パンまず聖女の平穏 4
トルクが消えた部屋に、ぎこちない沈黙が広がった。
「……」
「……」
実のところ、リンドとこうしてちゃんと向き合うのは久しぶりだった。リンドは戦いから戻ったあとも色々後始末に追われていたし、自分も相変わらずパンこねに忙しかったし。
そのせいか、久しぶりのリンドと向き合うのが嬉しくも気恥ずかしい。
しばしの沈黙ののち、ようやくリンドが口を開いた。
「君の作ったパンリース、とても好評だそうだよ。家の軒下や窓辺に飾ると、危険なものを遠ざけ平穏に守られるとかなんとか……」
「あ……それはよかったです。へへっ」
自分の作ったパンを編み込んで作ったリースに、そんな効力があるとはとても思えない。でもまぁそれが皆の平穏に役立っているのなら何よりだ。
「それにしても、どうして聖力はいまだに消えないんでしょうね? やっぱり化け物を倒せるくらいに特別だったよぼよぼ聖女の力のせいなんですかねぇ」
脳裏にあのしわがれた、特徴のある声がよみがえった。
「ふふっ。癖の強いおばあちゃんだったなぁ……。近所にいたらちょっと大変かもしれないけど、一度生きているうちに話がしてみたかったかも」
化け物を無事倒した瞬間、あの老女は言った。
『ふぇっふぇっふぇっ! ほぅれ、やればできるじゃないか。小娘! じゃああたしはそろそろお暇するとするかね。あとはあんたがしっかりおやり』
そう言って、体内を流れるあたたかな聖力を残し老女は消えてしまった。ありがとう、もさよならも言う間もなくあっさりと。
それがいかにもあの老女らしくもある気がしたし、残念な気もした。
「確かにそうだな。私もぜひ感謝を伝えたかった。この国のひとりの民としても、王子としてもね。それにもっちーズにもあらためて礼を言いたかったんだが、もう現れないとは残念だよ」
リンドの視線が、かつてもっちーズたちがお昼寝に使っていたクッションの山に向いた。その顔に寂しそうな色が浮かぶ。
リンドにとっても、もっちーズは大切な存在となっていたのだろう。侍女たちも衛兵たちもクッションの上ですやすやと寝息を立てていたもっちーズに思いをはせ、目を伏せた。
「本当ですね……。私も、寂しいです。でも私、思うんです。きっともっちーズちゃんたちは私がいっぱいいっぱいだったのを心配して、出てきてくれたんだろうって」
「いっぱいいっぱい?」
リンドの問いにこくりとうなずいた。
「私が大変そうなのを心配して、元気づけたり手伝ってあげようとして現れてくれたんだろうなって。今もっちーズちゃんたちがいないのは、それだけもう国が平穏になったってことなんですよ。きっと!」
そう思えば、寂しさも少しは紛れる。もしまたもっちーズたちが現れるようなことがあれば、それはまたこの国に危機が迫っているとか聖女の身に大変なことが起きてるってことになるんだし。
「そうか……。確かにそうかもしれないな。何せ彼らは君の分身、だからな」
「はい!」
いつかもう一度あのふわもちの体を抱きしめたい気はするけれど、国が平穏ならそれが一番だ。
そう言い聞かせて、リンドとふたり微笑み合った。
「あっ! そうだった。肝心の用件を忘れていた」
リンドが何かを思い出したように声を上げた。
きょとんと目を瞬けば、リンドがにっこりと笑った。
「ここにきた用件を伝えるのをすっかり忘れていた」
「用件、ですか?」
リンドはこちらを見つめ、こくりとうなずいた。
「ようやくゲルダンたちの処分も決まって、面倒な残務処理もあらかた片付いたからね。そろそろ息抜きをするのも悪くないかと思って、今日は君を例の場所に誘いにきたんだ」
「……例の場所? って、ええと……なんでしたっけ?」
リンドの目がきらり、といたずらっぽくきらめいた。
「前に約束しただろう。すべて無事に事が済んだら、ふたりで草の上に寝転んでのんびりしようと。それを果たしに行こう! シェイラ」
「あ……!」
そう言えばそんな約束をした気がする。聖力を使い過ぎてぼんやりとした頭で聞いていたから、記憶は朧ろげだけど。
「今日はこんなにいい天気だし、そろそろ君も気分転換が必要だろう? 王都に戻ってきてからずっと、休みなくパンをこねていると聞いているし」
確かに国から魔物を一掃して以来、一度も町にも出ていない。そろそろ息抜きをしたって罰は当たらないだろう。
それに町は皆歓喜に沸いて随分とにぎやかな様子だと聞いている。
リンドの提案にこくりとうなずき、笑みを返した。
「いいですねっ! 今日はいいお天気だし、空も雲ひとつない絶好の空模様だし!」
魔物の脅威からようやく解放された喜びでお祭り騒ぎの町に行けば、おいしい屋台だって並んでいるかもしれない。以前リンドと一緒に町を歩いた時のように、また買い食いしながら町をそぞろ歩きするのも悪くない。
そしてふくれたお腹でごろりと草の上に寝転んで、たっぷりと深呼吸をするのだ。
そんな光景を想像すると、自然と頬が緩んだ。
きっと聖女として王宮にいられる日々も残りわずかに違いない。老女が残してくれた聖力が消えれば、もう王宮で備蓄用のパンをこねる必要なんてなくなるのだし。
そうなったらただのパン屋のシェイラに戻るのだ。
リンドとこうして顔を合わせて会話できるのも、きっとあと少しの間だけ。
そう思った瞬間、胸にチクリと痛みが走った。
それを振り払うように、にっこりと明るく笑った。
「よしっ! そうと決まればさっそく行きましょうっ。リンド殿下!」
「あぁ! だな。行こう、シェイラ」
すくっと立ち上がりうなずけば、リンドが嬉しそうに笑った。




