第ニ十話:真実の名前
明けていく霧の中、彼女は追ってくる青年の姿を見た。
「ルミエール姫」
呼びかけてくるのは先ほど自分を襲った男ではない。自分たちを今まで守ってくれていたフェルスリュートだ。
それに気づいた彼女はその場で足を止めた。
途端に立っているのができないぐらい足の力が抜ける。
「無事?大丈夫?」
そんな彼女の傍までくる青年に彼女は申し訳なくて、頭を深々と下げる。
「あ、はい。ごめんなさい。逃げたりして・・・」
霧の中、近づいてくる足音がすべてあの男の足音に聞こえた。怖くて、助けてくれた手から逃げ出したのだ。
「いいさ。別に。ただ逃げた方向がまずい。あっちへ・・・」
示した方向には森の切れ目が見えた。
服が破れてしまっている彼女のために、フェルスリュートは自分のシャツを脱いで肩に掛ける。
彼女には大きすぎるそれは破けてしまった個所を全部覆い尽くし、それだけでルミエールは安堵を得ることが出来た。
フェルスリュートに連れられてきた場所は崖のすぐ傍だった。
どうして?と目線でルミエールが問い掛けると彼は笑いながら「迎えが来易いから」と答える。
「レティア姫に国竜を呼んでもらった。もうすぐ助けにくる。そうしたら3人で時守の里まで飛んでくれ。俺はなんとか追っ手を振り切って駆けつけるから」
自分で言っていても空々しい言葉だと思った。
先ほどから自分の脳裏に浮かぶ光景。自分の死姿。
『死にたいの?』
かつて弟に問われた言葉、死にたくはないけれど・・・守らなくてはいけないから。
崖の反対側に先ほどから人の気配がする。星を見ると、これはバルガス王のものだった。
(これが、運命・・・か)
選択したのは自分だ。
だが、彼は救えなかったと悲しむだろうか。
「ルミエール姫、レティア姫の声が聞こえたらその崖の端へ・・・ルシルヴィリアが・・・」
「あぶないっ!!」
ルミエールの声にフェルスリュートはとっさに彼女の身体を抱きこむ。
「ぐぅっ!!」
背中から下腹部に走る痛み・・・見上げた先にはバルガスのにやついた顔。だがそれを見て、フェルスリュートは勝ち誇った笑みを浮かべた。
「これで、あ…たも……りっぱ…な呪い、持ちだ」
サイラス王子や自分の家臣たちを使い時守の呪いから逃れて続けてきた国王をやっと呪いという折の中に捕らえることができる。そのことが、死に行く彼に取り、一番の僥倖であった。
フェルスリュートは仕上げにと、自分の腰袋の中から時守の護符を出し、未だ呆然としている王女の首にかける。
それは彼女が逃げ惑うときに最中に無くしてしまったものよりずっと立派で、どこか悲しんでいるように微かな光を放っていた。
「俺は、星替……人の星を統べるも……の……俺の血で濡れた手は、お前にかかった呪いの証し」
これでロシキスの王子たちが里に入っても危険になることは無くなった。
呪いを持つものは里の周りに張り巡らしてある結界で、中に入ることもできないから。
「そして、俺は……呪縛を……とかれる」
自分の持つ星の意味────死を自ら迎えることの出来ない『弟』を殺害することの出来る唯一の星だということ。自分が潰えれば……『彼』は自らがの望まない永遠の生を得ることとなる。しかしそれは自分と自分の親友が待ち望んでいた『正常なる国家』を作るために必要なものでもあった。
バルガスは自らがその手にかけた男の言葉に、驚愕していた。
『星替』とは彼がずっと探してきた異能者だ。
バルガス自身が持たない王の星を与えられる存在の一つ。彼に反抗的な光姫や未だ見つからない森の精霊王……彼らの変わりに手に入れようと画策していた。
「ルミエール姫……悪いけ……ど、弟のために君をこの国に縛り…つける……記憶を封じ、る」
フェルスリュートは自分の腕の中で驚愕している少女の額に手をかざして、彼女の魂の中に彼女の記憶を封じる。
こうすれば、彼女はロシキスに戻ることなどなく……いずれ彼の弟と一番言いタイミングで再会できるはずだ。
「封印の鍵は……俺の、本名……異母弟の口か…ら俺の2つの名前を聞いた瞬間、姫…は、記憶を取り戻せる」
「な…ま……え?」
自分の中にある星を替えられることに不安を感じながら、彼女は自分を守ってくれた青年の顔を見上げた。
その時、初めて彼の瞳の色が変わっていることに気づいた。それはあの自分を守ってくれた王子とあまりにも似ていた。
「フェルス・ソリュード・ログア・エリファイド……俺は、ソルディ…スの異母兄だ……そして真名である……ラル・ソリュード・フェルスを加え……君の封印とする」
告げられた名前にその場にいた二人は硬直した。
その瞳の優しさが、彼に似ていた。だから自分はこんなにも目の前の彼を信用したのだろう。
そして、フェルスリュートが『弟』のためにと願うのなら、自分の星が替わることへの不安も消えてゆく。
「記憶……取り戻して、弟に逢…ったら伝えて……約束を守れなくて、ごめんって」
彼女の最後の記憶に残るように告げて、彼はルミエールのすべての記憶を封印した。
バルガス王は未だ何が起きているのか理解できないように呆然と立ち尽くしている。
その姿ににぃっと笑って見せて、彼は意識を失っている彼女の身体を血まみれのまま抱き上げて崖の方に進んだ。
先ほどからしていた羽音が近づいてくる。
太陽の光を反射する銀色の竜の巨体が一直線に自分の下へ向かってくる。
「義姉上っ!!フェルスリュートっ!!」
竜を駆るレティアの声が悲鳴のように響いた。血まみれの二人、遅すぎたのかという恐怖。
「迎え……がき…た………受け取れ……っ!!」
フェルスリュートは崖から落とすようようにルミエールの身体を放り投げた。それをすんでの所でルシルヴィリアが受け止める。
自分たちの下へと戻ってきたルミエールの身体には一つの傷もなかった。ただ破かれた服と、フェルスリュートのものと思しき大量の血が彼女の身体を汚していた。
レティアは慌てて切っ先をフェルスリュートの方に返そうとした。
だが、彼は強い眼差しでそれを制する。
「すべき…ことを……し、ろ。ロシキスの王女たち……」
すべきこと……それは彼が望むように自らの命を守り、ロシキスに届けること。いくら子供3人とはいえ、竜騎士の資格をもたないものを2名も乗せたままでは国竜でも国までは飛べないことは竜騎士であるレティアが一番わかっていた。
ならば行くべき場所は……王女はわずかの間だけ目を瞑り、静かに決断を下した。
「このまま時守の里に入る」
その言葉に反対することなく、ヘンリーは下唇を噛んだ。
そうしなければやるせない思いが口からでそうだったからだ。
苦渋の判断を下した少年たちの姿を彼は静かに見送ると、自分の憎悪する相手に……自分の本当の父であるバルガスに向き合った。
「さあ……弟のため…に……父上、あんたには……死んで貰おう、か……」
フェルスリュートは未だ自失したままの男にそう告げると腰に携えていた剣を抜き放った。
やっとフェルスリュートの本名&役割の一部を書くことができました。
王城でルアンリルがフェルスリュートに彼女たちを託した時に、ソルディスが微妙な反応をしたのはこのせいです。
人を信用はしても信頼はしないソルディスにとり、フェルスリュートは数少ない信頼できる相手です。