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パンまず聖女、出陣! 1

 王都を出発して、一日目の夜。

 道中小物の魔物たちや幻影との遭遇はあったもののそう大変な思いをすることもなく、ひとまず森の中で野営することになった。


 パチパチパチパチ……。

 ボキンッ! パチパチパチパチ……。


 燃え盛る火の前で、シェイラはひたすら無心にパンをこねていた。別に魔物を倒すためではない。ただ単に、はやる心を静めるためだけに。


 こねこねこねこね……。

 ペチンッ! バチンッ!


 夜間の見張り番以外の兵たちは、皆テントの中で寝静まっている。とても静かな夜だった。


 こねこねこねこね……。

 ドシンッ! ポスンッ!


「シェイラ、そのくらいにしたらどうだ? そろそろ眠った方がいい」


 パン種の小山ができ上がった頃、湯気の立つふたつのカップを手にしたリンドが姿を現した。


「あ、リンド殿下。ごめんなさい。起こしちゃいましたか?」


 差し出されたカップをありがたく受け取り、一息ついた。


「いよいよ呪術者たちを明日にはつかまえられるんだと思ったらどうにも気が昂って寝付けなくて、つい……」


 呪術者たちの居所は、もっちーズたちの追跡のおかげですでに判明している。


 呪術者たちを見張っている兵たちによれば、毎夜毎夜どこからともなく集まってきては、あのボロ屋の中で陣を囲んでいるらしい。その現場を押さえ捕獲する時は、もう翌朝に迫っていた。


「ちゃんと捕まえられますかね? もしも逃げられちゃったりしたら、幻影がいなくならないですもんね。絶対うまくやらなきゃ……」


 そうは思いつつも、不安はよぎる。

 それでついこんな夜更けにパンをこねていたのだ。


 幼い頃からパンとともに生きてきたせいか、どうにも不安で心が落ち着かない時にはパンをこねるに限る。パンをこねていると無心になれるというか、心が凪いでいくのがわかる。

 王宮から、念のためパンこね道具一式と材料を持ち出してきた自分をほめてあげたい。


 けれどいくら静かに音を立てないように気をつけていても、やはり物音が気になって眠れなかったのだろう。

 起こしてしまったことをあやまるシェイラに、リンドは穏やかな笑みを浮かべ首を横に振った。


「まぁ、君の気持ちはわかる。ここぞという戦いの前には、いかに平常心を保つかが運命の分かれ道だからな。君の行動は実に理に適っている」

「そういうもの、ですか?」


 リンドはこくりとうなずき、隣に腰を下ろした。


「……後悔、していないか? シェイラ。わざわざ危険を冒して魔物を倒しに行くなんて……。聖力を放つだけなら君がわざわざ呪術者たちを捕まえたり、魔物を直接倒しに行く必要なんて……」


 苦しげなリンドの声に、はっと顔を上げた。


「ただでさえ聖女としての責任を重く感じているだろうに、こんな勢力争いにも巻き込んでしまって、本当にすまない……」


 慌ててリンドの言葉をさえぎった。


「どうしてそんなこと……。こうなったのは殿下のせいじゃありません。ゲルダンとミルトンの悪事を暴くために必要なことなんだし、それにこれが聖女としての務めなんだし」


 けれどリンドの顔は晴れない。


「殿下があやまるようなことじゃないです。私だってこの国を守りたいんです! 大切な人たちが、この国にはたくさんいて、その人たちにずっと幸せに穏やかに暮らしてほしいから……」


 そう微笑んでみせれば、リンドがこちらをじっと見つめていた。

 その目の中に熱い何かがちらついた気がして、はっとする。


「あ、ほら! 家族はもちろんパン屋のお客さんだってトルクだって、王宮でよくしてくれる侍女さんや衛兵さんたちだって……!」


 はじめは王宮なんてすごいところで暮らすなんて、きっと息苦しくてすぐに嫌気が差すだろうと思っていた。でも出会った侍女たちも衛兵たちも皆いい人たちばかりだった。


 いつも優しく見守ってくれて、ともにこの国に平穏を取り戻せるよう戦ってくれているのがわかる。今ではもうひとつの家族のような存在にすら感じられる。


 そんな大切な人たちがたくさん暮らすこの国を、欲の皮の突っ張ったゲルダンやミルトンに明け渡すわけにはいかない。


「ミルトンなんかに国を任せたら、きっとろくでもないことになるに決まってます! そんなの断固反対ですっ」


 ぐっと拳を握りしめ、リンドを見やった。


「私は、リンド殿下に未来の国王陛下になってほしいです。殿下ならきっと、この国をもっともっと幸せにしてくれるって信じられるから」


 そうだ。こんなにも優しくて強くて、危険とわかっていても自らの力で未来を切り拓こうとするリンドなら、きっとこの国を平穏に導いてくれるはず。


「だから私はリンド殿下となら、どこまでも行きます! どんな危険な道だって、どんな険しい場所だってへっちゃらです!」

「シェイラ……」


 一瞬炎に照らされたリンドの目が潤んだように見えた。

 その目に自分の顔が映り込んでいることに気づいて、胸が大きく音を立てる。


(わっ……! 私ったらまたこんな誤解を生むようなことを……。いや、本心なんだけどっ。そうなんだけど!)


 顔にぐんぐん熱がこもっていく気がして、それをごまかすためにすっかり冷めてしまったお茶をぐいとのみ干した。


「そ、それに! 自分の手で呪術者たちをとっちめないと、トルクに顔向けできないです。トルクに痛い思いをさせた敵を取らなくちゃ!」


 鼻息荒くそう告げれば、リンドがふわりと微笑んだ。


 その笑みがなんともとろけるように優しくて、あたたかくて胸の音がちっともおさまらない。


「だから頑張りましょうねっ! 絶対に呪術者たちをひとり残らずとっ捕まえて、幻影を消さなくちゃっ」

「あぁ。そうだな。シェイラ」

「はいっ!」


 火照る顔をたき火でごまかして、リンドに笑いかけた。


 ふたりの顔をたき火が明るく照らし出して、赤く染める。

 皆が寝静まった静かな森に、パチパチと火が爆ぜる音が聞こえていた。



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