第七章「決意に必要な思いと行動に必要な決意」
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「エヴァーライフ様、失礼ですが、今何と…?」
夕食の席、あまりに唐突なエヴァーライフの言葉にダグラスは眉をひそめた。
隣のシルヴィアも驚いた表情。
別に問題発言をしたという訳ではないと思うが、二人にとっては思い掛けない台詞だったのだろう。
「駄目でしょうか?」
ナイフとフォークを止めたまま、エヴァーライフはもう一度尋ねた。
こんな顔をされたからと言って、引き下がるわけにはいかない。
ベッドの上で一頻り笑った後、エヴァーライフは或る一つの決心をした。
ほんの少し、勇気を出してみようと、一歩踏み出してみようと思ったのだった。
自分の暗い過去を振り払おう。
自分の今を考えよう。
自分の未来に希望を持とう。
ついこの間まで死を渇望していたとは思えない。確実に、ゆっくりと前に進んでいる。
導いてくれたのは、ウルスラだ。
彼女と話す事で、彼女の必死な行動を見ることで、彼女の思いを知る事で、自分自身で鍵をかけた箱が少しずつ開いていくような、そんな気がする。
彼女と接していれば、ひょっとしたら自分は呪われた運命に光を見出せるかもしれないと、素直に感じる事が出来るのだ。
だから決めた。
畏れちゃいけない。
必要なのは、少しの勇気と素直な言葉。
自分の思いを、家の主に告げなければならないと決めたのだ。
「いやしかし、貴方は娘の恩人です。そんな事は、お気になさらずとも…」
渋るダグラス。
困ったような表情で髭を撫でている。エヴァーライフは素早く切り返した。
「彼女も、僕を助けてくれました。それに、ただ何もせずに宿を借りるというのも気が引けます。だから是非、僕を使用人として使ってもらいたいんです。」
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まさか、ダグラスとシルヴィアの帰宅を心待ちにしようとは思ってもみなかった。
エヴァーライフにとって苦手なタイプである事に変わりないのだが、言わなければならない事が有るからだ。
エヴァーライフは、この家の使用人になろうと決めた。
単なる思い付きなんかじゃない。
ウルスラと接しつづけるにはどうすれば良いかと考えた結果だった。
ずっと滞在させてくれ、とでも言えば、家主は恐らく首を縦に振るだろう。
しかし、ただ何もせずに、食べて寝るだけのつまらない居候にだけはなりたくなかった。
下手に気を遣われても息苦しくなるだけだし、一応これでもプライドは持ち合わせている。
何時の間にか自分の大切な事が"死を望む"事から"希望に向かう"事へと変わっていることに気付き、無性に嬉しくなった。
そうして、エヴァーライフはダグラスに告げたのだ。
ダグラスはまさかエヴァーライフがそんな事を言い出すとは思っていなかったのだろう、困惑と驚きの表情を顔中に広がらせたのだった。
「しかしエヴァーライフ様、家の事は全てアンジェに任せておけば良いのですよ?わざわざエヴァーライフ様が使用人になる必要なんて有りませんわ。」
シルヴィアも食事を止めてそう言った。
我儘と取られているのかも知れないと思った。
確かに彼らのような恵まれた生活を送る者たちにとっては、エヴァーライフのこの待遇は羨ましく映るだろう。
何もしなくても食事は摂れるし、何もしなくても雨露をしのぎ、ふかふかのベッドで眠れる。ずっと遊んで暮らせる、そんな生活。
それを蹴る事は我儘だと思うだろうか。
しかしエヴァーライフの決心は揺るがない。揺るがせてはならないと決めているから。
「僕は、僕を助けてくれたウルスラさんや、部屋を与えてくれているあなた方に感謝しています。だから、僕も何かの形で答えたいんです。」
多少取り繕っている部分も有るが、一応は真実だ。
床を借りて、それを当然と思うほど彼は傲慢ではない。
永く生き、色々な人々を見てきた中で培われた信条だろうか。
第一、恵まれた環境というものに対して無頓着である訳だし、そもそも"楽に暮らす"という事が必ずしも恵まれているとは限らない。
「う〜むむ…」
ダグラスが唸って首を捻った。
恐らく彼にも、ウルスラの恩人であるエヴァーライフに対しては最高の礼を尽くす、という決意が有るのだろう。
だからと言ってそこで食い下がるわけにも行かないと、エヴァーライフは少しだけ身を乗り出した。
「…分かりました。そこまでおっしゃるのであれば仕方ありますまい。」
その言葉を聞いた瞬間、エヴァーライフは大きく安堵した。
流石に大袈裟に胸を撫で下ろすわけにもいかず、心の中に留めておいたが。
シルヴィアが何か言いたそうにしていたが、夫の決定の為に何も言わずに下がった。
有り難い事だ。下手に納得されずに話しがこじれるのも困りものだし。
「では、明日からエヴァーライフ殿はこの屋敷の使用人として働いてもらいます。これで宜しいですね?」
「はい、有難うございます。」
決意を固め、勇気を出して、行動に移して自分の思う結果につながった。
エヴァーライフの顔に、自然と笑みが浮かんできた。
そのまま深く頭を下げ、心の底から湧きあがる感謝の意を伝えるのだった。
††3††
形式ばった堅苦しい食事でも、昨日みたいな無機質なものと違った感じがして、エヴァーライフは満足だった。ダグラス達よりも手早く食事を終わらせ、もう一度礼を言ってから食堂を出る。
ドアの向こうには、アンジェがお腹を空かせて立っていた。
「アンジェ。」
「は、はい!?」
出てきたエヴァーライフに、ぺこりとお辞儀をしているときに呼ばれ、急いで顔を上げる。
何も言わずに部屋に戻るとばかり思っていた為、話し掛けられて驚いた。
「僕も明日から君と同じ、この家の使用人になる。…よろしく頼むよ。」
「え?え?」
これまた予想外だった。一瞬、エヴァーライフの言葉の意味が分からなかった。
エヴァーライフはそれだけ告げて、歩き出した。
向かった先は自分の部屋ではなく、ウルスラの部屋のようだ。
その後姿を見ながら、ようやく気付いたアンジェが大袈裟なくらいに頭を下げた。
「よ、よろしくお願いします!」
アンジェの言葉を背に受けて、エヴァーライフは右手を挙げて答えた。
コンコン、とノックの音が鳴って、ウルスラは体を起こした。
「どうぞ。」
てっきりアンジェが食事を持ってきてくれたと思ったのだが、入ってきたのがエヴァーライフだったから驚いた。
今朝、随分と怒らせてしまったと思っていた。まさか来てくれるとは思わなかった。
「エヴァーライフさん…」
「寝てなくて大丈夫なのか?」
傍らまで来たエヴァーライフの顔は、何故か怒りなど微塵も見て取れなかった。怒っているのではないのか?
いや、むしろ今朝よりも優しくなっているような気さえする。一体どうしたことだろう。
「ええ…それより、今朝はごめんなさい。」
「何が?」
突然謝られて、エヴァーライフは怪訝そうな顔をした。ウルスラはまた驚いた。
いや、もういい。
とか言われるなら気分も良くなったんだなと分かるが、何が?と返されるとは思わなかった。
元々気にしてなかったみたいな言い方だ。
今朝話してからエヴァーライフは部屋から出ていないようだったし、きっと怒っているのだろうと思っていたのだが…
「怒っていないのですか?」
「いや、だから何が?」
エヴァーライフも流石に分からなかった。何故謝られているのか見当も付かない。
「いえ、今朝お話しして、ひょっとしたら怒らせてしまったんじゃないかと思って心配だったんです…」
成る程、納得がいった。単に心配しすぎなのだと。
「いや、僕は怒ってなんかいない。心配しすぎだよ。…いや、それより君に話しておかないといけないことが有るんだ。」
「はい?」
ほっと胸を撫で下ろし、エヴァーライフから何かを話してくれるという事に嬉しく思う。
「僕は、明日からこの家の使用人になる。」
「えっ?」
信じられなかった。
昨日は死にたい、死なせてくれと懇願していた少年が、突然使用人になると言い出したのだから。
一体どういう心境の変化だろうと驚いたが、ひょっとしたら自分の声が少しでも届いたんじゃないかと思えて何だか嬉しい。
「そういうわけだから、色々とよろしく頼む。」
「は、はい、私の方も、よろしくお願いしますね。」
ウルスラは笑顔でそう言った。
本当に嬉しい。
アンジェと同じ、友達が一人増えるんだから。
変わった体、変わった心を持っている少年だけど、そんなことは些細な事でしかない。
「それじゃ。早く良くなるといいな。」
エヴァーライフがくるりと踵を返し、部屋を出て行こうとドアノブに手をかける。
顔を隠すようにして背を向けられたから一瞬だけだったけど、ウルスラは見たような気がした。
初めて見せてくれて少し驚いた部分はあったけど、嬉しかった。
エヴァーライフは驚きと喜びを沢山くれる。
彼は、笑っていたように見えた。
すぐ後ろを向いてしまったからよく見えなかったけど、確かに。
「…ありがとう。」
部屋を出て行くエヴァーライフの背に、小さく言った。
エヴァーライフが死を止めて、自分の家で暮らす。友達になれる。
嬉しくてたまらない。ベッドに潜り込みながら、抑えきれない笑顔を洩らすのだった。
ラストまで通してストーリー考えてたんですが、既にキャラクターたちが一人歩き始めちゃってます。結果的に良い話になっていればグッなのですが、どうなのやら(滝汗)