第五章「出来ることと出来ないこと」
††1††僕がこの世界に生を授かったのは偶然なのか?こんな運命を背負って生を授かったのは。
しかし、流石にこの先運命がどう転ぶか…エヴァーライフはベッドに転がって、誰にともない質問を頭の中で投げかけていた。
昨日ウルスラに自分の事を話した。
しかし、今日また色々なことを話そうとしている…不安だ。
何がどう覆るのか分からないことは、長すぎる人生で承知済みである。
改めていざ話そうとなると、ちょっとした緊張と不安が押し寄せてくる。
ベッドから起き上がって大きく深呼吸。
何やってるんだと自嘲しつつも、少しだけ落ち着いた気がする。
人と話すのに緊張するなどとは、今の今まで体験した事は無かった。
しかも相手は、自分よりはるかに年下の、過保護に育てられて物事をあまり知らないお嬢様だというのに。
本で得る知識と体で得る知識は違うもの。
ウルスラは読書家ではあるが、エヴァーライフの様な特異な者に対してどう接すれば良いのか、なんて分かるわけもないだろう。
まぁ、ウルスラでなくとも分かる人間は無いとも思うが。
コンコン、とノックの音が部屋に転がってきた。
「エヴァーライフ様、ウルスラ様がお呼びです。」
続いてアンジェの声。
その声にまた緊張を覚える…らしくない。どこか恐怖にも似た感情だ。
「…分かった、今行く。」
ウルスラも自分に訊きたいことが有るだろう。
何を訊かれるのかは大体予想がつくが…意を決して、エヴァーライフはドアを開いた。
エヴァーライフは途中廊下を歩きながら、側にあった窓から外を眺めてみた。
今日も雪が止まずに降り続いている。
門から出ていくダグラスとシルヴィアの姿も見えた。
ウルスラは親が出払ってからすぐに自分を呼んだのだろう。
それだけ早く話をしたいという事なのだろうか。
「…エヴァーライフ様?」
アンジェに呼ばれ、はっと我にかえった。
いつの間にかウルスラの部屋の前まで来ていた。
「では、私は食事の後片付けをしてきますから。」
にっこり笑って深くお辞儀をすると、アンジェはぱたぱたと走って行ってしまった。
エヴァーライフはそれを適当に見送ると、ドアノブに手を掛ける。
鼓動が聞こえる。
馬鹿馬鹿しい…何を僕は不安に思っているのか。
ふっと自嘲気味に鼻で笑い、ドアノブを回した。
††2††ウルスラは、今朝エヴァーライフが部屋に来てからずっと、何だかそわそわしていた。
気持ちがどうやっても落ち着かない。
熱のせいで頭がぼんやりしているが、鼓動が早くて強いのは熱のせいじゃないことは分かっている。
未知に対する恐怖なのか、それとも期待や好奇心の類なのか、もっと別の感情なのか。
そこまでは分からないが、ウルスラの胸は妙に高鳴っていた。
「入るよ。」
ガチャリ。
突然ドアが開き、寝ころんだままでびくっと体を揺らした。
ノックくらいしてくれれば良いのに、と思いつつ、体を起こそうとする。
「エヴァーライフさん、来てくれて有りが…」
「体を起こす必要は無いよ。そのままでいい。無理はいけない。」
すたすたとウルスラの側まで歩いてきたエヴァーライフは、体を起こそうとした彼女の肩を掴んで再びベッドに戻した。
昨日との態度の変貌ぶりに戸惑い驚く。
視界はぼやけてふらついているし、やはりまだ熱が下がりきっていないので、彼の行動はウルスラにとって有り難いことだった。
「すいません、こんな格好のままで。」
「いや、元々は僕のせいだからな。君がこうなったのは。」
近くにあったウルスラの揺り椅子をベッドの隣まで運び、それに腰掛けながら言った。
「私がもう少し丈夫に出来ていれば、ご心配をかけることも無かったんでしょうけど…」
「それは仕方ない。自分を卑下する必要は無い。」
何だか、つっかえていたものというか…重苦しい雰囲気が薄れている。
仮面の様な無表情か暗い顔しか見せてくれていないが、これはこれで良いことだ。
「ところで…僕は君に幾つか訊きたいことが有る。君も僕に訊きたいことが有るだろう。」
エヴァーライフの顔が、無表情から引き締まった…そして、暗くて厳しいものに変わった。
訊きたいことなら沢山有るが、少年の顔を見て、訊くのが少し億劫になる。
ひょっとしたら、触れてはいけない事に触れてしまうのではないかと。
「…大体訊きたいことは分かってるつもりだ。遠慮する必要は無い。」
ウルスラの心中を察したか、エヴァーライフはそう言った。少しだけの沈黙。
「…それじゃ、エヴァーライフさん…あなたの、その…目は一体何なのですか?」
ウルスラの問いに、エヴァーライフはおし黙った。
そして、黙ったまま包帯をするすると取っていく。
そこには、やはり見間違いなどではない、正真正銘の翼が詰まっていた。
「この目…僕にも分からないんだ。僕が十六の誕生日を迎えた日、僕の目はこうなったんだ。」
十六の誕生日を迎えた日…それ以前の事は、何故だか全く記憶が無いんだけど、と付け加えた。長い年月の中で記憶が風化してしまったのか、エヴァーライフは翼の目になる前の記憶が全く無いのだ。
「他には?」
「えっと…死ねない体だって言うのは…?見た目は…その…私と同じくらいですし。」
確かに、不死の肉体を持っている、なんて言われても俄かには信じ難い。
「…僕は、この目になってから成長しなくなっている。信じられないとは思うけど、信じて貰うしかないな。ただ、死ねないとは言っても、刺されて死んだり飢えで死んだりはするだろうけど。」
まぁ、不死の証拠を見せろと言って見せることが出来るわけではない。
死ねないと言うのは彼の場合語弊が有るが、自ら命を断ったり他人に殺して貰う以外では死ねない、というのも不死と言えなくもない。
正しく言えば、十六歳の時点で時が止まっている、ということになるだろうか。
「他には?」
他…訊きたいことは沢山有るが、自分ばかり訊くのは少し気が引けた。
「私ばかり質問するのも何ですから、エヴァーライフさんの質問も訊かせてほしいんですけれど…」
少し間を空けて、エヴァーライフはふむ、と頷いた。
「とはいえ、僕が訊きたいことは少ない。…君は、僕を見てどう思う?気味が悪くないのか?」
少年の顔が暗くなった。しかし、目は真っ直ぐにウルスラに向いている。
「…最初は、確かに怖かったです。でも、エヴァーライフさんはその目以外は私と…普通の人と変わりません。だから気味悪く思ったりとか、怖がったりとかはしないです。」
ウルスラの笑顔が、その言葉が真実であると語っていた。
似ている、と思った。
遠い過去に出会った、同じウルスラという名の少女と似ている、と。
「次は君の番だ。」
『過去のウルスラ』の事を思い出さぬようにと、エヴァーライフは質問を急いだ。
「それじゃあ…」
ウルスラは、一番気になっていた、不思議に思っていた事を訊こうと思った。
それは、昨日彼から聞いた言葉…
「どうしてエヴァーライフさんは、死にたいなんて思ったんですか…?」
††3††
ウルスラは死にたいと思った事は無い。
もっと元気に、もっと丈夫になりたいと思い、死など微塵も考えたことはない。
だから、エヴァーライフが死を望んだことが不思議だったし、何故そう考えるのかが分からなかった。
理由は昨日、意識を失う前に聴いた。しかし、どうも納得がいかないのだ。
「…それは昨日言った。僕は長いこと生きてきて、人の死や悪い部分を沢山見てきた。そして、これからもずっとそうだろう。辛い思いだって沢山してきたし、この外見から、化け物呼ばわりされたことも何度もある…」
「だからって、死んじゃ駄目だって思います。」
エヴァーライフの眉がぴくりと動いた。
少し苛立ったような気がする…ウルスラは少し怖じたが、それでも真っ直ぐに少年の目を見つめた。
「じゃあ逆に訊くけど、何百年も生きている僕の気持ちが分かるか?…大切な人が死に、一人だけ取り残される、そんなことを何度も繰り返してきた僕の気持ちが。」
言われてウルスラは口を噤んだ。
エヴァーライフの顔は、苛立ちと…哀しみで満ち溢れていた。
想像出来ない。
自分の親や兄弟、愛する人が目の前で死んでいく。
それなのに自分は老いてすらいない…それが繰り返される…その気持ち、凄く悲しいと思う。
しかし、やはりそれは本人にしか分からない感情なのだ。
「でも…死んじゃ…」
「ずっと苦しみを背負って生きているより、死んで苦しみから解放されるほうがよっぽどましだと思う、そんな気持ちを君は理解出来ないだろうな。」
沈黙。突き放すような語気に圧されていた。
しかし、少しでも繋がりを持てた人…いや、そうでなくとも、自ら命を断とうとしている人を放っておきたくない。
「…もし、死んでしまったら…」
エヴァーライフには、自分の考えは理解出来ないかもしれない。
でも、言えることは伝えようと思った。
「次の瞬間に起きる筈の良いこととか、次の瞬間に巡り会える筈の大切な人とか、次の瞬間に見れるはずの綺麗な景色とか…そういう『大切な事』を自分から捨ててしまうことになりますよね。それって、凄く勿体無いなぁって思うんです。」
エヴァーライフは表情を変えず、黙ったまま聴いていた。ウルスラはさらに続ける。
「生きていれば、可能性は無限大なんです。大切な人が死んでしまうのは凄く悲しいと思うけれど、ひょっとしたら、違う大切な人と出会えるかもしれないですし…辛いことを言われても、ひょっとしたら、嬉しい事が起きるかもしれない。そう考えると、自分から死を望むのって、何だか勿体無い気がしないですか?」
少年はなおも押し黙ったまま…ウルスラの言葉は、気持ちは、彼に届いているのか。
少し、端の方に触れるだけで良い。
少しでも、死を考えてくれるのを思いとどまってほしい。
少女の願いはそれだけである。
「全部捨ててしまったら、何にも出来なくなってしまいます。生きていれば、何でも出来るんです。勿論、どうしても出来ないことっていうのは有るかもしれないですけど…」
「……」
「それに、私は…エヴァーライフさんが死んでしまったら悲しいです。」
驚いたように、エヴァーライフはウルスラを見つめた。ウルスラは笑顔である。
今まで、彼女のような人とはあまり出会ったことが無い。
不思議な気分だった。
自分が死ぬことで悲しんでくれる人なんて、数えるくらいしか居なかった。
「…熱が有るのに長話させて悪かった。」
しばらく黙ったままだったが、エヴァーライフはそう言って椅子から下りた。
まだ訊きたいことは有ったが、訊く気になれなかった。
何か言いたげだったウルスラを振り切る様に、急いで部屋を出る。苛立ちは何故か消えていた。
生きていれば何でも出来る、死んでしまったら何も出来ない。
少年の頭には、ウルスラのこの言葉がずっと張り付いていた。
応援のメッセージを頂きまして、ちぃと力を入れました。メッセージもらうとやっぱり励みになります(^_^)