いざ、最後のお掃除です! 2
「殿下っ! いましたっ。東南の方向に、巨大な魔物――いや、化け物が現れましたっ」
「別隊と目下戦闘中のようですっ!」
見張りの兵の緊迫した声に、シェイラは馬車の窓から身を乗り出した。
そこにいたのは、やっぱりただの魔物ではなかった。
体の一部に獣らしさを残しているとは言っても、その姿は一見普通の魔物のようにも見える。火を噴き人間たちに襲いかかるその凶暴さも、魔物そのものだ。
けれど明らかにその身にまとう気配が違っていた。
「間違いありません……! これが呪術者たちが言っていた化け物ですっ」
魔物と獣の血が混じった明らかに異質な空気を聖力で感じ取り、シェイラは大声で叫んだ。
「殿下! 私が化け物の注意を引きつけますっ。聖女が倒したって言うのなら、きっと聖力が効かないってことはないはずだからっ」
「だめだっ! それはあまりにも危険過ぎるっ」
「大丈夫っ! もっちーズちゃんたちに守ってもらいながら戦うのでっ」
馬車の中にはすでにもっちーズたちでぎっしりだった。化け物と遭遇したらすぐさま身を守れるように、事前にスタンバイしてもらっていたのだ。
「にんっ!」
「ぬんっ!」
「みーっ!」
聖女のガードは任せておけ、とばかりにもっちーズたちが胸をどんと叩いた。
それをちらと見つつも、リンドが首をゆるゆると横に振った。
「しかし……、もしも君の身に何事かがあれば……私は……」
リンドの言葉をさえぎり、にっこりと微笑んだ。
「大丈夫ですってば! もしも私が力尽きても、老女の時みたいにきっと次の聖女がすぐに現れて残った魔物は退治してくれるでしょうし」
老女が化け物を倒した時、まだ国から魔物は一掃できていなかった。よって老女が化け物を倒すために命を落としたあと、残った魔物は一体どうするのかと懸念の声が上がったらしい。
けれどすぐに新たな神託が下りて、別の聖女が現れて事なきを得たと聞いている。
ならばもしも自分が命を落としたとしても、化け物さえ倒せればこの国の未来はどうにか守り切れる。ただの魔物なら、他の聖女でも倒せるのだし。
けれどその瞬間、リンドの目がきっと吊り上がった。
「そう言うことをいっているんじゃないっ! 私は君に死んでほしくないんだっ。絶対に!」
その剣幕に思わずぽかんと口を開き、固まった。
「え……でも……この国を守るためには……」
別に死ぬつもりなんて毛頭ない。痛いのも嫌だし、苦しいのだってごめんだ。まだ若いんだし、おいしいものだってまだまだ食べたいし楽しいことだってしたい。
でも――。
「私は……聖女なので! 死ぬ気なんてさらさらないけど、私はこの国の聖女だからっ! だから戦うんですっ。この国が滅茶苦茶にされるのは、絶対に嫌だからっ」
本当は怖い。死にたくないし、今すぐ化け物なんかと鉢合わせせずに逃げ出したい。でも逃げたら一生後悔する。どこにいたって何をしてたって、大好きなパンこねをしていたって絶対に心が晴れない。
そんなのは絶対に嫌だ。
「どうにかして死なないようにしますっ。聖力を使い過ぎないようにするっていうのは難しいけど……、でももっちーズちゃんたちや兵たちの力もバンバン借ります! だからリンド殿下」
「……?」
「私に頑張れって言ってください……! はじめて謁見室で会った時、言ってくれたでしょう? 『君ならきっとできると思う』って」
あの時のリンドの優しい声と眼差しを思い出しながら、リンドに頼んだ。
どうかあの時のように、頑張れ、君ならできると励ましてほしいと。
(リンド殿下がそう言ってくれたら、きっとなんだってできる気がするから……。リンド殿下と一緒なら、どんなことだってきっとどうにかなるって思えるから……。だからお願い……!)
「シェイラ……!」
急に目の前が真っ暗になったと思ったら、リンドにがばり、と抱きしめられていた。息もできないくらいに強く、ぎゅっと。
「で……ででででで、殿下!? あ、ああああああ……あの……!」
心臓が飛び出しそうなほどドキドキする。なんだか恥ずかしいやら嬉しいやらで顔は燃えそうに熱いし、リンドの体からふわりといい香りがして、頭がクラクラする。
「シェイラ……」
「は……はははは、はいっ!」
リンドの体が熱い。その熱を感じながら、やっとのことで返事をする。
「私は……」
「……」
「君を……」
「……」
何かを言いたげにリンドの口が動いた次の瞬間。
グゴアァァァァァァッ‼
化け物の咆哮が大気を大きく震わせた。
「……くっ!」
リンドの体が離れ、熱が遠ざかっていく。馬車の窓から顔を出し、化け物のいる方角を確かめリンドが叫んだ。
「お前たちっ! この辺りで下りるぞっ。化け物の視覚に入らないよう慎重に近づくんだっ。命令があるまで手は出すなっ!」
「はいっ!」
外から兵たちの威勢のいい声が聞こえた。
どうやらリンドと会話をしている暇はもうないらしい。ぎゅっと口元を引き結び、リンドと見つめ合った。
「……シェイラ」
「はい……!」
リンドの真っすぐな眼差しが注がれていた。目の奥にちらちらと熱いものが揺れているのがわかる。
多分自分の目の中にも、同じように言葉にできない思いがにじんでいるはずだ。
「君を絶対に死なせない。約束してくれ。決して命を削るような戦い方はしない、と」
「……」
「私がいる。皆がいる。君ひとりが命をかける必要はない。皆でともに戦おう。だから……約束してくれ。もしもの時は、私の名前を呼ぶと」
リンドのひたむきな視線に、否とは言えなかった。
「……はい。約束、します……」
リンドの指先が一瞬頬に触れ、すぐに離れていく。
「では行こう! シェイラ」
「はいっ!」
こうして今度こそ、最後の戦いが幕を開けたのだった。




