パンまず聖女の平穏 2
「おーいっ! シェイラ。遊びにきてやったぞーっ」
元気などこか小生意気な声に、シェイラはあんぐりと口を開いた。
「トルク! なんでここにっ? ここ、王宮よっ」
片腕を包帯で吊られ痛々しそうな見た目ではあるが、すでに傷はほぼ治っているらしい。でもあんまりにもトルクが調子に乗って無茶をするものだから、医者が無理やり包帯でぐるぐる巻きにしたんだとか。
つまりトルクはいつもと変わらず元気いっぱいだった。
その姿にほっと安堵していると、トルクがあきれた顔で嘆息した。
「はぁー……。シェイラ、お前って本当に色気もなんもないなぁ」
「は……?」
久しぶりに会ったというのにいきなり喧嘩を売られ、思わずムッとする。
「せっかくこんなピカピカの王宮にいんのにさ、そんな粉だらけの恰好しちゃってさ。そんなんじゃ、いくらリンド殿下が優しいからってそのうち愛想尽かされちゃうぞ?」
「あ、あああああああ愛想!? 何を馬鹿なこと言ってるの! そもそもリンド殿下とはそういうんじゃ……」
大きな声で言い返すも、トルクはやれやれと肩をすくめ半笑いの表情を浮かべている。
相変わらずの小生意気さである。
「にしてもなんでここに? 衛兵に止められなかったの?」
するとなぜかトルクが、えへんと胸を張った。
「そんなの決まってんじゃん! 俺がリンド殿下にお許しをもらったんだよ。お前もきっと俺に会いたいだろうからってさ!」
にんまりと笑ったトルクを見やり、目をぱちぱちと瞬いた。
「許しをもらったって……」
半信半疑で首を傾げていると、またしても扉が開いた。
「やぁ、シェイラ。おっ、トルク! もうきてたのか。早かったな」
「殿下!」
まるで申し合わせたようにタイミングよく現れたリンドに、パチパチと目を瞬く。
「あっ! リンド殿下じゃんっ。へへっ。さっそく遊びにきてやったぜ」
「あぁ。けがも大分よくなったようだね。元気そうで何よりだ」
どうやらリンドとトルクとは初対面ではないらしい。一体いつの間に親しげに言葉を交わす間柄になったのか、いやそもそも一国の王子とこんなに砕けた物言いをしていいのかどうか、と小さくうなった。
けれどリンドは一向に気にしていないらしい。
するとリンドが教えてくれた。
「実はこの間、各地の視察の際にトルクと話す機会があってね。この国の王族のひとりとしても、トルクのけがの責任があるし、一度は会っておかないとと思って。その時に、君に会いにきていいと許可を出したんだ」
「な、なるほど……」
きっとトルクがちゃっかり頼み込んだんだろうな、なんてと思いつつも、相変わらずのトルクに安堵の息をもらした。
「ごめんね、トルク。あんな目に遭わせちゃったのに、あやまりに行くのが遅くなっちゃって……。けが、痛かったでしょう? 怖かっただろうし……。本当にごめん」
本当は聖女としての務めを果たし終えたら、その足でトルクのもとにお見舞いに行こうと思っていたのだ。あれは幻影相手だったのだから仕方がないとは言っても、怖くて痛い思いをさせたことに責任は感じていたし。
けれどトルクはきょとんと目を瞬き、肩をすくめた。
「なんでお前があやまるんだよ。お前は何も悪くないだろ。そりゃさ、ちょっと前までは聖女のことを悪く言うやつもいたけどさ、今じゃシェイラのこと皆『救国の聖女様』って呼んでるんだぞ」
「『救国の聖女様』!? 何よ、それ?」
聞けば、今民の間では自分のことを『救国の聖女』などと呼んで大人気なんだとか。
なんでも、未曾有の危機から恵みの光で国を救った最強聖女の伝承があるらしい。
その力によって救われた国は、長らく脅威に怯えることなく幸福に暮らせるのだ、と。
(それって、間違いなくあのよぼよぼ聖女のこと……だよね? 私はあの老女に聖力を借りて、言う通りにしただけだもん)
けれどあの化け物のことも恐ろしい研究も、民は何も知らないままだ。
ということは、あの老女の功績もまた誰にも知られず仕舞い秘密のままということになる。
「私、特別なことなんて別にしてないんだけどなぁ……」
皆の力が結集した結果、奇跡が起きたに過ぎない。聖女の力だけじゃ、絶対にどうにもならなかったんだし。
思わずつぶやけば、リンドが微笑んだ。
「君の頑張りが国を救ったことに変わりはないんだから、胸を張っていればいい。それに」
リンドがテーブルの上においてあったパンリースを手に取った。
「『救国の聖女』の守りがあると思えるからこそ、民は心強くいられるんだからね。だからこそこのパンリースも、皆に大人気なんだから」
「まぁ、確かに。皆が幸せで安心できるなら、聖力が続く限りは頑張ります!」
きっと聖力もあと少しでなくなるはずだ。ならばそれまでは頑張ろう、と拳を握りしめれば、トルクがにやりと笑った。
「ま、俺にとってシェイラはシェイラだけどなっ。いっつも粉だらけの白い顔してる、ただのシェイラだ!」
「白い顔は余計よっ! トルク」
ぎゃあぎゃあと言い合う自分たちに、リンドが楽しげに笑った。
「にしても、不思議だよな。まだ聖力が消えないなんてさ!」
リンドがこくりとうなずいた。
「あぁ。過去の聖女にはなかったことだからね」
魔物はもういない以上、聖女の存在意義は特にない。
たまたま聖力入りのパンをこねる、なんて奇妙な聖力の放出方法だったがゆえに、いまだにパンをこねているだけで。
「でもまぁ、あとちょっとのことだと思うわよ? そさしてらまた元通り、ただの平凡なパン屋の娘に戻るんだし」
そうだ。いつまでもここにいたら、ますますリンドと離れがたくなってしまう。
それに、そのうちリンドは未来の王妃になるどこかの令嬢と婚約して、幸せな結婚をするだろう。その姿を、近くで見ていたくはない。
そんなの、あんまりにも辛すぎるし。
さすがにそういうことに疎い自分でも、自分の心の中に芽生えたこの感情が何であるのかはわかっていた。
リンドに、恋をしてしまったのだ。絶対につりつり合うはずのない王子に、叶うはずのない恋を。
(これ以上辛くなる前に、別れが寂しくなる前にここを出なきゃ……。元通りの暮らしに戻るだけ。きっとすぐに忘れられるはず)
胸の奥に走った痛みに蓋をして、笑ってごまかした。




