る。目の前に広がる灰色の海。足下に目を落とす。二つの革靴。

 水分を吸って重たくなったそれを一歩踏み出そうと――。





[Refrain - C]

 

 その時だった。


 リフレイン。

 影。

 扇形の影が前方に染みつく。

 見上げる。振り向く。


 彼女がそこに立っていた。そして私の名前を叫んだ。


「――! ごめんね、私、驚いちゃって。ごめん、ごめんね。私……思わず……」


 顔に雨が当たらなくなって、初めて私は私が泣いていたことを知った。そして、彼女も泣いていた。

 どうすればいいか分からなかった。ただ、そのまま私の、彼女の、雨音にかき消される涙に甘えるしかできなかった。

 雨が降り止むまで、いつまでも、いつまでも――。

 

 それは、リフレインが終わりその代わりに始まったアウトロのように、ゆっくりと解放に向けて無音の響きを世界に鳴らし続けるのであった。





[Refrain - C']


 その時だった。


 リフレイン。

 影。

 扇形の影が前方に染みつく。

 見上げる。振り向く。


 そこには誰も居なかった。気のせいだった。ただのリフレインに過ぎなかった。

 さっきまでは辛うじて残像として見えていた彼女はもう居ない。

 消えてしまった。


 ああ、もう……。


 私は一度止めた足を踏み出した。一歩。そして、もう一歩。

 寄せては返す波。その引力に導かれるように、少しずつ近づいていく。


 さよなら。

 噛み締めた口の中でそう呟いた。


 ゆっくりと灰色に染まっていく私。ほんの少しだけ苦しさを感じ、その後現れるのは解放されていく感覚。何かが――あるいは、苦しさとか悲しさとかそうした形のないものが身体から解きほぐされ抜けていくような――消えていく感覚。


 !

 確かな気配を感じて私は振り返った。すでに上方に位置する陸地を見る。

 そこに微かに見えるのは……?

 もう何も考える余地はなかった。


 揺らめきながら存続する残像を穏やかな気持ちで眺めながら、どこか遠く、遙かなる空の世界へと私は今旅立ったのだった。

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