パン聖女、誕生 4
ひたすらパンをこねる生活がしばらく過ぎた頃、とある問題が持ち上がった。
「陛下、もう民衆の我慢も限界ですっ。このままでは暴動が起こりかねません!」
「どうかご決断をっ。シェイラ殿の焼いたパンは、もう王都の民たちでは消費し切れません」
大臣たちから次々と寄せられる懇願に、国王は眉間に深くしわを寄せ頭を抱え込んだ。
「しかし聖女の作ったパンを廃棄するわけにもいかぬし、はてさてどうしたものか……」
シェイラがせっせとこねた大量のパン種は、毎日休みなく王都中の釜で焼かれ続けた。けれどあまりに大量であったために、その処理に問題が発生したのだ。
問題はふたつあった。ひとつはその量の多さである。せっせと魔物を退治するためには、休みなく聖力を放出する必要がある。そのためにシェイラは日々パンをこね続けているのだが、その量があまりにも多過ぎた。
そしてもうひとつの問題、これがまたなんとも難題だった。
「なぜ聖女シェイラの作ったパンは、ああもまずいのか……。パン屋の娘なのに、なぜ……?」
国王の嘆きももっともだった。
シェイラのこねたパンは王都中の窯でごく普通のやり方で焼かれていたのだが、なぜか異常なまでにまずかった。どんな工夫をしても焼き方を変えても、思わず吐き出してしまうほどに。
なぜごくごく普通の小麦粉とイーストと塩と水を混ぜてこねただけのパンが、こうもまずくなるのか誰にもわからない。だが事実、驚くほどにまずいのだから仕方がない。
シェイラのパンは国中の民をはじめ教会や孤児院、病院などに広く配給された。けれどあまりの量とまずさゆえ、もはや飽和状態だった。
よって、これ以上は限界だとばかりに国中から悲鳴にも似た声が次々に上がったのだった。
その声は、いよいよもって抑えきれなくなっていた。
国王は頭を抱えた。
「うーむ。家畜の飼料にしようにも餌の食いが悪くなる一方と聞くし、すでに保管庫もいっぱいだ。はてさて、どうしたものか」
聖女としての真面目な務めぶりには、何の問題もない。むしろ歴代聖女の中で、もっとも真面目で一生懸命なくらいだ。
なのに、聖力を放つ弊害として生み出されるパンが食べられないほどにまずいなどとは思いもしなかった。
「もしかすると、ご神託を得た影響で何かおかしな力が働いてあんな味に……?」
大臣のひとりが、汗を拭いながらつぶやいた。
けれどその問いに、事情をよく知る者たちが一斉に首を横に振った。
「いえ……それが、もとからまずかったようです。聖力とはなんの関係もないかと……」
「は……? しかしパン屋の娘なのだろう? 両親から幼い頃より作り方はしっかり教わっているのでは?」
「ええ、まぁそうなんですが……。おそらくは壊滅的にパン作りの才がないのではないか、と……」
「パン屋の娘なのに!?」
大臣の困惑気な声に、皆がこっくりとうなずいた。
「それはまた……痛ましい……」
「なんでもまだ幼い弟の方が、上手においしいパンを焼けるらしいぞ……」
「そうか……。それもなんだかちょっとかわいそうな気もするな」
場に何とも言えない微妙な空気が流れた。
「いや……! と、とにかく今はあのパンの山をどうにかする方法を考えねば。急ぎ、民に触れを出すのだっ」
こうしてこの日、王都に国王陛下直々のお触れが出された。
聖女シェイラのパンをどうにか処理すべくこれぞという意見を出したものに褒美を出す、という触れが――。
その知らせはシェイラ自身の耳にも届いた。それを耳にしたシェイラは、当然のことながらむせび泣いた。
「知ってた……、知ってたよ……! 私のパンを近づけただけで、ニワトリだって逃げ出すことくらい……。でもまさかこんなお触れまで! うわーんっ!」
思わずテーブルに突っ伏せば、専属侍女たちが慌ててなぐさめてくれた。
「シェイラ様、元気を出してください」
「毎日こんなに頑張っていらっしゃるのですもの。味なんて別に大きな問題ではありませんわ」
「それに聖女様のおかげで国中の民が助けられているのは間違いないんです! ですからどうぞ胸をお張りくださいませ!」
「味なんて微々たる問題ですわ!」
果たしてそうだろうか。皆が日常的に食べているはずのパンなのに?
「……なんで私、パン屋の娘なのにまとめなパンひとつ作れないんだろ」
「シェイラ様……」
侍女たちの気持ちは嬉しい。私を傷つけまいとするその優しさが、痛いほどに。
でもそれが救いになるかと言えば、もちろんそんなことはなかった。
「シェイラ様。その……ご両親とご一緒に暮らしていた時も、あまり……その、味が良いとは言えない状態だったのですか?」
非常に気を遣った言い回しではあったが、ようはもとからマズいパンしか作れなかったのかと言いたいのだろう。
その問いに、こくりとうなずいた。
「……」
「……」
「……」
「……」
沈黙の意味はわかっている。
なんでパン屋の娘なのに、パンが上手に作れないのか。
幼い頃から誰より上手な作り方を会得できる環境に身を置いていたはずなのに、という皆の心の声が聞こえた。
まったくもって同感だ。そんなの、自分が一番知りたい。
シェイラ自身も、なぜこんなにもパン作りの才がないのか長年悩んできたのだ。
ある意味、こんなにまずいパンを焼ける才があると言えなくもない。
「せっかく聖女になったんだし、聖女パワーでもしかしたらって一縷の望みをかけていたんだけどな……。はぁ……」
しょんぼりと肩を落とすシェイラに、侍女たちも衛兵たちももはやかける言葉もなく顔を見合わせた。
「ま……まぁ、でも魔物を倒せるのは聖女様であるシェイラ様だけなのですし」
「そうですともっ。聖力のこもったパンを作れるのは、世界でシェイラ様だけですわ!」
「我々皆、シェイラ様がいかに立派な聖女様であるか、存じ上げております。落ち込まれる必要など皆無ですっ!」
「そ……そうですわ! 私たちは皆シェイラ様の味方ですっ! 頑張ってくださいませっ」
侍女たちと衛兵たちが、謎のテンションで口々に明るい声を上げた。
毎日同じ部屋で過ごしているせいだろう。いつしか皆の間に、連帯感や友情にも似た感情が生まれていた。
が、その声が虚しく心に響くのはなぜだろう……。
シェイラは力なく笑い、そしてがっくりと肩を落としたのだった。