Case4 同級生、雑談する
昨日の夜からずっと散々な目にあっていたせいか、授業に安らぎを感じていた。
「えー、ここにx=7を代入して……」
いつもは退屈で退屈で仕方がない数学教師の言葉でさえ、心地よく思えてくる。ぬくぬくとした教室の温度が眠気を誘い、まどろみが俺のまぶたを重くする。
黒板には数式がびっしりと埋められていた。教師の手には白いチョークと教科書が握られている。
机に突っ伏していたり校庭を見て授業を聞いていないのは俺を含めて数名だ。大半の生徒は真面目に授業を聞いてノートを取っている。この学校は進学校だし、当然といえば当然だ。
俺だって、いつもはちゃんとノートを取っているし、しっかりと授業を聞いている。
だけど、今日はそんな気になれなかった。この平和を全力でかみ締めたかった。
ちなみに、あの未来人達は「社会見学」とか言ってどこかに行っている。二時間目が終わるくらいまでは「できる君」という便利ツールによって透明人間となって俺の真横にいた。で、それに飽きた。気まぐれな奴らだ。レイラは嬉々として街に繰出し、ソースケ若干口元を緩ませてついていった。
というか、透明人間になれるんだったら最初からそうしてろよ。
今は五時間目。まだあいつらは帰ってこない。俺としてはそっちの方がいい。むしろ、このまま一生帰ってきて欲しくない。あの変人たちは気のせいだったんだと思いたい。
「ふあぁ……」
欠伸が出た。なんかこう、落ち着く。こんなにも普通の生活がいいものだとはおもわなかった。
「眠いの? 」
真後ろから声をかけられた。まあな、と言いながら後ろを振り向く。
そこにはショートカットかつボーイッシュな女子生徒がいた。名前は月島ゆかり。小さい頃からの腐れ縁だ。聞いた話では遠い親戚なんだそうで、家族ぐるみでの交流が昔からあった。
ゆかりの家は俺の家から近い。中学生の頃くらいまではよくお互いの家に遊びに行っていた。
頻度は激減したが、今でも俺はたまに月島家で夕飯をご馳走してもらっている。
ゆかりの親父さんは道場の師範をやっている。一部の間では有名なスパルタ道場だ。年中門下生不足に苦しんでいるらしい。なんでも、入門しても二週間も持たないとか。
ちなみに、ゆかりはその道場でみっちり鍛えられている。情けない話だが、もしも俺とゆかりが喧嘩をしたら確実に負けるだろう。一度、親父さんとゆかりの組み手を見たが、あれはもう人間の動きではなかった。
「珍しいね。ショウが授業中に欠伸をするなんて」
ゆかりは俺のことをショウと呼ぶ。正太郎のショウだ。そこまでいいあだ名だとは思わないが、ゆかりは気に入っているみたいだ。若干恥ずかしいが、こいつにショウと呼ぶのを止めさせるのは無理な気がする。
「色々あったからな」
本当に色々あった。だからこそ、今は頭の中を空っぽにして平和を全身で感じていたい。
「ほうほう。色々ねぇ。とても素敵な響じゃないですか。俺としてはとても気になるわけなんですが、そこのところ、詳しく説明してもらえませんかねぇ」
ぐへへへ、と気味の悪い笑い方をしながら俺に喋りかけてきたのは、隣の席に座る天城劾だ。
ゆかりと違って、こいつとは高校からの付き合いだ。悪い奴じゃない。ちょっと変態が行き過ぎているだけで、基本的には友達思いの熱血漢。誰かが困っていたら、すぐにすっ飛んでいくタイプ。今時珍しい男だ。
一言で言うなら、馬鹿。天城は勢いで行動している。この間なんか、去年同じクラスだったメガネの同級生(名前は確か佐藤。最近、イメチェンしてメガネをやめてコンタクトにしていた)がカツアゲヤされている現場を目撃し、全く何も考えずヤンキーに喧嘩を売ってしまったことがある。
天城はその辺のチンピラよりは腕が立つ。お礼参りといわれて十何人もの不良たちに襲われた時ですら、武器を持ったチンピラに取り囲まれても、天城は無事だった。俺はその現場にいなかったから、詳しい事はわからない。だが、天城は密かに「化け物」と呼ばれている。どうしてそんなあだ名がついたかは、考えるまでもない。
そうは言っても、俺やクラスの面子がこいつに殴られてケガを負わされた、なんて事は一度もない。
普段の天城は凶暴というよりも、女好きにしか見えない。女なら誰でもいい、というわけではない。天城なりの譲れない拘りがあるみたいだ。両親が出会ってすぐに結婚したのとなにか関係あるらしいが、詳しい話は聞いたことがなかった。
けど、天城はとにかく惚れっぽいんだ。天城自身はなかなか純粋で、日ごろ変態発言を多々するわりには、恋愛に関しては夢見る乙女レベルの幻想を抱いている。
だが、告白、玉砕、告白までの間隔が短い為に、日ごろの言動とあいまって、ただの軽い奴として見られてしまう。
「教えてくださいよぉ、藤崎さん。やっぱりアレですか。彼女でもできたんですか?」
「ないないないない。ショウに限って、それだけは絶対にない」
ちげえよ、と口を俺が開く前に、ゆかりが全力で否定した。
「おい、ゆかり。いくらなんでも、それは酷くないか?」
「じゃ、彼女できたことあんの?」
「……ねぇよ」
それを言われると何もいえない。幼馴染って奴はそういうことまで詳細に知っているから困る。
「それに、ショウに甲斐性なんてものはないから」
「あー、それはわかる。煮え切らないもんなあ。何にしても。きっと、女を連れ込んでもそこから先までは絶対にいかないね」
ほっとけよ、と俺は思う。そんなことお前には関係ないだろう。大体、お前は人のこと言えるほどなのか。下ネタはOKでも、恋バナなんてしたらすぐに顔赤くするくせによ。彼女できたとしても、手を繋ぐ事すら抵抗感じそうだよな、テメェは。
「きっと、美少女に迫られたって逃げ出すよね。間違いなく」
心臓が一瞬、強くはねた。あてずっぽうで適当に言っているのだろうが、俺の脳裏に今朝の光景が浮かぶ。
「おい、そこ。静かにしろ」
黒板の前に立つ教師が、俺たちに視線を向けていった。天城が「はぁい」と間延びした適当な言葉を返す。教師は一瞬顔をしかめたが、すぐに黒板に向き直った。
「大人の階段を上った感想は後でじっくり聞かせてもらうぜ」
つくづくこいつは馬鹿だよな。そんなこと、ねぇってのに。
「だから言ってるじゃん。ショウに限ってそんな勇気あるわけないって」
ゆかりの口調は若干若干むきになっていた。全力で否定したいみたいだ。
確かに俺とお前は付き合いが長いよ。俺が彼女なんてできた事ないのも知っているだろうさ。でもよ、そこまで言わなくたっていいだろう……実際その通りなんだけどさ。
などと考えていたら。
何かが破裂するような音共に、校舎が縦に強く揺れた。
「地震か!?」
誰かが叫んだ。だが揺れは一回、大きなものがあっただけだった。変わりに聞こえてくるのは発砲音。ついさっきまで平和だった校舎内に、サブマシンガンの渇いた音が鳴り響く。女子の、そう、多分中学三年生くらいの女子の声が反響する。
誰の仕業かは考えるまでもない。
頭痛がした。