お目付け役は王子様 2
「シェイラ、顔を上げて」
しょんぼりと肩を落とし反省していたら、リンドの穏やかな声が降ってきた。
そっと顔を上げれば、リンドが少し困った顔でこちらを見つめていた。
「……はい」
「君が心配なんだ。確かに魔物の完全討伐は、聖女にしかできない。でもそのために君に犠牲になってほしくはないんだ」
「で、でも……私がやらないと皆が……」
リンドの眉がへにょりと下がった。
「君はもう充分にやってくれているよ。シェイラ」
「……」
リンドは純粋に自分を心配してくれているのだ、と気づいて、うなだれた。
けれど肝心の魔物は、なかなかいなくならない。片付けても片付けても次から次にこんこんと湧いて出てくる。
『なぜ今代の聖女は、いまだ魔物を一掃しきれぬのか? 過去の聖女たちであれば、そろそろ片付いてもよさそうなのだが』
『まったくだ。もしや手を抜いているのじゃあるまいな? 王宮でいい暮らしをさせてもらっていると聞くし……』
『あれだけまずいパンを民に押しつけておいて、いいご身分だな。まったく……』
そんな声が次第に上がりはじめていることは、知っていた。神官たちだって、なぜこうも魔物の減りが遅いのかとじりじりしていると聞いている。
そんなことを聞けば、どうしたって焦りはする。
急がなくちゃ、一匹でも多く魔物を退治して聖女の役目を果たさなきゃって。
けれどリンドは苦笑しながら優しく告げた。
「わかっている。そんな君だからこそ、無理はしてほしくないんだ。きっとここにいる皆だって、同じ気持ちだと思うよ」
「え……?」
はっとまわりを見渡せば、衛兵や侍女たちが心配そうな顔でこちらを見つめこくこくとうなずいていた。
「皆君が思いつめた様子で目の下にくまを作っているのを見て、気にかけていたんだ。これ以上無理をしたら倒れてしまう、とね」
「そう……だったんですか……。私何も知らなくて……」
ふと見れば、カイルも離れたところから心配そうにこちらを見つめていた。いつもならからりと明るく笑っているはずのカイルが。
そんな顔をさせてしまったのが自分なのだと知って、申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
「ごめんなさい……。皆にそんな心配をかけてしまって……」
「いや、こちらこそ君ひとりに重荷を背負わせてしまっていることを、心から申し訳ないと思っている。ご神託と言えども、君がひとりで苦しむことはないんだ……。すまない」
「……」
リンドの言葉が胸にじんわりと染み渡った。体中に入っていた余計な力が、ふわりと緩んでいく。
「でもそうは言っても君は真面目だからな。だから……」
「……?」
リンドがちらと侍女に目配せすると、さっと一枚の紙が差し出された。
「君が今後無理をしなくても済むように、新たな取り決めをしようと思っているんだ」
「取り決め? どんな?」
きょとんと目を瞬かせて、リンドから手渡されたその紙をまじまじと見やった。
そこには――。
『その一 一回のパンこねは手や腕への負担も考え、一時間までとする。
その二 一時間ごとに、王宮特製の甘味休憩を必ず取ること。
その三 食事は、可能な限り自分と同席する。公務により無理な場合は、日替わりで侍女と一緒に取ること。
その四 夕方六時までにはすべての業務を終了し、その後一切のパンこねを禁じる。
その五 睡眠前の快眠ルーティンを忘れずに行ってから、就寝すること』
すべてに目を通し終え、あんぐりと口を開いた。
「え、えーと……この食事を自分と取るっていうのは!? 一体誰のこと……ですか?」
もしやと思いつつもたずねれば、リンドがにっこりと笑った。
「もちろん私のことだよ。シェイラ」
「リンド王子殿下が……? 私と、食事を……一緒に!? えええっ⁉ なんでぇっ?」
何がどうなってただのパン屋の娘である自分と、一国の王子がともに食事の席につくことになるのか。さっぱり意味がわからない。
そもそも町を一緒にそぞろ歩きするのだって、草の上で並んで大の字に横たわるのだっておかしい。
けれどリンドは、当然だと言わんばかりの顔で微笑んでいる。
「ええええー……? 本当に? リンド殿下と一緒に……食事、するの?」
リンドがこくりとうなずいた。
「とは言っても公務があるから、毎日というわけにはいかないけどね。できるだけ顔を出すようにする。そうすれば、君も『もうちょっとだけ』なんて言って、侍女たちが止めるのも聞かず無理をすることもないだろう?」
「ぐっ……!」
どうやらこちらの行動パターンはすっかり読まれているらしい。
(確かに王子がいる前で、小麦粉だらけになってパンをこねるわけにはいかないもんね……。仕方ないかぁ……)
果たして目の前にリンドがいて、満足に食事を堪能できるのかは謎だけど。それでなくてもリンドを前にすると、胸がドキドキして落ち着かないのに。
「あ、あの……あとこの快眠ルーティンというのは……?」
これに関してはさっぱり意味がわからない。もしやよく眠れるように、軽い運動でもさせるつもりだろうか。
首を傾げつつ問いかければ、リンドがちらと侍女に目配せした。
「それに関しては、夜になればわかると思うよ。今夜からさっそくセシリアがあれこれとしてくれるはずだ」
「はぁ……」
ちらと侍女のひとりであるセシリアに視線を移せば、セシリアがにっこりと微笑んだ。
「ふふっ! どうぞ楽しみにしていてくださいね。シェイラ様。大丈夫です。きっとぐっすりお休みになれるはずですから、お任せくださいっ」
自信たっぷりなその微笑みを不安げに見やり、とりあえず小さくうなずいたのだった。