一難去ってまた一難 4
ガアァァァァッ!
グギュアァァァッ!
王都中に響き渡る、幻影たちの咆哮。
大気をビリビリと震わせるようなその叫び声とあちこちから聞こえる何かが破壊される轟音に、民は悲鳴を上げて逃げ惑った。
「殿下っ! このままでは西門を破壊されますっ。どうされますかっ⁉」
「リンド殿下っ、こちらもまもなく魔物の群れが到達しますっ! 空から襲いかかられたら、防御のしようがありませんっ」
兵たちの言葉にも、怯えが見て取れる。
国中にこれまで王都だけは大丈夫だ、という慢心があった。それが崩された今、皆の心が不安と恐怖にすくむのは当然だ。
「くっ……! 飛行体にはパン礫を休まず投げ続けろっ。わずかではあるが、ダメージが蓄積されていくはずだ! 防御はその白い生き物に任せて、態勢を立て直せ!」
「はいっ!」
「わかりましたっ!」
兵たちは善戦していた。けれど魔物の数があまりにも多過ぎた。地上と空からの両方から攻撃されては、とても手が回らない。
けれどほんのわずか、本当にわずかずつではあったが、シェイラの言った通りカチカチになったパンを利用した礫は効果を発揮しはじめていた。
一匹、また一匹と力を失い、姿を消していく幻影たちをにらみつけ、リンドはぐっと拳を握りしめた。
「あと少し……。あと少しやつらの勢いを抑えることができれば、あるいは……」
シェイラの聖力も、驚くべき早さで次々と放たれているのがわかる。聖力の使い過ぎで倒れなければいいが、と心配になるくらいに。
もう無茶はしない、と約束はしたものの、王都が危機に瀕しているのを目の当たりにしてあのシェイラが手を緩めるはずもなかった。
その気持ちが痛いほどにわかるだけに、止めることはできなかった。
各門に配置されたもっちーズたちも、大小さまざまな形に変化して空と地上から迫りくる魔物たち相手に奮闘していた。
聖力の塊ともいえる巨体を幻影にぶつけるたびに、幻影がサラサラと宙に消えていく。
けれどこうも数が多くては、さすがの進化したもっちーズたちも対処しきれていない様子だった。
シェイラのパンこねと聖力入りのパン礫。兵たちによる懸命な遠隔攻撃。もっちーズたちの必死の防御。
それらによる蓄積ダメージがようやく効きはじめたか、と思ったのも束の間。
ギィエェェェェェッ!
グワァァァァァァッ!
ドシンッ……! ズシンッ……!
「な、なんだっ!? この音は……?」
「いま、ものすごい咆哮が聞こえたような……⁉」
突如耳を塞ぎたくなるほど激しい咆哮と、体勢が揺らぐほどの振動が響き渡った。
ブルゥゥゥッ……!
グギャアァァァァァッ‼
その凄まじさに、皆戦いの手を止めあんぐりと音のする方を見やった。
「なんだ……。あれは……⁉」
「でっけぇ……! ば、化け物……⁉」
「ひ、ひぃぃぃっ!」
王都を取り囲む城壁を超えるほどの大きな魔物が、そこにはいた。
ぎょろり……!
魔物の目が、地上で腰を抜かし座り込んだ兵たちに向いた。中には先日の巨大な魔物と戦った兵たちもいたが、その者たちでさえ恐れをなすほどの大きさに皆言葉を失っていた。
「た……助けて……! こ……殺される……」
「い、いやだ……。こんなやつに食われるのは……俺……」
「ひぃぃぃっ……。誰か……、誰かぁ!」
魔物の瘴気交じりの生臭い息に、兵たちの闘志がみるみる萎んでいく。
「くっ! こっちだっ。お前の相手は私がしてやる! こっちを向けっ」
思わず兵たちから魔物の目を逸らそうと、リンドは魔物の前に躍り出た。
魔物の顔がゆっくりと自分に向いたのを見て取り、リンドはちらと城壁の方を見やった。
「もっちーズ! こいつの注意を引きつけてくれっ」
その声と同時に、真っ白い体がむむむむむむっと一気に大きく膨れ上がった。
おそらく周囲にいたもっちーズたちと、さらに合体したのだろう。
みるみる魔物と同じ程度の大きさにまで成長したもっちーズが魔物の前にゆらり、と立ちはだかった。
グァァァァァッ!?
巨大化したもっちーズが一歩、また一歩と魔物へと近づいていく。威圧するように息を吐き出す魔物に、まったく怯む様子はない。
全身真っ白でふわもちの体をした巨大なもっちーズと、見たこともないほど大きな魔物とがじっと対峙する異様な光景に、兵たちはあんぐりと口を開いた。
リンドは大声を上げた。
「全兵士たちに告ぐっ! 防御はこの生き物に任せ、一斉にパン礫攻撃を仕掛けろ! 一時も攻撃の手を休めるなっ」
「は、はいっ!」
その声にようやく兵たちが我に返った。
兵たちが攻撃態勢についたのと同時に、魔物が巨大もっちーズに向かって太い腕を振り上げたのが見えた。
「ぬんっ!!」
けれどそれをもっちーズはやわらかな体でぼよん、と跳ね返し、すかさず体の重みを利用して体当たりを仕掛けた。
グギュアァァッ!?
そしてまた繰り出される魔物の攻撃。それを器用に体の形を変化させながらかわすもっちーズ。
遠くからは、休みなくシェイラの聖力攻撃か放たれ続けていた。
負けじと兵たちも、次々とパン礫を魔物に向かって投げ続ける。
地道な攻撃とは言え、シェイラの提案したパン礫の効果は確かなようだ。
この調子なら、小物たちの相手は各所に配置した者たちに任せておけば大丈夫だろう。
そう判断し、自分は巨大な幻影に対峙する。
「皆、怯むなっ! 少しずつではあるが、間違いなく奴の力は削がれているはずだっ」
「はいっ!」
リンドの指示に兵たちも懸命に応え、攻撃の手は休まることはなかった。
巨大な幻影魔物との戦いは、しばらく続いた。けれどそのうち。
グギィィィィィッ!
一向に止む気配のない攻撃と何度攻撃しても手応えのないもっちーズのやわらかな体に、魔物が苛立ちの声を上げた。
すかさずひとりの兵が、パン礫を放った。
「それっ! これでも食らえっ。聖女様のパンだ。ありがたく食べるがいいっ!」
パンは弧を描き、ゆっくりと魔物の顔に飛んでいく。そして――。
ポイッ!
「あ……」
見事な放物線を描いて、パンが魔物の口に入った。
放った兵もまさか予想していなかったのだろう。驚きの表情で皆が見つめる先で、魔物はといえば。
……もぐっ。もぐもぐ……、ごくり。
魔物は動きを止めながらパンを咀嚼し、のみ込んだ。
グギュァッ!?
「……?」
なんだか魔物の様子がおかしい。
グゴ……ゴアァァッ?
なぜか魔物は手で喉の辺りを気にするように触りはじめ、目を白黒させはじめた。
「おい……。なんだか、苦しそうに見えないか?」
「あ、あぁ……。白目をむいてるような……」
「あっ! 今度はピクピク痙攣し出したぞっ」
先ほどまでとは明らかに異なる様子に、兵たちがざわめき出した。
次の瞬間、魔物がつんざくような声で叫んだ。
グッ……! グゴゴァッ……!
……ングオアァァァァァァッ‼
あまりの声の大きさに、その場にいた者全員が思わず耳を覆った。
そして次の瞬間、信じられないことが起きた。
「え……?」
「は……?」
「おい……」
皆が見つめる先で、魔物の体がゆっくりと後ろ向きに傾いでいく。そして何やらおかしな異音を立てながら、息をゆっくり吐き出した。
そしてついに――。
……ズシンッ!
ドォゥゥゥンッ……!!
魔物の体が地面に倒れ込んだ次の瞬間、その巨体がプスプスとまるで泡が弾けるように宙に消えていくのが見えた。
シュウゥゥッ……。
プスッ……、プスッ……。
シュウゥゥゥゥゥッ……。
「……」
「……」
「……」
そしてあっという間に巨大な体は、跡形もなく忽然と消えたのだった。




