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第九章「翼と太陽」

††1††

 

 

 エヴァーライフが目覚めたのは、既に陽が西に傾きかけていた頃だった。

 どれだけ気を失っていたのか分からないが、体の疲れはまだ癒えていない。空腹と渇きもそのままだった。

 しかし、薄らと開けた目に映ったのは、木造の屋根だった。埃だらけの小さいランプが、窓から入る微風に揺れて、部屋全体を朧気に照らしている。天国じゃないし、地獄でもない。そんなもの有るのかどうかも分からないが。

 

 ここは、何処だ。

 

 辺りを見回してみると、木製の小さな丸型テーブルや揺り椅子等が目に止まった。どれもこれも相当な年代物のようで、ぼろぼろになっている。一つだけ備え付けられた小さな四角窓は、ひび割れの激しいガラスが填っていた。蜘蛛の巣のように亀裂が走っている窓ガラスには、其れに沿って粘着性の樹脂が塗りたくられており、全体的に白く濁っている。最低限の家具だけ揃えたような、何とも殺風景な部屋だった。

 木造の部屋は壁も天井も床も古くなっていて、少し押せばぎしぎしと悲鳴を上げるだろう。造りも粗く、まるで長年放置されていた廃屋の様である。

 とりあえず、体の節々に走る痛みに難儀しながらも、埃臭いベッドから体を起こした。履いていたぼろぼろの靴は、ベッドの横に奇麗に並べて置いてあった。

 

 誰かが助けてくれたんだなと思った瞬間に、気を失う前に見た天使を思い出した。そうか、彼女が助けてくれたのか。

 

 窓の外を見てみると、倒れた所と同じ、森の中だった。森の中に建てられた廃屋だろうと考えたが、そんなところに人が住んでいるのかとは到底思えなかった。しかし、ぼろぼろとはいえ家具や布団が有るのだから、やはりここにはあの女性が住んでいるのだろう。一体、何のためにこんな所に。

 

 ぼんやりとそんなことを考えながら窓の外を見ていたその時。

 白い窓に微かに映った自分の顔を見て、エヴァーライフは目を剥いた。

 

 包帯が無い……そうだ、森の中で彼女に合った時にはもう、包帯なんて無くなっていたのだ!

 

 間違い無く彼女は翼の眼を見ている。そう考えた瞬間、エヴァーライフは痛む体に鞭打って、急いで靴を履き、目に映ったドアに走った。

 

 部屋には自分以外誰も居ない。あの女性は、既に騎士に通報に向かったのかもしれない。悪魔が森で倒れていた、と。

 そうじゃないかもしれないが、万が一そうだった場合を考えれば、一刻も早く逃げる方が得策だ。相変わらず食べ物と水は無いし、胃の中も空っぽ。どこまで走れるか、どこまで耐えられるか分からないが、死ぬのならせめて命の限り足掻いてから―――

 

「うわッ!?」

 

 バタン!と突然開いたドアに、したたかに鼻っ面を打ち付けて、エヴァーライフの思考は止まった。予想外だったのは、ドアの開く方が、普通とは逆だったということ。

 尻餅をつき、急いで鼻を押さえた。赤い血が指先にへばり付く……かなり強く打ち付けたようだ。衝撃の所為で、目の前に星が飛ぶ。

「だ、大丈夫!?」

 慌てたような女性の声に、エヴァーライフは急いで翼の眼を手で覆った。今更隠しても仕方が無いのだが、もう癖になっているのだ。眼を覆った代わりに、鼻血がたらりと垂れて唇に触れた。

 ぼやける視界の中、女性は急いで手に持っていた大きな皿をテーブルに置いて、長く余った服の袖で手を覆い、エヴァーライフに手を伸ばしてきた。

 反射的に身を引いたが、女性はエヴァーライフの鼻をぎゅっと押さえただけだった。

「ごめんなさい、ごめんなさい!まさか、直ぐそこに居るとは思わなくって、思いっきり開けちゃったから……」

 謝る女性は、騎士の連中を連れている訳でもなく、またエヴァーライフの眼を見ても、悪魔の類と言葉を刺す様子も無かった。

 彼女も予想だにしない出来事に困惑しているようだが、エヴァーライフはそれ以上に混乱していた。

 

 この女性は一体何者か。

 

 段々とはっきりしてきた視界に映った蒼銀の髪と銀の瞳は、様々な未体験、予想外の事態も相まって、エヴァーライフの記憶にしっかりと刻み込まれる事になった。

 

 

 

 

††2††

 

 

「本当に、ごめんなさい!」

 腐りかけたテーブルの前に顔をあわせるようにして座ってから、女性はずっと謝りつづけていた。

 

 まだあどけなさを残す、まだ少女と呼ぶべき顔だった。

 

 思わぬ衝撃を受けてぼやけていた視界が元に戻った時、彼女の顔を見て驚いたものだ。こんな少女が僕を助け、どれくらい離れていたか分からないが、この小屋まで運び、こうして食事を用意してくれたのか。

 見た目では、年の頃まだ十五、十六といったところか。小さ目の鼻に、桜色の可憐な唇。そして、透き通るような銀の瞳。まるで人形のような、整った顔だ。蒼銀の髪がさらに其れ等を引き立てている。長い銀髪はゆったりとした三つ編みにされていて、肩から胸に向かって流されていた。着ているものはぼろぼろだったが、その顔と銀はそれを打ち消して余りある。

「いや、いいんだ。僕も不注意だったし。」

 鼻には詰め物をして、出されたスープに手を伸ばすエヴァーライフ。打ち解けたというわけでもなかったが、もう翼の眼は隠していない。今更隠した所で無駄だと分かっているから。

「それよりも、助けてくれて有難う。あのままだったら、きっと僕は死んでいた。」

 まだ礼を言っていなかった。逃げなければと急いでいた所に、突然のドアの一撃も手伝って、随分と気が動転していたらしい。騎士に通報しに出ていたわけではなく、ただ単に隣の部屋で食事を作っていただけと分かって安心したところで、ようやく気付いた。

 少女は照れくさそうに笑うと、居住いを正してテーブルに軽く両手を置いた。

「どうして森の中に倒れてたの?」

「騎士から逃げてたんだ。」

 むしろエヴァーライフが訊きたい事が山積みだったが、先に質問を受けたので素直に返す。ただ、

「そうなんだ。大変だったのね。」

 他にも色々――何故騎士から逃げていたのか、翼の眼は一体何なのか――訊かれるかと思ったが、少し待ってもそれ以上の質問は来なかったことに、動揺を隠しきれなかった。スープを掬うスプーンも止まる。

 静まる部屋。

 今まで出会ってきた人間と、全く違う。変わり者とも取れる。

「なぁ、僕のこの眼を見ても、何も感じないのか?」

 静寂を打ち消すのに躊躇したわけではないが、エヴァーライフの声は小さかった。少女は何をいきなりといった面持ちで、エヴァーライフの眼をまじまじと見つめる。

 

 ややあって。

「変わった眼をしてるのね。でも、綺麗だわ。」

「……それだけ?」

「ええ。」

 何と言うか、言葉も無い。化け物、悪魔と罵られてきたその理由を見て、綺麗とまで言い切るとは。人間という生き物は、自分と違ったモノを見ると――エヴァーライフの様に、他の部分が普通の人と変わりない者であれば特に――拒絶的な反応を示すものだとばかり思っていたのに。

「天使の羽根みたいで、素敵だと思うわ。」

「不気味だとか、気持ち悪いとか、感じないのか?」

「ううん、全然。」

 困惑。有り得ない。この少女はどこかずれている、と思った。そう思えるのには充分な経験をしてきているのだから。

「他にも気になることとか色々有るんじゃないのか?どうして騎士に追われていたのかとか、どうしてこんな眼を持ってるのかとか……」

 何だか馬鹿らしいことを言っているなと自分で気付いてはいたが、動揺の為か制御が利かなかった。何を言っているんだ僕は、と嘲笑したい気分だった。

 少女はうーんと頭を捻り……しばらく経ってから口を開いた。

「鼻、大丈夫?痛まない?」

「そうじゃなくて。」

 思わずテーブルに突っ伏しそうになった。

 呆れたような物言いのエヴァーライフに、分かってるわよと悪戯っぽく笑うと、何故かにこにこと笑いながら少しだけ身を乗り出した。

「あなたのお名前は?」

 エヴァーライフにとってはこれまた予想外の質問だったが、この少女は今まで出会ってきた人々とは違うということで無理矢理納得して、同じく笑顔で答えた。苦笑いになってしまったけれども。

「僕は、エヴァーライフ。」

「私はウルスラ。よろしくね、エヴァーライフさん。」

 ウルスラと名乗った少女は、再びにっこりと、屈託の無い笑顔を見せた。

 

 

 

††3††

 

 

 スープは何杯でも入りそうだったし、その他にも出された野菜や果物の料理もまだまだ食べたい所だったが、ウルスラの分まで貰うわけにはいかない。全部たいらげるのに時間はかからなかった。

「よっぽどお腹が空いてたのね。」

 少し驚きはしつつも、それでも笑いかけるウルスラ。そんな彼女に親しみと興味を持つのは当然と言えばそのようにも感じる。

「このところ、何も食べてなかったんだ。美味しかったよ、ご馳走様。」

「住んでる所がこんな所だから、兎とか鳥とかの肉はなかなか食べられないんだけどね。野草だけで満足してもらえるんなら、嬉しいわ。作った甲斐が有るってものよ。」

 しかしながら、味付けも悪くないし、とても其の辺の野草とは思えないくらいに美味しかった。勿論、雑草や木の葉を調理しているわけではないのだが、それでもこれだけの料理に変えることが出来るというのは、ある種の魔法の様にも思える。

 簡素極まりない食卓だが、何故か今まで世話になったどの食卓よりも暖かく感じた。

 

「ところで、どうして君はこんな所に?ご両親はどうしたんだ?」

「君って、やめて。なんだかむず痒いじゃない。ウルスラで良いわよ。」

 意味も無く照れくさそうにへらへら笑うウルスラを見て、つられて笑ってしまう。

 しかし、表情を正して。

「ウルスラはこんな所に一人で住んでるのか?」

 この小屋には、ウルスラ以外の誰も居ない様だった。他の部屋を見て回ったわけではないが、誰の気配も感じない。

「うん、そうよ。両親は、死んじゃったの。」

「すまない。」

 反射的に謝ったが、ウルスラはきょとんとすると、察したようににかっと笑った。

「いいのよ、気にしてないもの。十五歳の頃だったかな、もう五年前。身寄りの無かった私は、悲しくって、寂しくって、一人でこの森に入ったの。でも、死ぬことを考えるくらいなら、必死に生きた方がパパもママも喜ぶかなって思って、この小屋で暮らしてるの。」

 見た目はまだ幼いのに、既に二十の歳を数えていたか。いや其れよりも、その強い意志の方に驚いた。

「強いんだな。」

「強がってるだけかも、ね。」

 妙に含みのある台詞だったが、彼女の表情は明るいままだった。

「最初は料理も下手で、作った自分でも不味くて食べられないようなものばかり作ってたんだけど、成せば成るものよね。今じゃ、すっかり慣れちゃった。」

 ぺらぺらとよく喋る。悲しみを隠しているとも取れたが、あっけらかんとした口調はかくも明るい。しかし、これ以上の要らぬ詮索は避けようと思った。

 彼女の痛みは、忘れられるほど軽くは無いだろう。エヴァーライフも、親が自分より先に逝った時の記憶は無いものの、似たような記憶なら有る。愛した人、近しい人が完全に居なくなった時……それはやはり、彼の記憶に鮮烈に刻まれているのだから。

「何?ひょっとして、気にしてる?」

 そりゃあ、気にするなと言う方が無理な話だ。顔に書いてあったんだろう。

「まぁ、気にするなって方が無理かな。優しいんだね、エヴァーライフは。」

 優しい、などあまり言われた事の無い言葉を突然に言われて、エヴァーライフは思わず眉を歪めた。その様子を見て、ウルスラがフフッと笑う。呼び捨てにされても、ウルスラになら気にならなかった。

「そういえばエヴァーライフは、何処か目的地が有るの?」

 唐突にウルスラが訊いてきた。その瞳はどこか寂しげだった。明るい表情を崩さないでいるが、何故か痛々しい感情がこもっている。

「いや、無いよ。ただ逃げてここまで来ただけさ。有ると言えば有るんだけど。」

「何処なの?」

「僕の記憶が眠る場所。僕は、十六歳から先の記憶が全く無いんだ。」

「エヴァーライフって、歳、幾つ?」

 十六の頃から全く成長していないのだ。見た目はそのまま十六歳。ウルスラが思わず尋ねたのはその所為だろう。

 そういえばまだ言ってなかったなと思い、エヴァーライフは彼女に不老不死の秘密を語った。そして、それに関連するであろう翼の眼の事も。

 流石にそれを聴いたウルスラは驚いた様子でエヴァーライフの顔と眼を交互に見つめたが、ふんと納得したように鼻を鳴らして、椅子に座りなおした。同時に床がぎしぎしと悲鳴を上げる。

「凄いのね、其の眼って。色々と大変なんだね。」

 不老不死の話を聴いても尚この言葉。罵倒したり拒絶したりするものではないことに、エヴァーライフはどこか安堵していた。普通の者なら眼を見ただけでも化け物呼ばわりだが、更に不老不死の話を聴けばその時点で化け物決定だったのに。

 話の方向が脱線したのを戻す為に、ウルスラは小さく咳払いして。

「で、その記憶を探す為に、色々と旅をしてきた、と。」

「そういうことになるね。」

「それじゃ、明日にでも発っちゃうわけだ。」

「……寂しい?」

 やはり一人でこんな辺鄙な所に住んでいるのだ。どこか寂しげだったのは、話し相手でも欲しいからだろう。エヴァーライフも孤独の旅を続けてきたが、強がっていても自分自身で分かるのだ。寂しい、と感じる事が有ると。

 ウルスラと自分はよく似ている。そう思った。

「寂しい、のかな、うん。多分そう。」

 自信なさ気だったが、彼女は何度も頷きながらそう言った。自分で認めても、他人にそれを言うのには少しだけ勇気が要る。ウルスラは勇気を持っていた。

「なら、少しだけここで休んでいこうか。」

 エヴァーライフの言葉に、ウルスラの表情が今まで以上にぱあっと明るくなった。彼自身、どんな酔狂だろうと思わないでもなかったが、ウルスラと自分がどこか似ていると感じた時に、大きな興味が湧いたのだ。

 ともすれば、ここが記憶の眠る場所なのかもしれない、旅の終着点かもしれないとも思える。

「いいの?」

「ああ。」

「ありがとう!」

 確認を取ってO.Kが出たところで、ウルスラは歓喜のあまり椅子から飛び上がった。床が大きな悲鳴を上げたがお構いなし。エヴァーライフの傍まで歩いてくると、その手を強引に持ち上げて、握った。

「これからよろしくね、エヴァーライフ。」

 彼女の顔は、太陽の様だった。柔らかくて、抜けたように明るい。エヴァーライフもつられて笑顔になった。

 笑顔でいられる素晴らしさ。それを、彼はこの時はまだ自然のものとしてしか考えてはいなかったのだ。それは逆に、気付かずにいて良い事なのだが。

「よろしく、ウルスラ。」

 エヴァーライフもまた、彼女の細い手を握り返した。

 

 埃臭くてオンボロな小屋だが、こういうところも悪くない、と思えた。

長いですかね;ケータイじゃあ、ちっと読みにくいかもしれません。

なんかご指摘あれば、心待ちにしちょりますのでガシガシ罵倒してやって下さい^^;

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