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起こりはじめた異変 3

 トルクは、パン屋に小麦粉を卸してくれている農場の子どもだった。定期的に小麦粉を仕入れている関係で、何度も店で顔を合わせたことがある。

 ちょっぴり生意気だけど、何より父親の作る小麦に自信を持っていていつか自分があとを継ぐんだと胸を張っていた。


(店に父親とともにやってくるたびに、『父さんの作る小麦で作ったパンは、世界一だからな!』といって口いっぱいにおいしそうにパンを頬張ってたっけ。なのにどうして……)


 その場にずるずると崩れ落ちた。


 モンクル村の魔物退治は、すでにひと月前に済んでいる。トルクのいる村にまでついに魔物が出てしまったのか、と驚き懸命に退治したからよく覚えている。

 あのどこまでも続く小麦畑がもし荒らされでもしたら、両親だって弟だってパン屋の常連さんだって皆悲しむ。そう思って念入りに魔物を片付けたはずだった。


 なのになぜ、あんなに念入りに聖力で浄化したはずのモンクル村に再び魔物が現れてしまったのか。その上トルクが魔物にやられて大けがをして、今も意識が戻っていないだなんて――。


「シェイラ様……」

「お知り合い、なのですね……」

「なんてこと……」


 侍女が慌てて飛んできて、傾ぐ体を抱きとめてくれた。けれど体の震えは止まらなかった。


「私の……せいだ……。トルクに何かあったら……私の……」


 目の前がぐるぐると回る。


「ふっ……、うぅっ……! トルクに……万が一のことがあったら私……どうしたら……。どうしよう……。もしトルクが……」


 最悪の結末が脳裏をちらついて離れない。もしもトルクが命を落とすようなことがあれば、一生トルクにもトルクの両親にも顔向けができない。両親だって弟だってどんなに悲しむか。


「シェイラ様! しっかりなさってくださいませっ。どうか落ち着いて……!」

「うぅぅぅぅっ……! あぁっ……! 私の……私のせいだ。私がちゃんと浄化できなかったから……、きっとそうだわ。ふっ……! うぅっ……‼ トルク……、トルク、ごめん。トルク……!」


 侍女たちの声も耳には届かず、何度もトルクの名前を呼び続けた。


「シェイラ様はしっかりと務めを果たされましたわっ。どこの町や村にも、いつも念入りに聖力を放って浄化なさっているのは、私たちが一番よくわかっております!」

「その通りですっ。どうぞお気をしっかりお持ちくださいっ! シェイラ様のせいなどではございませんっ」


 侍女たちが嗚咽交じりに必死に慰めてくれるけれど、頭の中は真っ白だった。

 けれど――。


 どうにか力を振り絞り、ふらりと立ち上がった。


「……なんとかしなきゃ。なんとか……。私のせいなんだから……」


 今もトルクはモンクル村で痛みに耐えて必死に生きようとしている。その邪魔をさせるわけにはいかない。絶対に。


 よろよろと作業台へと向かい、震える声で侍女たちに告げた。

  

「今から……魔物が出た各所に聖力を最大量流しますっ! 兵士さんたちに、急ぎ町人たちを逃がすように言ってくださいっ」


 魔物たちにとって聖力は、毒も同然だ。急に大量に聖力を放出すれば、まだ町の近くに残っている魔物たちが怒り狂ってさらに暴れる可能性もある。

 けれどこれ以上の被害を出さないためには、やむを得ない。


(トルク……。ごめんね。ごめん……。どうか……どうか死なないで……。お願い……)


 心の中で強く願いながら、体中を巡る聖力をこれでもかとばかりに放った。

 それに応えて、もっちーズたちも忙しく駆け回る。


 魔物の位置を聖力で突き止め、一匹ずつ確実に聖力を打ち込んでいく。


 魔物にとっては、聖力が毒そのものだ。もがき苦しみ、全身を貫く痛みに逃げ出すか、もしくは力を削がれ消滅する。――はずだった。


「はぁっ……! はぁ……っ。なんで……? どうして……?」


 なぜかモンクル村の魔物も、一度は浄化したはずの他の場所に現われた魔物たちもなかなか消えてくれない。


 いつものように聖力が効かず、一瞬動きを緩めるだけですぐに力を取り戻してしまうのだ。 こんなことははじめてだった。


「どうして……⁉ なんで消えてくれないのっ? いつもならとっくに倒れてるはずなのにっ!」


 焦りと苛立ちで、嫌な汗が全身に伝う。


「こんなに聖力を送ってるのに、どうして魔物がいなくなってくれないのっ⁉ こんなはず……ないのに……‼」


 頬を涙が次々に流れ落ちていく。それを粉だらけの手の甲で拭いながら、手を止めることなく聖力を流し続けた。

 何度も、何度も繰り返し繰り返し――。


 嫌になるほどそれを繰り返し、ようやく一匹の魔物が地面に倒れ込んだのを感じた。


「ようやく一匹……。でもまだ魔物はたくさん……」


 休んでいる暇などなかった。カラカラに乾いた喉を潤す気にもならなかった。

 今こうしている間にも、トルクの命の灯火は消えかけていっているのかもしれないのだから。


 それからどれほどの時間が過ぎたのか。じりじりと、気が遠くなるような時間をかけて少しずつ魔物の力を削っていく。


「シェイラ様……。少しはお休みになられませんと……!」

「せめてお水だけでも……」


 侍女たちが心配そうに声をかけてくれるけれど、視線も向けずに頭を振った。


「大丈夫です。私は……こんなに安全な場所にいて、痛い思いも……怖い思いもせずにいられるんだから……。私は平気ですから。それよりも今は皆を助けないと……。私……、聖女なんだから……」

「シェイラ様……」


 それから時がたつのも忘れて、必死にパンをこね続けた。

 けれどさすがのもっちーズたちも疲れ果て、動きが鈍くなりはじめた頃――。


「聖女様……! ようやく先ほどの町や村から魔物が一匹残らず消えたと、今知らせが……! 以降のけが人もないとのことですっ」


 安堵の色を浮かべ駆け込んできた兵の言葉に、ようやく動かし続けていた手を止めた。


 最初の知らせを受けてから、すでに半日以上の時間が経過していた。気づけばすっかり日も暮れ、窓の外には夜の帳が下りはじめている。

 ということはあれからずっと半日以上ものまず食わずのまま、パンをこね続けていたことになる。


「……っ! そっか……。よかっ……た……。よ……かった……」


 もはや手も足もガクガクだった。

 ほっとしたのとすべての体力も気力も使い果たしたせいで、全身から力が抜けていく。


(あぁ……。どうにか……魔物を消せた……。随分時間がかかっちゃったけど……、どうにかなってよかった……。でもトルク……、トルクは……)


 もっちーズたちも事態を理解したらしく、ほっとしたように顔を見合わせ互いの体にもたれかかるようにへたり込んだ。


「ありがとう……。もっちーズちゃんたち……、それに皆も……。あり……が、とう……」


 絞り出すようにつぶやけば、侍女たちが青い顔をして駆け寄ってくるのが見えた。

 

(どうしたんだろ……。皆そんなに慌てて……。あぁ、でももう頭が回らないや……)


 そんなことを思いながらゆっくりと瞼を閉じれば、頬を一筋涙が伝い落ちたのがわかった。



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