第六章「少年の思いと少女の思い」
††1††
エヴァーライフは部屋に戻ると、ベッドに転がった。
ウルスラの言葉が頭の中でぐるぐる回っている。
不思議な感覚のまま、ぼんやりと窓の外を眺めた。
次の瞬間見れるはずの景色、会えるはずの人…
何故だろう。
今まで望んできた"死"が、急に遠ざかった気がした。
この家の中、外の銀世界。目を向けようともしていなかった風景たち。
ウルスラ、アンジェ。煩わしくもあった、偽善者と吐き捨てていた者たち。
それらが、何か…色を持ったとでも言おうか。
何故だかはっきりと見えるようになっていた。
初めてだ、こんな感覚。
「俺が死ぬと、悲しい、か。」
どうして昨日会ったばかりの人間に、そう言えるのか理解できない。
しかし彼女の言葉は、理解とかそういうものでは捉えられない何かがあった。
この沸き上がる感情は何だろうか。妙な感覚だ。
苛立ちもすぐに消え去ったこの感情、言葉にはとても言い表せられないが、何か…清々しい。
清々しいというのもこの気持ちを表せる言葉ではないが…何なのだろう。
青空のような。
太陽の光のような。
暖かくて。
清らかで。
柔らかくて。
…それでいて、涙がこみ上げてきそうな、この感じ。
絶望とか恐怖とか、そういう感情と全く正反対のものだ。
"過去のウルスラ"と出会ったときも、これと同じ感情を抱いた筈だ。
過去の事を思い出すと辛くなるが、この不思議な感情と深く結びついている為仕方がない事ではあった。
この気持ちは───…
この感情は───…
「…嬉しい…?」
ウレシイ。
忘れていた。そんなモノが有った。
自分の中に、蘇った一つのこの気持ち。
きらきらと、雪のように綺麗に輝く感情。
"喜び"と名付けられた、この感覚───!!
──良かった。
エヴァーライフは、何故か湧き出てくる涙を止めることが出来なかった。
嗚咽をかみ殺しながらも、ベッドの上でただ哭き続けるのだった。
他人じゃない。世界じゃない。
僕が遠ざけていたのは、きっとコレだったんだ…
††2††
ぼんやりとする頭を重く感じながら、ウルスラはベッドで横になっていた。
頭を埋めるのはエヴァーライフの事ばかり。
少しだけ、怖くなくなった。
いや、優しい雰囲気が有ったし、優しい態度も有った。
昨日とは全然違う人みたいな感じがした。
彼についての話も、ほんの少しだけだけど、聴くことも出来た。
何だかそんな些細なことがすごく嬉しい。
でも、結局最後は怒らせてしまったみたいで、申し訳なかった。
確かに、死ねない辛さは分からない。
分かった気がしても、やっぱり分かったつもりでしかないんだろう。
でも、やっぱり死んじゃ駄目だって思う。
少しでも、分かってほしかった。
相手の気持ちの深いところを理解してないのに自分の気持ちを押しつけるのは凄く失礼で横着だと思う。
でも、端の方に触れるくらいでも良いから、届いてほしかった。
明日になったらエヴァーライフはもうこの家から居なくなってしまうんじゃないか。
そして、死に向かって再び歩き出すんじゃないか。
ちょっとした喜びと大きな不安が、ウルスラの胸を押し潰す。
もっと色々な話しをしたい。外の世界の事を色々と聞きたい。
窓の外から見える世界は、近くにあるのに凄く遠い。寂しくて仕方が無い。
ウルスラにとって、友達はアンジェだけ。
だから、エヴァーライフもできる事なら友達になりたい。
確かに昨日会ったばかりの他人ではあるけども、少しでも繋がりが持てた人だから…
コンコン、とノックの音が鳴った。
とは言っても、どうぞと言う前に入ってくるのだけど。
「ウルスラ様、お体は大丈夫ですか?」
アンジェがドアの隙間からひょいっと顔を出した。
体を持ち上げるのもしんどい状況ではあるが、アンジェを心配させまいと上体を起こす。
「ええ、この通りですよ。」
その様子を見て、アンジェは少しだけ安堵した。
ウルスラの表情からやはりまだ体調は宜しくないようだが、酷い時は体を起こす事も出来なくなる。
「良かったです。あんまり酷くならなくて…」
言いながら、アンジェがスープとパンを差し出す。
早いもので、もう昼食時だった。考え事をしていると、あっという間に時間が過ぎる。
「ありがとう、アンジェ。」
トレイの上に粉薬が乗っているのが少しだけ嫌になった。
苦いから嫌い、なんていう理由じゃなく、薬に頼ってばかりの自分が嫌になるから。
スープをゆっくりと口に運ぶ。
アンジェが作る料理には、愛情がこもっている。
凄く美味しいし、彼女の事だから元気になるようにと材料にも気を遣っている事だろう。
「所で、アンジェ。」
「はい?」
スプーンを止め、アンジェに向き直る。
「アンジェは…エヴァーライフさんの事を、どう思います?」
あまり口を聞いてないと思うが、アンジェが端から見れば異様な少年をどう思っているのか気になった。
アンジェにも彼の友達になってほしいと思って。
「エヴァーライフ様、ですか…?う〜ん…」
大袈裟に頭を捻る。彼女が考え事をするときの癖である。
「そうですね…言動はものすごく…その…不躾で乱暴ですけど、ウルスラ様を助けていただいてるんですし、良い方だと思いますよ?」
何だか曖昧な答えではあったが、怖いとかそういう言葉が出てこなかったのにほっと胸を撫で下ろした。
「そうですか…ありがとう。」
何だか嬉しくなって、にっこりと笑う。
何故ありがとうと言われたのかよく分かってないながらも、アンジェも笑った。
††3††
「ねぇ、エヴァーライフ。これからどうしようか。」
目の前の、蒼銀の髪をゆったりと三つ編みにした少女が笑い掛けた。
「もう、この街には居られないわよね。私も、貴方も。でも大丈夫、私はいつでも貴方と一緒に居るから。」
輝く太陽のような笑顔を向け、緑の草原をゆっくりと歩き出す。エヴァーライフもそれに続いた。
「どこに行こっか。いきなり全部自由になると、どうすれば良いか分からないね。でも、大丈夫、きっと何とかなるわよ。ね、エヴァーライフ…」
エヴァーライフは目を覚ました。何時の間にか眠っていたらしい。
夢の中に出てきた少女、あれは…
「エヴァーライフ様?エヴァーライフ様?」
ドアの向こうから聞こえてきた声にハッと我に返る。
思い出したくないけど、頭にこびりついて離れないこの記憶…どうして今になって出てくるのか。
出てこないでほしいというと嘘になるかもしれないが。
今まで生きてきて一番暖かい記憶だから。
同時に、一番身を切り裂くような悲しい…
「エヴァーライフ様、いらっしゃらないのですか?」
「…いや、居るよ。どうぞ。」
続いた考え事を振り払い、緩んだ包帯を急いで巻きなおしてから言った。
深く思い出したくないのに、何故考えてしまうのか。
言われてアンジェがドアを開けて部屋に入ってきた。
「良かった…知らないうちに出て行かれたのかと思って心配しました。昼食をお届けに参りました。」
眠っていたため昼食を摂るにはあまり腹が空いていないが、断るのもなんだと思ってトレイを受け取る。
知らない間に出て行く、ということをしようとはもう思えなかった。
ウルスラに興味が沸いた事もあるが、それ以上に言葉では言い表せない何かがあった。何か、新しい感情が。
「食べ終わりましたら、扉の前に食器を出しておいてくださいね。片付けますので。」
「ああ、ちょっと待ってくれ。」
部屋を出て行こうとしたアンジェを呼び止める。すぐさま彼女は振り返った。
「どうされました?」
「君は…僕の事をどう思う?変な意味じゃないけど、奇妙だったり怖かったりしないのか?僕みたいな、素性も知れない奴を。」
アンジェはウルスラに尽くしている。
だから、自分の世話をするのも彼女の意図ではないのかもしれない、と、そう思ったから訊いてみた。
喜ばれない来訪者であるなら、外で過ごすのも良いと思っていたし。勿論死は考えないが。
変に気を遣わせると居心地が悪くなるのも確かだ。
変な気を遣うのも遣われるのも真っ平御免である。
しかしアンジェはフフ、と少しだけ笑うと、柔らかな笑顔のまま言った。
「同じ事をウルスラ様に訊かれましたよ。ウルスラ様がありがとうって私に言ったのも、何となく分かった気がします。流石に面と向かって感想を言うのも恥ずかしいんで、ウルスラ様に聞いてください。答えは同じですから。」
また小さく笑って、アンジェは部屋を出ていった。
何だか上手くはぐらかされたような感じがしたが、彼女の言葉から、どんな答えを出したのか察しがつく。
いや、それよりも。
ウルスラが自分と同じ質問をしていたと言う事が、何だか愉快で仕方なかった。
多分、考えていた事は自分と差して変わらない理由なのだろう。そう思うと、また。
久々の笑顔だった。笑い声を上げたのなんて、実に何百年ぶりのことだろう。
笑った。
あっはっは、と、声をあげて。
エガオ。
凄く懐かしい、埋もれていたモノ。
真っ白なパズルのピースを試行錯誤しながらはめ込んでいくような感覚。
少しずつ何かが自分の中で形造っていくのが分かる。
今日の昼食は、昨日食べたシチューよりももっと美味しく感じた。
凄く久々の投稿ですが、何か夜通し書き続けちゃってますので文がおかしいかも知れないですね。