今日も元気にパンをこねる 2
「こ……これは一体……」
テーブルの上にちょこんと鎮座する真っ白い謎の生き物を前に、リンドは見事に固まっていた。
真っ白でどこかなまめかしくもある白い質感に、むっちりもっちりとしたフォルム。ずんぐりとした胴体に申し訳なさ程度に生えた短い手足。
頭は少々大き目で、歩き出す時や振り返った時には不安定に体が傾いでいるようにも見える。
「えっと、これは……?」
リンドの問いかけに、苦笑しつつ答えた。
「ええと……どうやら私、知らない間にパン種にうっかり命を吹き込んじゃったみたいで」
「うっかり……命を!?」
驚くのも無理はない。いきなりこんな生き物が生まれちゃいました、なんて言われてそう簡単に信じられるはずもない。
「言ってみれば、聖女の分身……みたいな? なのでまったく害はありません! それどころか……」
「どころか……?」
いまだ呆然と固まっているリンドに、にっこりと微笑みかけた。
「さぁ、もっちーちゃん! ここにめん棒を持ってきてっ」
「もっちー……ちゃん?」
「はいっ! この子に名前をつけてみましたっ。さぁ、行っておいで!」
困惑顔のリンドをよそに、白い生き物、もとい命名もっちーに指示を出した。
するともっちーはすくっと立ち上がり、テーブルからぴょこんっと飛び降りた。
とことこ、とことこ……。
ひょいっ。
とことこ、とことこ……。
リンドが見つめる前で、もっちーはとことこと部屋の中を歩きパンこね台の上によじ登っていく。そして上に置いてあっためん棒をよいしょ、と持ち上げるとえっちらおっちら戻ってきた。
「はい、ありがとう! いい子。よしよし」
めん棒を受け取り、白くてふわふわの頭をなでてあげた。
「ほらね! この子、私のいうことを聞いてくれるんですっ。すごくないですか?」
なでてもらったのが嬉しいのか、もっちーは元気よくテーブルの上でぴょこん、ぴょこん、と飛び跳ねている。
「ふふっ。かわいいなぁ」
その様子を言葉もなく見つめていたリンドは、たっぷりの沈黙のあとで口を開いた。
「そうか……。パンをこねていたら、聖力から生まれたか。しかも意思の疎通もできるとは……」
リンドはしばしもっちーをじっと観察し、小さくうなずいた。
「わかった。陛下には害のないものだと知らせておこう。むしろ聖女の役に立つ存在だ、と」
「はいっ! お願いしますっ。あぁ、それから……」
まだリンドに話していないことがあった。
「実はこの子、魔物の気配がなんとなくわかるみたいなんです。なんとなくの方角とか、数とか……」
「なんだと……?」
リンドの目の色が変わった。
「だからこの子の言う通り魔物を退治していけば、わざわざ兵士さんたちに危険を冒して見回りに行ってもらわなくても退治できると思うんです。便利ですよねっ!」
「そうか……。まさかこの生き物にそんなすごい力が……。ふむ」
確かにリンドにしてみれば、魔物の一掃に関わる重大な事実だろう。国の平穏がかかっているのだから。
けれどなんだかリンドの横顔に、何か物憂げな色が見えた気がしてはっとした。
「あの……リンド殿下? 何か気がかりなことでも?」
思わずそうたずねれば、リンドは慌てたように首を横に振った。
「いや、なんでもない。まぁそのうち君にも話さなければならないことがあるとは思うが、今はまだ……」
「え?」
「大丈夫。ちゃんと私が君を守るから」
「……?」
はっきりしないリンドの物言いに言い様のない不安がよぎったけれど、リンドは何も答えてはくれなかった。
けれどその翌日、またしても驚くべきことが起きた。
「うわわわわわわわっ! こ……これは……」
目の前を走るもちもちよちよちとした何体ものもっちーを、シェイラ自身も侍女たちも衛兵たちも呆然と見やった。
「何の騒ぎだ……? なぜこんなにたくさん……」
「シェイラ様……、これは一体……」
一体や二体ではない。数えきれないほどのもっちーたちが部屋中に爆誕していた。
「ええっと、夢中になってパンをこねてたらいつの間にかいっぱい生まれてて……。私にも何がなんだか……」
どうやらもっちーは、聖力を放出する度に自然発生するらしい。別に誕生させようとしてしているわけではないのだけれど、勝手に生まれてしまうのだから仕方がない。
「これは一応リンド殿下に報告された方が……」
「そ、そうだね……」
一体ならともかく、こうもたくさん生まれてはさすがに不安もある。
「それにしても、すごい力ですね。シェイラ様。まさかこんなにもお仲間をたくさん生み出してしまわれるなんて」
セシリアの驚きを隠せない様子に、苦笑を返した。
「ははっ……。なんだかすごくにぎやかになっちゃて……」
部屋中をとことことことこ白いもっちーたちが走り回るさまは、なんとも微笑ましい。
残念なことに昨日までいた初代もっちーは、もういない。どうやらもっちーの命はたった一日で消えてしまうらしいのだ。けれど知識や記憶はすべて翌日以降に生まれる他のもっちーたちに引き継がれる。
と考えれば、ある意味命は永遠とも言える。
「この子たちがいっぱいいると、なんだかすごく心強いんですよね。私の聖力から生まれた分身みたいなものだから、かなぁ?」
「ふふっ。シェイラ様はおひとりでつい頑張ってしまいがちですからね。それを心配して、助っ人として現れてくれたのかもしれません」
「あぁ、なるほど! そっかぁ」
セシリアの推察に、他の侍女たちが感心したようにうなずいた。
そして一気に数を増したもっちーたちを目の当たりにしたリンドの反応は、というと――。
「こ……これは!」
リンドの前で横一列に整列し、ぴょこんぴょこんと跳ねながら練習した通りに登場ポーズをビシッと決めたもっちーたちの姿に、リンドがあんぐりと口を開いた。
どうやらあまりのかわいさに、言葉も出ないらしい。
自分がこんなにかわいい子たちを生み出したのだと思うと、なぜか誇らしくもある。思わずどうだとばかりに胸を張れば、リンドがようやく口を開いた。
「も、もしかして……、君は自在にこの生き物を生み出せるようになったのか? これだけ集まると実に壮観だな」
リンドは目の前で生き生きと跳ね回る元気いっぱいのふわもちちゃんたちに、目が釘付けだった。
「はい! こんなにたくさんいるので、今度からはこの子たちのことを、もっちーズって呼ぶことにしました。なのでリンド殿下も、そう呼んであげてくださいねっ」
「あ……あぁ。わかった……。も……もっちーズ、だな。まぁ君の作業がこれで楽になるのなら、喜ばしいことだ。君の負担が減るからね」
「ふふっ。セシリアさんやカイルさんもそう言ってくれました! きっと殿下もほっとするだろうって」
そう言って微笑めば、リンドがなぜか顔を赤く染めた。
「ま、まぁそれは確かにそうだが……」
こうしてこの日から、もっちーズのおかげでパンこね作業は格段にスピードアップした。しかも精神の安定まで図られたとあって、聖力も安定するようになったしいいこと尽くめだ。
その結果魔物たちの退治も快調に進み、いよいよ国から魔物たちが姿を消す日も近いかもしれない。そんな明るい予感に包まれはじめていた。




