一難去ってまた一難 1
こねこねこねこね……。
ポスンッ! ペチンッ!
こねこねこねこね、こねこねこねこね……。
ベチンッ! バチンッ!
無事呪術者たちの追跡も成功し、地道に幻影と本物の魔物とをどうにかこうにか倒す日々。
リンドは相変わらず、通常の公務に加えてゲルダンたちの一件で大忙しだ。
国のいたる所に幻影魔物が現れているとあって、民たちの不安も増大している。それをどうにか抑え込みつつ、ゲルダンたちの悪事の詳細を突き止めるため奔走しているらしい。
(そう言えばこの間の謁見以来、一度もリンド殿下に会えてないな……。なんだかこうちょっと張り合いがないっていうか、食事も味気ないっていうか……)
もともと王子と食事やらお茶やらを一緒にいただくなんてことが異常事態ではあるのだが、それに一度慣れてしまうとなんとも寂しいものがある。
(そう言えば、私のパンがちょこちょこ殿下に届けられてるって聞いたけど、まさか食べてない……よね? 毒だって耐性をつければどうにかなるとかおかしなこと言ってたから、ちょっと心配だなぁ……)
そりゃあせっかく丹精込めてこねたパンを食べてもらえるのは嬉しいけれど、未来の国王になるであろう王子に毒を盛ったとかで捕らえられたら目も当てられない。それに、苦行のように食べてもらいたいわけじゃないし。
(ま、でも私がパンをこねることで魔物が少しでもいなくなるなら、パンをこね続けてきた甲斐もあるってものよね)
自分に言い聞かせ、せっせとパンをこねていく。
もっちーズたちもミルトンの追跡協力も無事終わり、今はパンこねのお手伝いに元気いっぱい精を出してくれている。
とことこと軽快に走り回るかわいらしいもっちりした小さな体を見やり、思わず笑みがこぼれた。
(今日もかわいいなぁ……! 侍女さんたちも衛兵さんたちも、皆にこにこしながらもっちーズちゃんたちを見守ってるし。皆の癒しになる上、パンこねをこんなに助けてくれてほんっと、うちの子たち最高!)
そのかわいさに俄然やる気がわいてきて、勢いよく打ち粉を台に振るったその時だった。
ざわりっ……‼
突然全身にぞくっとする寒気が走り抜けた。
「ひっ!?」
思わずこぼれた悲鳴に、侍女たちがびっくりした様子で声をかけてきた。
「どうかなさったのですか!? シェイラ様っ」
「もしかしておけがでもっ!?」
目をしぱしぱと瞬いて、自分の腕を慌ててさすった。けれど寒気は一向になくなるどころかひどくなる一方だ。
(もしかして……風邪でも引いたのかな? いや、でも私風邪なんてめったに……)
そんなことを思った次の瞬間、もっちーズたちの顔が一斉に窓の外を向いた。
「……!? どうしたの? もっちーズちゃんたち」
そのただならぬ警戒ぶりに声をかけたけれど、皆じっと同じ方向を向いて微動だにせず全身からとんでもない緊張感を漂わせていた。
「……っ!? 窓の外に……何かいるっ!?」
どんどん強くなる寒気と、もっちーズたちの明らかにおかしな反応。もしやまた幻影がどこかに現われたのか、とはっと窓のそばに走り寄った。
「……?」
じっと目を凝らしてみたけれど、ぱっと見渡した限りでは特に変わった様子はない。けれどよくよく遠くに目を凝らせば、はるか遠くに黒い何かがこちらに向かっているのが見えた。
(馬車……? ううん、まさかあんな大きな馬車があるわけないし……。ならあれは一体……?)
その黒い何かは、少しずつ王都へと向かってきているらしい。
「ぬーっ!」
「にーっ!」
「みーっ!」
「にゅーっ!」
一斉にけたたましい声で叫びはじめたもっちーズたちの声で、部屋の中はあっという間にとんでもない騒ぎになった。
「な、何事ですかっ⁉ シェイラ様っ」
「これは一体……? もっちーズちゃんたちの様子がおかしいですっ」
「窓の外に何かっ……!?」
侍女たちも窓辺に走り寄り懸命に目を凝らすけれど、黒い点々が遠くに見えるだけでそれがなんであるのかまでは判別がつかない。
けれどもっちーズたちの様子から考えれば、あれはきっと――。
バアァァァァンッ!
その瞬間、ものすごい勢いで兵が部屋に転がり込んできた。
「た……たたたた、大変ですっ! シェイラ様っ。王都に……王都に向かって、魔物の……大群が押し寄せていますっ!」
息を切らせ飛び込んできた兵の知らせに、握りしめたままだっためん棒を思わずぽとりと落っことした。
「い、今なんて……⁉ 魔物の……大群!?」
急ぎもう一度窓の外に目を凝らせば、その黒い塊は確かに魔物に見えなくもない。
(でもこれって、本物の魔物の気配じゃない……! ってことは、あれ全部幻影!? あんなにたくさんっ?)
額から嫌な汗がつうっと伝い落ちていく。
「こ……これは……、どうしてこんな……!」
ぐんぐんと近づいてくる黒い塊の輪郭が、次第にはっきりしてくる。中には飛行タイプの魔物や体の大きな魔物が黒い塊になって押し寄せているのが見えた。
「ぬーっ!」
「にーっ!」
ぴょんぴょんと跳ねながら威嚇の表情を見せるもっちーズたちも、必死に幻影の到来を伝えていた。気づくのに少し時間がかかったのは、それがあまりにも大群過ぎてどれほどの数なのかがわからなかったからだろう。
「大変っ! 早くこのことをリンド殿下に知らせてっ。王都に魔物が……、幻影の大群が押し寄せてくるって!」
「は、はいっ!」
慌てふためいた様子で駆け出していく衛兵の後ろ姿を確認し、今度はもっちーズたちを振り返った。
「もっちーズちゃんたち! 王都に幻影たちの群れが迫っているのっ。急いで城壁の外に出て、中に入り込まないように魔物たちから王都を守って!」
「ぬんっ!」
「にゅーっ!」
「へんっ!」
もっちーズたちが一斉に走り出しのを見やり、次は侍女たちの方を向いた。
「私は城下に下りて、パンをこねますっ! 王都を守るにはもっとたくさんのもっちーズが必要だし、近くで戦った方が幻影の力を感じ取りやすいからっ」
「は、はいっ! そのように殿下にお伝えしますわっ」
「あなたたちはすぐに必要なものをまとめて、階下に運んでくださいっ!」
「はいっ! かしこまりましたっ」
てきぱきと動き出した侍女たちにこくりとうなずき、残ったもっちーズたちに声をかけた。
「残ったもっちーズちゃんたちは、私と一緒に荷物運搬お願いね! 幻影たちから、絶対に王都を守り切らなきゃっ!」
こうしてもっちーズたちとともに、シェイラは城下へと急ぎ駆け出したのだった。
背中にパンこね道具、腕に小麦粉がずっしり入った袋とその他の材料を抱えて――。