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リンドの追憶

 シェイラとの町歩きに続きはじめての食事も終えたリンドは、ついつい緩む口元を気合でぐっと引き結んだ。

 けれどまたすぐに緩んでしまう。


 シェイラの作業部屋を出て王宮の中を歩きながら、リンドはさっきみたシェイラの様子を思い返していた。


(まるでリスみたいだったな。頬がぷくっと膨らんでもぐもぐと食べるさまが、かわいくて。なんともこう……餌付けしたい衝動にかられるというのか……)


 当代の聖女がシェイラだと知り、リンドはこれ以上ないほどに驚いた。

 まさかあのシェイラが聖女に選ばれるだなんて、夢にも思わなかったから。


(あれからもう十年、か……。時がたつのは早いな)


 リンドがシェイラにはじめて出会ったをのは、実は今から何年も前のことだった。シェイラはまったくその時のことを覚えてはいないようだけれど。


 現国王と王妃に世継ぎがリンドひとりしか生まれなかったがゆえに、リンドは生まれ落ちたその瞬間に国の未来を背負うことを運命づけられた。


 他にも王位継承権を持つ者はいるが、直系ではない上評判も芳しくない。むしろその者が為政者となることを危ぶむ者が多かった。

 結果リンドは幼い頃から厳しい帝王教育を施され、一身に期待を受け育った。


 国や民を思う気持ちがないわけではない。王子として生まれたからには、その責任を一生涯背負い続けなければならないとも思う。

 けれどあまりの期待の重さに、ある時我慢の限界を迎えて町へとひとり飛び出したのだ。


 どこか行く当てがあったわけでもなく、したいことがあったわけでもない。ただどうにも息苦しくて、どこか楽に息ができる場所に行きたいと思ったのだ。


 けれど持ち合わせの現金など持っているはずもなく、町のこともまったく知らない。となれば自然腹も減り喉も乾き、心細くなるのは必然だった。


 仕方なくとぼとぼとひとり町外れを歩いていたら、ひとりの少女と出会った。それがシェイラだった。


『……あなた、もしかしてお腹空いてるの?』


 小高い丘から元気よく駆け下りてきたその少女は、丸いくりくりとした薄茶色の目をしていた。高い位置でひと結びにした蜂蜜色の髪が、動くたびにひょこひょこと尻尾のように揺れるのがなんとも愛らしい。


『いや……僕は……』


 確かに腹ペコだったし、喉もカラカラだった。けれどまさかお金がないとも言えず、自分の身分を明かすわけにもいかずもごもごと言い淀んだ。

 すると少女は、何かを思いついたようににっこりと笑った。


『ちょっと待ってて! 今いいもの持ってきてあげるっ』


 そういうとすぐそばにあったパン屋の中へと入り、紙袋とミルクの入ったカップを手に戻ってきた。


『はい、どうぞっ』


 そう言って少女は、小さなこんがりと焼けた丸いパンとカップを差し出した。


『あ、大丈夫よ? これ、ちょっと焼き色が強過ぎて売り物にならなくなっちゃったの! 本当は他に私が焼いたのもあるんだけど、それはちょっと色々あってあげられないの。だからひとつだけ、どうぞ』

『でも……』

『ふふっ! 売り物じゃないから、お代はいらないわ。お腹が空いてると元気なくなっちゃうもんね! それ食べて元気出してっ』


 そう言うと、少女は何を思ったかこちらに手を伸ばし頬をぐい、と自分のエプロンで拭った。


『えっ?』


 その時気がついたのだ。自分がいつの間にか泣きながら歩いていたことを。頬に残っていた涙を少女は拭ってくれたのだとわかり、思わず顔が真っ赤に染まった。


『こ、これは別になんでも……!』


 同じ年頃の女の子の前で涙を見せるなんて、恥ずかしい。そう思ったら、ついよくない態度を取っていた。


『あ……』


 自分の情けなさに思わずうつむけば、少女はパンを手に握らせにっこりと笑った。


『誰だって落ち込んだり泣きたくなったりすることはあるよ? 私だって。でもそういう時は、焼きたてのおいしいパンを食べるといいんだよ』

『パン……?』

『私のお父さんとお母さんが作ったパンは、世界一おいしいんだから! ねっ、だからこれ食べて元気出してっ』

『あ、……ありがとう……』


 その時店の方から、誰かが呼びかける声が聞こえた。

 少女は弾かれたように振り向き、言った。


『じゃあ私、そろそろお店に戻らなくちゃ! カップは店の前に置いておいてくれればいいからっ。じゃあねっ』


 そう言って、ひょこひょこ蜂蜜色の髪を弾ませながら店の中へと入っていったのだった。


 少女のくれたパンは、外側がカリッと香ばしく焼けていて中はふんわりもっちりしていて、とてもおいしかった。王宮でいつも食べている最上級のパンよりも、ずっと。


 不思議とそのパンを食べたら、元気がわいた。心の中にたまっていた澱のような淀んだ気持ちが、ふわっと空に溶けてなくなっていくようで。


 それ以来、民の暮らしぶりを知るためだと称して時折王宮を抜け出しパン屋をのぞくのが習慣になった。

 でも一度も声をかけたことはない。ただ店の外からそっと見るだけだった。


 けれどこの国にあの少女がいるのだと思ったら、国を守る決意が生まれた。王族に生まれついたから、じゃなく、自分の力でシェイラが幸せに暮らせる国を作りたいと思えたから。


 ふと遠い記憶に思いを飛ばしていたリンドは、懐かしさと再会できた喜びにふわりと微笑んだ。


(にしても、もっと胃を鍛える必要があるな。せっかくシェイラが一生懸命作ったんだ。せめて自分ひとりだけでもちゃんと食べれるようでないと……)


 シェイラが自分の作ったパンがあまりにもまずいために民を困らせていると知り、落ち込んでいるのを見ていられなかった。

 だから食べてはみたのだが―ー。


『ごふっ……!』


 口中に広がるなんともいえないえぐ味に、一瞬にして血の気が引いた。

 けれどあの日自分の心を明るく元気づけてくれたシェイラのパンは、唯一無二だ。たとえ味がどうであろうと、きっと自分だけは食べれるようになりたい。


(よし! これからは、定期的にシェイラのパンを食べることにしよう。毎日少しずつ慣れていけば、そのうちきっと……)


 新たな決意を胸に、リンドはやる気をみなぎらせ王宮を闊歩するのだった。



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