第十九話:霧の晴れる時
ルミエールは夢の中でもずっと震えていた。
近づいてくる足音、男達の下卑た笑い。舌なめずり・・・伸びてくる手、押さえつけられて・・・近づいてくる足音・・・
恐怖に打ち震えながらはっと目を覚ました彼女は霧の中から近づいてくる姿に「いやあああああっ!!」と大きな悲鳴をあげた。
破けて、肌蹴た自分の服の前を押さえながら、彼女は立ち上がると逃げるための一歩を踏み出す。
「えっ!ルミエール姫っ!!」
恐慌に陥った彼女にフェルスリュートは慌てた。
彼女が駆け出したのは先ほど逃げたばかりのバルガスたちがいる方向だった。
彼は慌てて彼女の後ろを追いかける。だが恐怖に囚われた彼女を深い霧の中で追う事には限度がある。
たとえ、星の位置はわかったとしても再び彼らの手に落ちてしまうと厄介なことは言うまでもない。
彼は自分の周りにいる精霊たちに命令を下した。
「一時的でいい、霧を除去しろっ!!」
その霧が自分自身の命綱であることは彼も理解していた。
だが彼女を守るのはその方法しかない。
渋る精霊を睨みつけ了承させながら、フェルスリュートは彼女を守るために追跡を続けた。
ばさっばさっばさっ・・・
聞きなれた羽の音にレティアは笑顔で霧の空を見上げた。
白い霧よりも白銀に輝く鱗、彼女の相棒である国竜の姿がそこにはあった。
『どうした、王女よ』
森の限られたスペースに舞い降りた竜はどこか焦った色を隠し切れない自分の騎乗者に問い掛ける。
「義姉上がバルガス王に浚われた・・・この護符を持つ者が救出を試みてくれていると思うからそこまで私と王子を連れて行って欲しい」
ルシルヴィリアは差し出された護符に瞠目する。
石はそこらにある普通の輝石だが、そこにかかっている時の魔法は天下一品─────こんな護符を作れるのは現在『時』の名前を持つ二人しかいないだろう。
『王女よ、その護符を私の額につけてくれ・・・それからヘンリー王子、あなたに特別に私の背に乗ることを許そう』
この護符を渡した『彼』がこの二人に迎えに来させようとしているのならば、それには何らかの意味が存在するはずだ。
ルシルヴィリアは王子たちが乗りやすいように頭を下げた。レティアは慣れた仕草で彼女の肩口に上ると義弟に手を差し伸べる。
彼は少なくまとめた荷物と共に普通の竜よりもずぅっと大きなその背中に乗った。
王子がしっかりと座ったことを確認してからレティアは彼女の頭の方へと移動し、その額に当たるようにフェルスリュートから貰った護符を乗せる。
ルシルヴィリアは目線で乗り位置に帰るようにレティアに指示を出し、護符に残った魔法から『術者』の位置を探り出す。
その時だった。彼女の耳に精霊たちの声が届いた。悲観と困惑、しかし従わなくてはならない命令に彼らは嘆いているようだ。
『おや・・・もうすぐ霧が晴れるぞ』
竜の声に二人は驚きの表情を浮かべた。
だが彼女はそれ以上語らず、大空へと飛び立つため羽を広げた。
時森の里では精霊たちの伝言に困惑していた。
ロシキス竜皇国の王子たちを匿うのは吝かではないが、それがまた政治的に自分たちを苦しめるのではないかという懸念も棄てきれない。
『これは、星替様からの伝言です。時守の民である以上、あなた方に逆らう権利はありません』
精霊の言葉にその場にいた全員がごくりと唾を飲んだ。
彼らには自分の村から選出した里長がいる。
しかしそれは形式的なものだけで彼らが従うのは『時』の名を持つものに対してのみだ。
かつて『時見』が自分の命の危機を回避するためにこの村にいたことがあった。バルガス王の虐殺の際、この時守の里を中心に惑いの霧を発生させたのは彼だ。
しかし彼は虐殺が自分のせいで起こったと責任を感じてそのまま村から出て行ってしまった。
自分たちはそのような事はない、あなたを迎え入れたことを後悔などしていないと言ったが、彼はそれを静かに否定してしまいそれ以来この里に顔すら出してくれない。
今度は『星替』が自分たちに命令を下している。
これを断れば、彼らは『時を守る者』としての自分自身の存在を否定することになる。そんなことは避けたかった。
「わかりました。受け入れの準備を・・・」
その時、森を新たな伝令が駆け抜けた。その声に精霊と時守の民は耳を疑う。
「霧が・・・晴れる、だと?」
虐殺の時から張られていた霧の結界・・・それを外すことがどれだけの危険を含んでいるのか、彼らは身をもってしっていた。
『彼の方の考えを信じましょう。里の男たちは村を守るための準備を。女たちはロシキスの王女たちを迎え入れる準備を』
里の民達と話していた精霊はそれだけ告げると彼らの珠玉でもある『星替』の元へと帰ろうとした。
しかしそれに追いすがるように里の長が「どうやって見分ければいい?」と問い掛けてきた。
精霊は少し考えた後、静かに笑う。
『王女たちは竜に乗って上空から現れます。森から徒歩で入ろうとする者で血を持たぬものなら、射殺しなさい』
「わかった」
その冷酷な言葉に彼らも笑うと、村を守るための準備を始めた。
物語が大分風雲急を告げています。
森に霧の結界を仕掛けたのはフェルスリュートの弟と時守の里の奥で眠っている『予知見の姫』、結界を作る際に死亡した『時のおばば』の3人です。