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パンまず聖女、町に出る 3

「どこまで行くんだ? この先はもう森しか……」


 にぎやかな町の往来を抜け自分の家であるパン屋の横の道も通り過ぎ、さらに先へと進んでいく。


「もうちょっとです。うんと素敵な場所なので、期待してください!」


 久しぶりに訪れるとあって、ついつい足取りが軽くなる。

 細い道をしばらく歩き、そしてついに目的の場所へと到着した。


「ほら、ここです! この場所が、私の一番お気に入りの場所なんですっ」


 目の前に広がる豊かな緑いっぱいの景色を指さし、にっこりと微笑みかけた。


 ここはうちのパン屋の裏手にある、小高い丘だった。

 どこまでも続くなだらかな丘の先には、こんもりと茂った森が見える。そのまた向こうに見える山の稜線も、実に見事な景観だ。


「落ち込んだり嫌なことがあったりした時は、いつもここにくるんです。草の上にどーんっと仰向けになって空を眺めていると、色んなことがどうでもよくなる気がして」

「草の上に? どーんと?」


 ふふっと笑い、うなずいた。


「よかったら殿下も寝っ転がってみてください! 草の匂いがすごくいいし、気持ちいいんですから」


 リンドの返事も待たずに、草の上にごろりと横たわった。


 さわさわ……、さわさわ……。

 ひゅるり、ひゅるり。


 さわさわと爽やかな風が丘を吹き渡っていく。ふわりと風が頬をなでるたび、心の中にいつしか積もっていた澱のような不安が薄らいでいく気がする。


 鼻腔を満たす草の匂いを胸いっぱいに吸い込み、大きく深呼吸を繰り返した。


「んーっ……! やっぱり最高っ。いつもこんな景色を見ながら過ごしてたせいか、王宮に閉じこもっていると呼吸が浅くなる気がして……」


 町に出てお触れを見た時にはどっぷり落ち込んだけど、今はきてよかったと心から思う。

 これもリンドが一緒にきてくれたおかげだ。ひとりよりは誰かと一緒の方が、絶対楽しいに決まってるし。


「確かにここはいいところだな。まるで自然と一体になった気分だ」


 リンドも隣でごろりと横になり、大の字で空を見上げていた。


「空が……広いな……。草の匂いもとてもいい」

「ふふっ! でしょう。こうしてると、大地が自分の中にある色々な悩みや悪いものを吸い取ってきれいにしてくれる気がするんです」

「あぁ。わかる気がする……」


 空をゆっくりと流れる雲を見つめゆっくりと目を閉じれば、リンドの満足げな吐息が聞こえてくる。

 すぐ隣に寝転ぶきれいな横顔に、なぜか胸がドキドキと高鳴った。


(私ったらどうしたのかしら……。なんでこんなに胸がうるさいの?)


 忙しない胸の高鳴りに戸惑っていると、リンドが目を閉じたまま小さく笑った。


「そうか……。だからあの時君は……」

「え? なんですか?」


 一体何の話かと聞き返せば、リンドがパチッと目を開いて笑った。


「いや、なんでもない。ちょっと昔のことを思い出していただけだよ」


 リンドの笑顔がなんだか眩しく見える。空を見上げていたせいで、目がチカチカするだけだろうか。でもなんだかそれだけじゃない気がする。


 それからしばらくふたり並んで草の上に座って、とりとめのない会話を楽しんだ。


 王宮で出た何の料理がおいしくてびっくりした、とか、発酵して膨らんだパン種に手をむぎゅっと突っ込むのが気持ちがいいとか、そんなくだらないことばかり。

 けれどそんな一時が、とても楽しかった。このまま時が止まってしまえばいいのに、と思うくらいに。


 リンドも終始楽しそうににこにこと微笑んでいた。その笑顔があんまりにも穏やかで優しくて、胸のドキドキがなかなか収まってくれなかった。


 少しずつ日が傾き、丘が茜色に染まりはじめた頃。


「さて……と、そろそろ帰るか。いい加減公務を片付けないと、大臣たちがうるさいからね」


 リンドがひとつ伸びをして、立ち上がった。


「そうですね。私も帰っていっぱいパンをこねなくちゃ! 魔物たちを一日も早く片付けなきゃいけないですからねっ」


 あんなにもやもやと沈んでいた心が、すっかり軽くなっていた。


「王宮に戻る前に、家に寄らなくていいのか? 店はすぐそこだろう?」


 リンドが、ぱっと見ただの家にしか見えないだろうパン屋を指さした。


 そういえばまだそこが自分の家だとはリンドに教えていなかった気がする。

 とうしてわかったんだろう、と首を傾げつつも首を横に振った。


「いいんです。聖女の務めを果たすまでは、両親にも弟にも会わないって決めているので。務めをちゃんと果たしたら、胸を張って帰ります」


 本当は今すぐにでも帰りたいし、皆の顔を見たい。いくら豪華でもよくしてくれても、王宮でひとり暮らすのはとても寂しいし。


 でも、国の人たちが魔物たちの脅威に怯えているのに知らぬふりはとてもできない。自分にしかできないことがあるのなら、ちゃんと役目を果たして家に帰りたい。


「だから今はいいんです! きっと両親も弟も、わかってくれると思うから……」

「そうか。色々と辛い思いをさせてすまない。シェイラ」

「いいんです! だって私は聖女なんですからっ」


 にっこりと明るく笑ってみせれば、リンドも優しく微笑んだ。


 ふたりの間を、ふわりとやわらかな風が通り過ぎていった。


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