2日目 『消えた少年の行方』
探偵の元にとある未亡人がやってきた。
彼女の依頼は『消えた息子の行方を追って欲しい』とのことだった。ひどく取り乱した様子で聞き取りには苦戦したものの、長い時間を掛けて探偵はある程度の情報を得ることができた。
曰く、夫であった故人が仕事の移動中にあまりにも不運な事故で死亡した。未亡人はそれからおおよそ一週間、通夜やら葬式やらに追われていたが、それも終わり一段落付いてみると息子の姿が消えているのに気づいたということらしい。
「息子さんが正確にいつごろ居なくなったかわかりますか?」
「……わかりません。情けないことですけど、主人を亡くしたことで頭も胸も一杯すぎて……。ただ、主人の最期の時を息子と共に見届けたのは事実です。会話も交わしましたので」
夫はしばらくの間生死を彷徨ったが、未亡人と息子が到着して間もなく息を引き取ったという。
「なるほど……わかりました。一週間ください。必ずしや、息子さんをあなたの所に戻してあげましょう」
「お願いします! お願いします。夫を亡くした今、息子まで失ってしまえば私はもう狂ってしまいます」
「大丈夫です。さあ、今日はもうお帰りなさい。苦しい話をたくさんさせてしまってすみません」
未亡人は悲しげな表情のまま帰っていった。
「さて……」
探偵は椅子にどっしりと構え、タバコをくゆらせながら母の息子に対する想い話をもう一度思い返すことにした。
未亡人は長い間不妊によって苦しんでいたらしい。医者によると、九十パーセント以上の確率で未亡人の身体に問題があったとか。それで何年間も辛い不妊治療に耐え、やっと生まれたのが息子であったという。
「謎はもう解けている。少年の場所もまず間違いなくあそこだ。しかし、彼女にどう納得させるか……」
探偵は深慮した。そして、一つの妥協と呼ぶべき解決を見出すことになる。
※※※
「息子の居場所がわかったって本当ですか!?」
未亡人が息せき切って探偵事務所に現れると、探偵はすかさず立ち上がり腰を曲げて『少年』の頭に手を乗せた。
「ほら、ここにいますよ。やや茶色っぽい髪にくりっとした目、鼻はすらりとしており、唇はリンゴのように赤い。身長は百二十センチほどで息子さんの歳にしてはやや小さめ。大きくなりたいとたくさん食べているのに、まったく太りもせず背も高くならない。そんな、少年ですね」
すると、未亡人はなくしていた宝石を見つけたかのようにパッと顔を輝かせた。
「まあ、本当! ああ、私の大事な息子。一体どこに行っていたの?」
未亡人から母へと変貌を遂げた彼女は、『少年』を力強く胸に抱いた。
「良かったですね」
探偵はそう言い、『少年』に向けて声を掛けた。
「もう勝手に居なくなっちゃ駄目だぞ。ママを悲しませるのは絶対に駄目だ」
そしてしばらくの間親子の様子を見届けていた探偵であったが、ある瞬間おもむろにポケットからスマホを取り出し電話を掛けた。
「はい……はい……無事、息子さんと再会できました。はい、お願いします。くれぐれも、彼女を刺激しないようにしてくださいね……釈迦に説法かもしれませんが」
数分後。ふたたび探偵事務所の扉が開いた。
そこに立っていたのは、白衣の初老である。
「さあ、お迎えが来ましたよ」
探偵は、心底辛そうにその言葉を母に向けて言ったのであった。
※※※
母と息子が白衣の初老に連れ出されて、探偵は再び一人となった。依頼時と同じようにタバコをくゆらせ回想する。
彼にとっては非常に簡単な事件だった。なにせ、依頼人の話を聞いただけで一瞬にして探し人である少年の行方を悟ったのだから。
しかし彼女を納得させる解決を組み立てるのには苦しんだ。なぜなら……。
息子など、そもそも存在しなかったからだ。
彼女は長い間不妊治療に取り組んだ。しかし、残念ながら現実に成果を収めることはなかった。
様々な異論があるだろうが、一般的に不妊治療は歳を重ねるにつれて成功率ががくんと落ちてゆく。彼女は結婚当時で既に三十代の後半に差し掛かっていた。必死の治療を虚しく、徒労に終わったのである。
そして恐らくその結果に彼女と夫はひどく落胆した。詳しく話は聞いていないが、おそらくかなりの子煩悩だったのだろう。
それで、二人は精神を些か病ませるような妄想を同時に見るようになる。
『私たちには息子が居る』という妄想だ。
多分、最初は遊び半分気晴らし半分だったのだろう。居もしない息子の名前、容姿、性格などを細かく設定し、三人暮らしという体で仮想生活を始めた。
遊び気分だったのが、段々と真剣味を帯びてゆき、いつしか二人は架空の少年の姿を現実に視るようになった。二人だけの、本当の息子となったのである。
しかし、父は死んだ。残された彼女は息子の設定を成立させていた相方を失ったことになり、結果的に息子は不完全な存在となり消えてしまったのだ。それはまるで、釣り合った天秤の片方から重りを取り除いてしまったかのように。
――これが、少年行方不明事件の真相だった。
その事実を悟った後、探偵は周囲の人間に聞き取りを行い少年の設定を絞り込んだ。彼らは皆、哀れな妄想を見るようになった夫婦を不憫に思い、そうであると指摘できずにただ話を聞くだけしかできなかったらしい。
そして探偵は彼女の前で少年の設定を語ることで、再び彼を目の前に出現させた。天秤に重りを載せたのだ。賭けではあったが、彼女の病み具合からして不可能ではないと探偵は考えたのである。
息子を母の元に返した次は、彼女の病を癒やしてならねばならない。
探偵は彼女の両親と相談し、彼女を精神科に入院させ、そこで治療を受けさせることにした。
病気が治れば、当然ながら少年は再び消えてしまうことになる。だが、その時にはもう別れの心構えが出来ているであろう。精神科の医者は、『喪失を伴う回復』を無事に成功させるプロなのだから。
それにしても、と探偵は回想を終えて現実世界に戻ってきた。
たとえ妄想であったとしても、彼女の中の真実において息子が存在しているのは確かだ。
よく考えてみれば彼女自身にとれば『狂い』は間違いなく救いでもあったのだ。
探偵は最後まで思い悩んでいた。
病気を治させて、彼女の健康と引き替えに孤独な生活を強いるのか。それとも狂ったままで真実を知ることなく最愛の息子と暮らし続けるのか。
結局、『彼女の周囲の人間に迷惑を掛ける』という現実問題のために前者を選ぶことになった。が、探偵はその結果に満足していない。
もう少し何か良い選択肢を模索するべきでなかったのか――?
探偵は事件の解決とほろ苦い後悔を両手に抱きながら、夫婦が愛した、夫婦の言葉でしか知り得ぬ少年の姿を思い描くのであった。