第五十五話:炎の結界の開放
瞼は少し震えると深く美しい緑色の瞳をうっすらと覗かせた。
「あ・・・」
ルアンリルは彼の名を呼ぼうとして躊躇した。
ここにはケイシュンだけではなく何も知らないだろうスターリングもいる。ソルディスが頼み事までする相手を疑うわけではないが、それでもわざわざ公表すべき事ではない。
「ル・・・アン?」
彼は自分を覗き込んで来るルアンリルに少し目を細める。
「そうですよ?」
ルアンリルはクラウスの手を取ると自分の頬に当てた。自分の体温が触れる指から伝わるようにと、その指に自分の指を絡めたりした。
「これは、夢?」
「現実です・・・さ、眠ってください・・・」
まどろみへと誘うようにルアンリルはその頭を優しく撫でてやる。
彼もそれで安心したのか、静かに目を閉じた。
「えっと・・・目のやり場に困りますね」
「そうだな」
誰もいない中でやるのならまだしも、狭い馬車の中、視線を移動させるのも困難な状況で行われたいちゃつきにスターリングは顔を紅くし、ケイシュンは呆れたように息を吐いた。その言葉にルアンリルが顔を紅くした瞬間、外から穏やかな呼びかけが聞こえた。
「ルアン、炎の結界を解いてくれないか?馬車を襲ってきた奴らは全部やっつけたから」
それは聞き間違えるはずも無いソルディスの声だった。
ルアンリルはその声に急いで馬車を包む結界を解除した。炎の壁がルアンリルの命令であっさりと霧散するとようやく外の様子を窺い知ることが出来た。
ソルディスはどこで調達したのか軍馬に跨りこちらを見ていた。
その後ろで部下たちに指示を出しているスラリとした体躯の男性はガイフィード将軍であろう。大将軍は捕らえたばかりの騎士を遅れて送れて到着した馬車の中に手足を縛った状態で乗せるように指示をしていた。
ルアンリルは眠ってしまったクラウスを残して馬車を降りるとガイフィードの近くへと赴く。
近づいてくるルアンリルに気付いた彼は馬を下りると、にっこりと人のよさそうな笑みで迎えてくれた。
「お久しぶりですな、聖長殿」
「この馬車を助けていただき、ありがたく思います」
ルアンリルは丁寧な礼をすると先程まで乗っていた馬車のほうへと視線をやる。
「怪我は治りましたかな?」
視線の先を読み取ったガイフィードにルアンリルは「えぇ」と短く応える。
見るとルアンリルと入れ替わりでソルディスが馬車の方に向かっていた。彼はスターリングと呼ばれた少年に2、3言話すと大きく頷いた。その瞳には安堵の色が浮かんでいる。
「それにしても、驚きました。あの方が真剣に剣を揮うのを始めてみました」
ソルディスの知識は勿論、剣術・戦略・騎馬術まですべてルアンリルが教える担当となっていたはずだ。ガイフィードはそう思い誉めるために言葉を紡いだのだが、ルアンリルは微妙に苦笑するのみだった。
「私も、あの内乱の日、初めてあの方が戦う姿を見ました。私とは一度も剣を合わせて下さらない方ですので・・・」
今更ながらに王子がとことん武術の授業を抜け出していた理由がわかる。
訓練が苦手だったのではない、自分の剣の技量を父親であるバルガスに隠すために逃げていたのだ。
「そうでしたか・・・」
ルアンリルの応対に事実を読み取ったガイフィードは慰めるようにルアンリルの細い肩をぽんっと叩いてやる。
「しかしその隠れた武術の腕のお陰で我々も被害が小さくて済んだ、よいことです」
炎から出てきたソルディスを弱輩者だと侮った騎士たちは彼の手により悉く命を落とした。すべてが彼らの慢心が招いた結果ではないと思うが、やはり驕った報いは少なからずあったはずだ。
味方である自分たちですら、彼の行動に一旦、攻撃の手を止めてしまった。敵である彼らには効果覿面だっただろう。
「お兄様〜〜〜っ!スターリングぅ〜〜〜!」
見張りからクラウス王子の怪我を耳にしたのか、シェリルファーナは自分の愛馬に跨り、涙をいっぱい溜めながら現場へと舞い戻ってきた。
彼女の乗っている馬を見てルアンリルは眼を見開いた。
あれは神馬・ルシェラーラだ。いったい何がどうなれば、神馬が自らの色を変え、翼を仕舞い、王女を背中に乗せるのだろうか。
どうやらほんの少し離れていた間だが様々な事件があったようだ。
ルアンリル、クラウス人目を憚らずイチャイチャしております。
砂糖を大量に履きそうな雰囲気を馬車という限られた空間の中で強引に堪能させられた二人は未だに気の毒としか言い様がないでしょう。