背中を押してくれるもの 5
ウ……、グ……グギギギギィィィッ……。
体を縛りつけていた聖力の効力が切れはじめたのだろう。化け物がこちらを憤怒の表情でにらみつけながら、ゆっくりと頭をもたげた。
「さぁ、どうやら化け物がお目覚めみたいです……!」
化け物の目に浮かんだこれ以上ない怒りの色に、ごくりと息をのんだ。
けれどここで怯むわけにはいかない。
リンドはこくりとうなずいて、兵たちに凛とした声で命じた。
「さぁ! お前たちっ、ついに最後の決戦の時だっ。我々には、かつて化け物をひとりで倒したという伝説の聖女の加護がある! 怯むことはないっ。ありったけの武器で化け物を攻撃するんだっ!」
響き渡る声に、兵たちが雄々しく答えた。
「はいっ! お任せくださいっ」
「我が国の平穏は、俺たちと殿下、そして聖女様で守ってみせるっ‼」
「俺たちの国を化け物から守るんだっ!」
「おおおおおおおっ‼」
その声に背中を押されるように、シェイラは化け物をぐいと見上げ口元をぎゅっと引き結んだ。頭の中で老女が笑う。
『さぁ、行くよ! 小娘っ。なぁに、ビビることはない。あんなの、頭は空っぽのただの頑丈な箱みたいなもんさ。力押しでぶっ潰せばいいんだよ!』
「はいっ! 頑張りますっ‼」
大きな声で老女に答えれば、老女がひぃっひっひっひっ、と笑った。
「シェイラ。どんな衝撃があろうと、必ず私が君を支える。だから思い切り聖力を放て!」
「はいっ! わかりましたっ」
背中を抱きかかえられるようにリンドが体を支えてくれる。その熱を感じながら、体中に流れる聖力に意識を集中する。
兵たちの雄々しい声と、その前に陣取り絶対に化け物から皆を守ってみせると意気込むもっちーズたちの姿。そして、大気中にもなんとも清浄な気持ちのいい空気が流れていた。
(不思議……。全然怖くない。さっきまではあんなに不安だったのに……)
まるでこの国の大気も大地も、風も何もかもが自分に味方してくれているようだった。これ以上ない頼もしさを感じながら、シェイラはこくり、とうなずいた。
「では……行きます! 皆、どうか力を貸して。きっと……ううん。必ずこの国から化け物も魔物も一匹残らず一掃してみせる……‼」
すうっと息を大きく吸い込んで、ありったけの力を込めて手のひらを化け物に向けかざした。
「さぁ! 化け物っ。私が相手よっ。もうこれ以上好き勝手にはさせないんだから‼」
兵たちの放つパン礫と同時に空へと放たれた桁違いの聖力は、化け物どころか辺り一帯をぐんぐんとのみ込んで満たしていく。
白い聖なる光に満ちた大地の上を、化け物が耳をつんざくような咆哮を上げのたうち回る。
すでに化け物の姿は聖力に包み込まれ、輪郭さえも見えない。けれどその力がぐんぐん削り取られているのが、体感でわかった。
(勝てる……、絶対に勝てるっ! この国を絶対に守り切ってみせる……!)
ふと老女の声が聞こえた。
『やるじゃないか。小娘。やっぱりあんたはあたしが見込んだ聖女だけあったようだよ。ひっひっひっひっ!』
全身から聖力を放ちながらも、なぜか心の中は凪いでいた。その不思議な静けさに心地よくたゆたいながら、ふと老女に問いかけた。
(どうしてあなたは、私に力を貸してくれたの? だってあなたは誰の助けも得られずに、たったひとりで化け物を倒せって命じられたんでしょう? 恨んだりはしなかったの……?)
緊急事態だったとはいえ、ただの老女だった聖女に命を懸けてたったひとりで国の未来を委ねるなんてあまりに残酷だ。なんで自分だけがこんな目にって、国に恨みを抱いたっておかしくない。
なのにどうして、こうして長い時をへてまでも手を差しのべてくれる気になったんだろう。
それがどうにも不思議だった。
すると老女はくっくっくっくっ、としわがれた声でおかしそうに笑った。
『そんなの決まってるさ。あたしにとってもこの国は、かわいい孫やひ孫たちが暮らす大事な国なんだからねぇ。聖女だろうが何だろうが、必要とあればなんだってやるさ』
思いがけない優しげな声に、シェイラはこくりとうなずいた。
老女も老女以外の過去の聖女たちも、きっと同じだったのだ。皆この国が好きで、大切な人たちの平穏な暮らしをただ守りたくて必死だったのだろう。
時に重圧から逃げ出したくなったりもしながら、それでもこの国を守るために一生懸命に魔物と対峙してきたに違いない。
ふと自分の背中に、過去の聖女たちもこの国に生きていた多くの民の気配を感じた。そのすべての人たちの思いが力となって、全身をあたたかく支えてくれる。
(うん……。私も同じ! 私も……この国が大好きで、大切な人たちの暮らしを守りたくてここに立ってる! ここは、私にとっても私の大切な人たちにとってもかけがえのない大切な場所だから……!)
その瞬間、聖力が一層まばゆく光り輝いた。その光はまるで星のように空から降り注ぎ、音もなく静かに穏やかに地上に降りてくる。
息をのむほどに美しく幻想的な光景に、思わず息をのんだ。
グワァッ……⁉
ウ……ウグワァァァァッッ……‼
化け物が、細く長い最期の咆哮を上げた。と同時に、その巨体がみるみるシュウゥゥゥゥッ……、という音とともに空気に溶けはじめた。
そしてあっというまに化け物の体は、跡形もなくこの国から――いや、この世界からきれいさっぱりと消滅したのだった。
同じ頃、国のいたるところで同じ現象が起きていた。民が空を見上げ歓喜の声を上げていた。
突然空から降り注ぎはじめた白い光は、今にも町や村に襲いかかろうとしていた魔物たちの体を次々と貫いたのだ。
グギギギギギギィィッ!?
ゴ……ゴグァァァァァァッ!
咆哮を上げ、みるみる跡形もなく光の中に消えていく魔物たちの姿に、民は驚きそして理解した。
「聖力だ……。聖女シェイラ様の聖力だっ」
「聖女様が聖力で、俺たちを助けてくださったんだ……!」
キラキラと降り注ぎ続けるあたたかな光に、民が空を見上げ歓喜に沸いた。
「なんてきれいであたたかい光だろうねぇ……」
「まったくだ。心まできれいになってくみたいだ……」
「我らが聖女様は、なんと立派な方か……」
そしてモンクル村でも――。
「トルク! 見ろっ。外が光でいっぱいだっ。魔物も全部あっという間に消えちまったよ!」
驚きの声を上げながら部屋に転がり込んできた父親に、トルクは「へへっ!」と笑い声を上げた。
「当然さ! シェイラはこれくらい、簡単にやってのけるさ! あいつは見た目より根性あるし、やるときゃやるやつだからなっ」
なぜか誇らしげにそう告げ、窓の外を見やった。
窓の外では、まだ白い光が静かに優しく降り続けていた。まるで長く続いた魔物との戦いで疲れ切ったこの国の大地を、優しく癒すように――。
それをやわらかな笑みで見つめ、トルクはほっと安堵の息をついたのだった。




